第898話 精霊と妖精

統一歴九十九年五月九日、夜 ‐ 『黒湖城砦館』ハーレ・デア・シュバルツゼーブルグ倉庫ホレウム/シュバルツゼーブルグ



『インプよ』


 ヨウィアヌスが腰に付けたポーチから取り出し、小剣プギオーで食べやすいように薄くスライスして寄こしてくれた黒パンに夢中でむしゃぶりついていたインプはそう呼びかけるとパッと食べるのを止め、食べかけの黒パンを放り出して声の主に平伏した。


「へぃっ、《地の精霊アース・エレメンタル》様!!」


 その声はインプを取り囲む人間たちには聞こえない。体格の極端に小さなインプの声はそもそも小さく、また音域も人間の耳に伝わる可聴域を外れているからだ。しかし、インプが誰にも聞き取れない言葉に乗せたは思念となって《地の精霊》に確かに伝えることができる。念話と呼ばれるコミュニケーション方法の一つだ。


『その方に話がある。』


「何なりとお申し付けください!」


 相手はインプごときでは絶対に勝てない強大な力の主、精霊の王プライマリー・エレメンタルだ。

 インプを召喚したハーフエルフ、ペイトウィンも十分強力な力を持っていた。ここでインプを取り囲んでいる人間たちも、ペイトウィンにはかなり劣るもののインプが到底かなわない相手である点では同じだ。だが敵わないまでも全力で逃げれば人間たちやペイトウィンから逃げおおせることは不可能ではない。一応インプの背中には羽根があり、鳥ほど自由自在にというわけにはいかないまでも空を飛ぶことだってできるし、短時間ながら身体を霧や煙に変えたり、姿を消したりすることだってできるからだ。

 しかしこの《地の精霊》が相手ではそうはいかない。逃げることもあらがうことも叶いはしない。機嫌をそこねたら最後、インプの運命はその場で決してしまう。だからインプは他の人間相手なら多少なりとも無礼な態度は取れても、この《地の精霊》に対する時だけは全身全霊をかけて挑まねばならない。


「《地の精霊アース・エレメンタル》様は約束通り、ルクレティア・スパルタカシアに引き合わせてくだすった。

 それがなければアタシゃ野蛮な人間どもに捕まって殺されてたかもしれません。

 ですがおかげ様で仕事を果たすことが出来ました。

 貴方様にはその恩義があります。

 この身に出来ることであれば、何なりとお引き受けいたしましょう。」


『その方、ワシの眷属となる気はないか?』


「アタシが《地の精霊アース・エレメンタル》様の眷属に!?」


 それまで四つん這いで頭上の《地の精霊》を見上げていたインプは突いていた両手を思わず浮かせて身体を起こした。


『不服か?』


「いえいえっ!とんでもございません!!」


 ポカンとした間抜けづらを晒していたインプはハッと我に返って全否定する。


「たしかに身体も持たぬ精霊エレメンタルなんかにアタシら妖精が仕えるなどおかしな話ですが、貴方様は別でございます。」


『そうか、そのようなものなのか?』


 精霊も妖精もどちらもこの世界ヴァーチャリアでは自然発生する魔法生物の一種だが、精霊と妖精の違いは肉体を持っているかどうかだ。精霊は何らかのエネルギーそのものに生命が宿り意思を持った存在である。しかし、精霊が宿るようなエネルギーは一般に流動的で長く存在し続けることが出来ない。ゆえに、精霊の存在はひどく曖昧で、顕現けんげんしたと思えば次の瞬間には消滅したりしている。絶え間なく流れ続ける滝や川、海峡、海の潮流などといった水のエネルギーに宿った《水の精霊ウォーター・エレメンタル》、地の底深くで沸き返るマグマなどに宿った《地の精霊アース・エレメンタル》などを除き、精霊の存在はひどく刹那せつな的なのである。

 対して妖精は受肉した精霊とでも言うべき存在で自分の肉体を持っている。肉体を持っている分だけ己の存在を現世に留めやすく、人間などとの接点も多い。ただし、肉体を持っている分だけ様々な制約もあり、己の肉体を維持するためだけに魔力を要する都合上、同じ魔力量を持った精霊よりも魔法を行使する能力は劣らざるを得ない。


 そんな妖精から見て精霊とは、実は信用の置けない存在であったりする。どちらも同じように魔力を直接的な活力とする存在ではあるが、現れたと思えばすぐに消える精霊はどうしたところで長く付き合いを維持できる存在にはならない。街で店を構える商人から見た行商人のような存在であり、職業軍人から見た傭兵のような存在であり、宮廷音楽家から見た吟遊詩人のようなものなのである。同業者ではあるが深く付き合うべきではない、いわばヤクザ者であり、軽蔑の対象ですらあった。

 だが自前の魔力源を有し、安定的に存在し続ける精霊は別である。アルビオン海峡をつかさどる《水の精霊》アルビオーネなどはその好例であろう。無尽蔵の魔力源を独占し、下手に肉体を持った妖精なんかよりずっと長く存在し続け、強大な魔力を自在に操る彼らは「精霊の王」プライマリー・エレメンタルなどと呼ばれ、軽蔑どころか神のようにあがめられる存在だ。言って見れば、精霊や妖精といった魔法生物たちの中での貴族であり諸侯であり王なのである。

 インプの見たところ、今目の前にいる《地の精霊》もそうした「精霊の王」と見るべき相手だった。その眷属になる恩恵は計り知れない。


精霊の王プライマリー・エレメンタルたる《地の精霊アース・エレメンタル》様の眷属の末席に加えていただくならば、これに優る栄誉はございません。

 アタシごときでよろしければ、是非 《地の精霊アース・エレメンタル》様の手となり脚となって働かせていただきたいと存じ上げます。」


 インプはそう言うと再び両手を突いて平伏した。


 ハーフエルフに騙されて偽金貨を掴まされた挙句に酷い目に遭わされたが、まさかここで精霊の王プライマリー・エレメンタル様の眷属に加わることができるとは……真面目に手紙を届けてよかった!!


 報われた……まさにそのような心境であった。


『ならば眷属に加えてやろう。』


「ハハッ!!」


『眷属として、さっそくやってもらいたいことがある。』


 おお!眷属となって早速、手柄を立てる機会に恵まれるとは!!


「もちろんでございます!

 おっしゃっていただければ何でもやってごらんに入れましょう。」


『お前を騙したハーフエルフ、奴を殺すことなく捕まえてきてもらいたい。』


 インプは再び間抜け面を晒すことになった。思わず《地の精霊》を見上げた顔には生気がなかった。


「あの……ハーフエルフめを?」


 金貨と偽って黄銅貨なんぞを掴ませた憎きハーフエルフ……奴に報いることができるなら何だってやるつもりだ。だが、さすがに出来ることと出来ないことがある。インプは身体も小さく非力だ。魔力だって自分の身体を維持し、動かす分だけで精一杯であり、人間を殺すような攻撃魔法なんて使えはしない。だからこそ金だの宝石だのといった、魔力の触媒となるような物を集め、己の体内に蓄えて己の魔力の強化に励んでいるのだ。今のままでは人間の子供に悪戯して揶揄からかうことさえ難しいだろう。


 だというのにハーフエルフを殺さずに捕まえてこい?

 無理だ……できっこない!


 だがインプは既に用件を聞く前から「やってごらんに入れましょう」と断言してしまった。今さら「やっぱり出来ません」は言えない。妖精は力が弱いからこそ、信用・信頼を大事にする。いざという時、誰かに助けてもらわなければ簡単なことでもすぐに死んでしまうからだ。

 約束を違えるくらいならいっそ死を選ぶ……そんな極端な価値観を持ったインプは無理難題を引き受けてしまったことに気づいた瞬間、絶望した。


 《地の精霊アース・エレメンタル》様はワザと出来ないことを命じて揶揄からかっておられるのか?

 それともアタシが死ぬのを見たいのか!?


 生気の失われた顔を見せるインプに《地の精霊アース・エレメンタル》は続けた。


『そうだ。

 だが安心しろ、其方そなたにはちゃんと力を与えてやる。』

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