第277話 新聖女誕生

統一歴九十九年四月二十三日、午前 - マニウス要塞司令部/アルトリウシア



「新たな聖女サクラ…でありますか?」


 マルクスは素っ頓狂すっとんきょうな声を漏らし、眉をひそめる。

 例によって人払いの徹底された要塞司令部プリンキピアの一室に集められた首脳陣は昨日急遽きゅうきょ決まったアイゼンファウストブルグ建造に伴う復旧復興計画変更の調整を話し合うはずだったが、それに先立ってルキウスからリュキスカが聖女サクラになった事について緊急の発表があった。


「あの、リュキスカという名の聖女サクラ以外に新たに…という事でしょうか?」


「いや、そのリュキスカ様が名実ともに聖女サクラになられたのだ。」


 出席者で事前にリュキスカが聖女サクラになった事を知っていた者以外の反応は、今朝のリュウイチとほとんど同じだった。この場にいる全員がリュキスカというリュウイチ専属娼婦の存在について知らされている。昨日、エルネスティーネとその家臣団たちが日曜礼拝を行っている間に要塞司令部プリンキピアでリュウイチと謁見した際に、一緒に紹介もされているので顔も見ている。その時も降臨者リュウイチ様の聖女サクラという肩書で紹介されているのだ。それが何を今更…というわけである。

 こうした混乱が沸き起こるのは致し方のない事だった。理由は二つ。まず第一にルキウスが軍人だった頃からの癖で報告を要約し過ぎたこと。第二に、ルキウスには要約され過ぎた報告を受けた人物が混乱するのを密かに楽しむ趣味があったことだ。

 ルキウスのこの屈折したユーモアに長年付き合い続けている家臣団は、ルキウスが詳細を説明し始めるのを静かに待つという対処法を既に身に着けているが、付き合いの浅い者たちは振り回されてしまう。アルビオンニア側の出席者が落ち着いているのに、サウマンディアから来たマルクスやバルビヌスなどがあからさまに反応してしまうのも無理は無かった。


「うっ、うんっ!」


 いい加減にしなさい…と、エルネスティーネが咳払いすると、ルキウスは詳細を離し始めた。


「リュキスカ様は本来、ルクレティア様が十八歳になられるまで、を務めさせるための専属娼婦であった。その経緯は昨日、説明した通りである。

 期間の限られた代行者に過ぎぬ身ではあったが、一応降臨者リュウイチ様の御相手を務める以上『聖女サクラ』という肩書は用いていた。ゆえに昨日、けいらに紹介した際も『聖女サクラ』として紹介している。

 だが、その後リュキスカ様が既にルクレティア様に倍する魔力を有しており、既に『聖女サクラ』としての力を発現させておられることが確認されたのだ。」


 ここでようやく話を理解した者たちが、今度は理解した状況に混乱し始める。


「そ、それは、新たな聖女サクラが現れたという事ですか!?」


「だから、そう報告しておるだろう。」


 全く想定していなかった事態に出席者たちが動揺し始める。


「お待ちください。普通はがあってから力が発現するまで数年はかかるのではありませんか!?

 リュウイチ様が御降臨あそばされてからまだ半月と経っておりません。リュキスカ様ご自身が実はいずこかの聖貴族コンセクラトゥム御落胤ごらくいんで、元々お力を有しておられたという事はないのですか!?」


「それは無いだろう。たしかにリュキスカ様は父親が不明で母方も祖父母については全く分からず、兄弟も親戚もおられないので、血統を確認することは出来ん。

 しかし、以前は問題なかったのにリュウイチ様の御相手を務められるようになられてから、赤子あかごが魔力酔いをするようになったそうだ。」


「『魔力酔い』ですと!?」


左様さよう、リュキスカ様の御乳には魔力が含まれており、それを飲んだ赤子あかごが魔力酔いの症状を呈するようになったのだ。」


「母乳で魔力酔い!?」

「その赤子あかごは大丈夫なのですか!?」


 「魔力酔い」とは過大な魔力を得たことで現れる様々な症状をひっくるめた総称である。どういう症状が出るかは個人差があり、一般に知られているのは発熱、発汗、頭痛、嘔吐、酩酊めいてい感、手足の震え、手足の筋肉の弛緩、神経過敏、痛覚鈍化といった身体的な症状の他、充実感、万能感、過度な興奮、多幸感といった精神に作用する症状もある。

 魔力そのものは純粋な生命エネルギーに過ぎないので依存性や毒性といったものは無いのだが、慢性的な精神不安等から逃れるために意図的に『魔力酔い』になろうとする人物がいないわけではない。かつてゲイマーガメルが多数いた時代には、マナポーション等魔力回復アイテムを使って『魔力酔い』を愉しむ貴族などもいた。ゲイマーガメルの作るマナポーションは純粋な魔力供給源であり、酒と違って健康被害もほぼ無いとあって濫用される事例は後を絶たなかった。

 しかし、現在ではゲイマーガメルこの世界ヴァーチャリアから駆逐されており、この世界ヴァーチャリアで再現される劣悪なマナポーションしか出回っていない。そしてそれはゲイマーガメルが作ったモノとは異なり、ヒールポーションと同様に麻薬成分を含むため、濫用すると麻薬中毒になる危険性があった。このため『魔力酔い→ポーション中毒』という図式がこの世界ヴァーチャリアでは定着しており、それが赤ん坊の健康状態を確認する質問に繋がっている。


「マナポーションと違って、母乳ですから中毒性はありません。

 おそらく、魔力の制御方法が身に付いていない者が過度な魔力を得てしまったため、溢れた魔力が母乳に出てしまったのだろうとルクレティア様が申しておられました。このため、本日からリュキスカ様はルクレティア様より魔力制御の訓練をお受けになられます。

 赤ちゃんの方は問題ないと思われますが、赤ちゃんの内から魔力酔いに慣れすぎると、将来マナポーションに依存するようになるかもしれません。

 リュウイチ様に治してはいただいているのですが、労咳ろうがいにかかっていたためか他の赤ちゃんより成長が遅れているようです。それもあって離乳食はまだ先と考えておられたそうですが、月齢も十か月となられたことですし、本日より少しずつ離乳食に切り替えるそうです。」


 赤ん坊のことはエルネスティーネが説明した。同じ月齢の子を持つ母として、どこか他人事には思えなかったのであろう。カールが治療を受けられるようにしてもらえたことへの恩義もあったかもしれない。エルネスティーネは貴族たちの中では人一倍リュキスカの赤ん坊のことを気遣っていた。


「し、しかし、まだ最初のから・・・何日ですか?」


「四月十七日の夜が最初だそうだから、昨日で五日だ。

 実際にをしたのは三夜だけだそうだ。

 もっとも、一夜ごとに随分と…だそうだがな。」


「たったの三夜で、ルクレティア様を上回る力を…」


 通常の人間の魔力量(MP)は成人で十以上二十未満、神官の場合で十五から三十といったところだ。ルクレティアはさすがに聖貴族コンセクラータだけあって五十六と一般の神官の倍以上の魔力量を誇るが、聖貴族コンセクラトゥムの中では低い方である。一般の聖貴族コンセクラトゥムの魔力量は七十を超えるぐらいで、大家名家たいかめいかとして権勢を誇る聖貴族コンセクラトゥムともなると、魔力量は百三十から百八十ほどにもなり、平均的な聖貴族コンセクラトゥムの二倍以上にもなってしまう。

 ルクレティアの家系が聖貴族コンセクラトゥムとしてそれだけ没落してしまっているという事でもあるが、問題はリュキスカの方だ。たったの五日の間、わずか三夜ほどで大家名家の聖貴族コンセクラトゥムに準じるほどの魔力量を得てしまっているのである。もちろん、実際に貴族パトリキとして権勢を誇るには魔力のみならず財力、人脈、地位、名声、実績といった政治力が伴わなければならないわけだが、今後更に魔力量が増大していくであろうことを考えれば、将来的にアルトリウシアに強大な聖貴族コンセクラトゥムが出現するであろうことは確実であった。


「今後、どうなさるおつもりでうすか?」


 マルクスのその質問はあまりにも漠然としすぎていた。リュキスカがたったの五日で聖女サクラになった…その事実が及ぼす影響はあまりにも大きすぎる。

 エルネスティーネとルキウスは互いに顔を見合わせ、事前に話し合った内容をエルネスティーネが発表する。


「この事実についてレーマに報告します。ですが、それ以外は現状を維持するほかないでしょう。リュウイチ様もそれを御望みです。」


「あの…新たに別の巫女サセルダエを御用意するというのは?」


 リュウイチの傍に息のかかった女性を送り込む可能性を探る…それは今回サウマンディア領主プブリウス・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵からマルクスに課せられた任務の一つだった。マルクスは来て早々、リュウイチが既にリュキスカと言う娼婦を見出し、傍に置いていることを知らされた。その事実は無論アルトリウシアからサウマンディウムへ報告がなされていたが、マルクスがアルトリウシアへ来るのと入れ違いになっていたためマルクスは知らなかったのだ。

 現在、聖女サクラとなったリュキスカが一人、聖女サクラ候補として内諾を得た巫女サセルダとしてルクレティアが一人の計二人…これなら十分に入り込める余地があるように思われる。あとはリュウイチの女の好みをどうにかして調べ上げることができれば、サウマンディアから何人かの女を用意できるだろう…そうマルクスは期待していた。


 しかし今、プブリウスやマルクスが期待した以上の可能性が目の前に横たわっている。何人か女を送り込んで、そのうちの誰かがになってリュウイチの子を一人でも産んでくれれば、それだけでサウマンディアの発展に大いに寄与することになるはず…最初はその程度の期待だった。

 だが、先にになったリュキスカはどうだ。リュウイチの子を産んだわけでもないのにたったの五日で本人に力が発現し、並の聖貴族コンセクラトゥムに勝るとも劣らない聖女サクラとなったのだ。「子が出来なくてもいいです。三日三晩ほど夜の御供をさせてやってください。」そう頼んで、実際にだけで聖貴族コンセクラータが誕生してしまうのである。リュウイチにその気になってもらえたならば、一年で百二十人以上の女性を聖貴族コンセクラータにしてしまえるのだ。


 あとはもう早い者順だ。受け入れ側の都合がつき次第、リュウイチの好みに合いそうな女を探す。

 そして今、もっとも近いところにアルビオンニア侯爵家とウァレリウス・サウマンディウス伯爵家がいる。アヴァロニウス・アルトリウシア子爵家はホブゴブリンだから直接は関係ないし、他の上級貴族パトリキはこのチャンスをまだ知らない。


「いえ、当面は秘匿体制を維持せねばなりません。秘匿体制を維持しながら、巫女サセルダエを集めるのは現実的とは申せますまい?

 また、リュウイチ様ご本人も、現状の維持を御望みです。」


 マルクスが何を考えて先の質問をしたのか、貴族ノビリタスであれば当然のように察している。それを踏まえたうえで、エルネスティーネがはっきりと明言すると、マルクスはさもよく理解したというように頷きながら念を押す。


「では、秘匿体制が維持されている間は、新たな巫女サセルダエは採用しないということですな?」

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