第897話 未知への不安

統一歴九十九年五月九日、夜 ‐ 『黒湖城砦館』ハーレ・デア・シュバルツゼーブルグ倉庫ホレウム/シュバルツゼーブルグ



 ルクレティアたちが重く沈んだ表情のままインプの捕えられている部屋に戻ってきた時、テーブルの上のインプは何かを一生懸命食べていた。

 騙されていたことを知ってショックを受け、打ちひしがれていたインプを気の毒に思ったリウィウスやヨウィアヌスに「何か食わせてやれよ」とうながし、仕方なくヨウィアヌスが腰に下げたマジックポーチから、軍用パンパニス・ミリタリスを取り出して与えていたのだ。軍用パンと言っても彼らが元から携行していたものではなく、シュバルツゼーブルグへ来てからヨウィアヌスがどこからともなくかっぱらってきていた物である。だからアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアで標準的な小麦色をしたビスケットみたいな固焼きの軍用パンではなく、アルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニアをはじめランツクネヒト族が好むライ麦を主体とした黒パンだった。それを小剣プギオーで薄くスライスし、一枚ずつインプに与えていたのである。

 インプは与えられた黒パンを最初は遠慮がちに、次第にバクバクと食いつくようになり、その小さな身体のどこに入るのか全く想像すらつかないが今では言い出しっぺのリウィウスやヨウィアヌスをはじめ、同室していたカルスやスカエウァらを呆れさせるほどの勢いで夢中で食べていた。


「あ、奥方様ドミナ


 ルクレティアの入室に気づいたカルスが言うと、リウィウスとヨウィアヌスはカルスと共にサッと姿勢を正す。一人、腕組みして壁に寄りかかってインプの悪食あくじきぶりをなかば呆れ、半ば面白そうに眺めていたスカエウァはルクレティアに話しかけようとしたが、ルクレティアとルクレティアと共に戻ってきたカエソーたちの表情の重さに気づき、リウィウスらに遅れて姿勢を正し、緩んでいた表情を引き締める。

 ルクレティアと共に入ってきたカエソー、アロイスは出て行った時と同じように三人並んでインプを見下ろす。が、その表情はリウィウスやスカエウァたちが何事かといぶかしむほど暗く沈んだままであり、黒パンをムシャムシャ食べていたインプも思わず食べるのを中断してしまったほどだった。


 カエソーとアロイスは《地の精霊アース・エレメンタル》を思いとどまらせるように説得を試みたのだが、結局失敗したのだ。カエソーもアロイスも、どちらも『勇者団』ブレーブスの脅迫に正面から対応することはできない。

 彼らには制約があった。ヴォルデマールをはじめシュバルツゼーブルグの住民たちに『勇者団』の存在を秘したまま、あくまでも盗賊団の残党として処理しなければならないし、そのためにはカエソーは配下のサウマンディア軍団レギオー・サウマンディアを勝手に動かすことはできない。アロイスはアロイスで引き連れている大隊コホルスは全体の三分の二が新兵の臨時編成部隊であるため、戦力としては全く期待できない。相手がただの盗賊団ならやりようはあるが、魔法を使いこなすハーフエルフを中核とする『勇者団』には対抗できない。

 この状況で唯一戦力になり得る《地の精霊》は明日、ルクレティアと共にシュバルツゼーブルグの街をつことになっており、カエソーもサウマンディア軍団もそれに同行することになっている。

 残されるのはアロイスの大隊コホルスと、ただでさえ人手が足らない上に何も知らされていないシュバルツゼーブルグの警察消防隊ウィギレスだけ……それで街に火を放つかもしれない『勇者団』に対処しなければならないのだ。


 もちろん、そんなことは無理だ。アロイスはとりあえず周辺を捜索して『勇者団』の拠点を探し出して潰しつつ『勇者団』を近づけないようにしながら、ズィルパーミナブルグからアルビオンニア軍団の主力が到着するまで時間を稼ぐつもりでいたが、それだけではもしも『勇者団』のハーフエルフがシュバルツゼーブルグの街へ魔法で攻撃をしかけてきたりしたら防ぎようがない。

 『勇者団』の脅迫文にあったようなシュバルツゼーブルグへの攻撃を未然に防ぐためには、やはり脅迫文を送りつけてきたハーフエルフを直接どうにかしなければならない。そのためには、どうしたところで《地の精霊》の提案に乗るほかなかったのである。


 部屋に戻ってきたルクレティアらが重く暗い表情のままインプを見下ろす中、ルクレティアの肩のあたりに浮かんでいた《地の精霊》がスゥーッと前に出る。インプは両手に抱えていた黒パンを投げ出し、両手を突いてササッと《地の精霊》の方へ進み出ると四つん這いのまま《地の精霊》を見上げた。


 始まった……


 インプと《地の精霊》は念話で会話しているので周囲の誰にもその内容は聞こえない。が、事前の説明では《地の精霊》はインプに魔力を与え、眷属に加える代わりに手紙を送り付けてきたハーフエルフを追跡し、捕えてくるように説得することになっていた。


 ホントにうまく行くのか?


 カエソー、そしてアロイスの胸中きょうちゅうに渦巻く不安は《地の精霊》の説明を聞いた後でもずっと解消しないままでいる。あのブルグトアドルフの森の《森の精霊ドライアド》のような、彼らの軍団レギオーでは対抗できそうにないほどの強力な存在が新たに誕生するかもしれない……それは彼ら軍人たちにとって悪夢に近い不安要素だった。


 裏切ったりしませんか?


『妖精は義理堅い。裏切りの心配なぞ無用じゃ。』


 ですが、命令を無視して暴走する可能性は?


眷属けんぞくにすれば主従しゅじゅうは絶対じゃ。

 ワシに逆らうことはできんじゃろう。』


 役目を終えた後はどうするのです?

 ハーフエルフを捕えた後は?


『ひとまずシュバルツゼーブルグこの街を守らせておけばよかろう。』


 ですがインプは悪戯いたずら好きと聞いております。勝手を働くのでは?


『悪戯をするのは仕事も無く、暇を持て余して構ってほしいからじゃ。

 仕事があればそちらを優先するじゃろ。』


 それでも強力な精霊エレメンタルが生まれるのは心配です。


『インプは精霊エレメンタルではなく妖精じゃ。

 精霊エレメンタルは肉体を持たんが、妖精は受肉し肉体を得た存在じゃ。』


 同じことです。もし暴れたら、我々には取り押さえようがありません。


『ワシの眷属じゃからワシには逆らわん。

 始末しようと思えば簡単に始末できるから心配せんでええ。』


 《地の精霊アース・エレメンタル》がいないところでは、誰がどうやってインプを抑えればいいのですか!?

 我々の中でインプと念話できる者などいないのです!


『肉体を持つインプは今より強化されれば声で会話できるようになる。

 アロイスその男の言うことを聞くように言うておけば問題あるまい?』


 カエソーたちは強化されたインプを彼らの力でたおせないことをうれえていたが、《地の精霊》はそのような状況は起きないから心配ないというばかりだった。《地の精霊》はカエソーたちが何を不安に思っているのか最後まで気づくことは無かった。そして、カエソーたちにしても、究極的な部分……彼らが強化されたインプと敵対しなければならくなる可能性の本質的な部分にまでは踏み込むことはできなかった。それは彼らが《地の精霊》やリュウイチにも対処しなければならないことにどうしても触れないわけにはいかなかったからである。それは取りようによっては彼らが《地の精霊》やリュウイチといずれ敵対するつもりであるととられかねなくもない。《地の精霊》本人にその懸念を伝えた時、《地の精霊》がどういった反応を示すか全く予想がつかない以上、その部分に不用意に触れることなど出来はしなかったのだった。

 結局、《地の精霊》と彼ら人間たちとの会話は最後までかみ合うことは無かった。だからこそ、カエソーたちは不安なのである。


 もしかしたら自分たちは、とんでもない化け物が生まれてくるのを防ぐべき瞬間を見過ごそうとしているのかもしれない……

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