第231話 レガティオーたちの前哨戦

統一歴九十九年四月十九日、昼 - セーヘイム/アルトリウシア



 結局、イェルナク一行はセーヘイムの迎賓館ホスピティオに留め置かれた。イェルナクたちが行こうとしたティトゥス要塞カストルム・ティティには現在アンブースティアから焼け出された避難民が数千人も収容されている。そして城下町カナバエにも被害を受けた住民たちが多数住んでいる。親戚や家族を殺されたという者が数万人規模で待ち構えているのだ。対して、治安維持にあたっている衛兵は侯爵家子爵家合わせて三百にも満たない。

 そんな中へイェルナクたちがのこのこと現れて無事で済むと期待するのは無理な話だった。イェルナク一行が襲撃されてそれでお終いなら別にあえて彼らを守ってやる必要はないが、ハン支援軍アウクシリア・ハンには少なく見積もっても二百人以上の人質を取られているのである。イェルナクたちに万が一のことがあれば人質たちは永久に帰ってこなくなってしまうだろう。

 しかし、だからと言って軍使レガティオー・ミリタリスを無視することも、会わずに追い返すこともできない。



「なるほど、それでわざわざお越しくださったのですか。

 イェルナクめのために恐縮至極に存じ上げます。」


 迎賓館ホスピティオに設けられた豪華な応接室タブリヌムでイェルナクはアルトリウスにうやうやしくこうべをたれた。


「ですが、イェルナクは偉大なる族長エラクムズクより、侯爵夫人マルキオニッサ子爵閣下ウィケコメスつかいするよう申し付けられております。

 そこのところをご理解いただきたく存じ上げますが?」


 一度下げた頭を上げたイェルナクは作り笑いを顔に張り付けたままアルトリウスを見据えて言った。

 イェルナクはエルネスティーネとルキウスと交渉に来たのだ。それをイェルナクの半分も生きてないようなアルトリウス一人に対応させてあしらおうなど、舐めた真似をされては困る。これでは門前払いをしているようなものだ。

 これに甘んじていては今後の交渉の展開で不利になるかもしれない。イェルナクは少しでも優位に立つべく、アルトリウスをけん制することにしたのだった。


「これは異なことを・・・貴官イェルナク軍使レガティオー・ミリタリスなのだろう?」


「いかにもその通りです、閣下。」


アルトリウスはアルトリウシアの軍事の全権を担っている。

 ならば、軍使レガティオー・ミリタリスである貴官イェルナクが遣いすべき相手はアルトリウスではないか?」


イェルナクは領主閣下に遣いするよう命ぜられておるのです。

 ことは属州の、いえ引いては帝国の命運にもかかわる問題です。

 どうか侯爵夫人マルキオニッサ子爵ウィケコメスへお取次ぎください。」


アルトリウスでは不足ということか?」


「恐れながら、閣下はまだいささかお若うございます。」


「ふむ、若いと何か問題が?」


「物事には順序がございます。イェルナク侯爵夫人マルキオニッサ子爵ウィケコメスへの用向きで参っておりますれば、子爵に次ぐ地位の御方では・・・」


「物足りぬと申すか?」


「大変申し上げにくいことではございますが・・・」


「貴官は忘れておるかもしれんが、アルトリウスは子爵公子だ。

 子爵の名代たる資格を有しておる。

 そもそも、アルトリウス軍団長レガトゥス・レギオニスだが、貴官は支援軍幕僚トリブヌス・アウクシリィに過ぎん。

 貴官のいう『偉大なる族長エラク』とやらは支援軍司令プラエフェクトゥス・アウクシリィであり贔屓ひいき目に見積もっても軍団長レガトゥス・レギオニスたるアルトリウスと同格だ。

 貴官の格を考えるならアルトリウスではなく、軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムの誰かが相手するのが相当であろう。

 貴官が自分にあくまでもふさわしい相手と交渉したいと申すのであれば、今から早馬をやってマニウス要塞カストルム・マニから軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムを呼び寄せるが、いかがか?」


 少しでも早くエルネスティーネとルキウスの両者を交渉のテーブルにつかせたいからこそアルトリウスを引っ込めさせようとしたのに、下の者を引っ張り出されたのでは逆効果だ。

 イェルナクは慌てた。


「おお閣下、そのように申されては困ります。

 閣下の格が足らぬと申したわけではありません。どうぞ誤解なきよう。」


「ではどういうつもりだったのだ?

 私では若すぎるので子爵の名代は務まらぬと申したのではないか?」


「違います!違いますとも。

 閣下はもちろん子爵公子ですから子爵の名代としては十分でございます。」


「では何が足らぬと申したのだ?」


 イェルナクはこれでもハン支援軍アウクシリア・ハンのフロントマンとして半生を捧げた男である。たとえ相手が自分の子供と同じくらいの若者であろうと、喧嘩を売るに際して逃げ道の容易に抜かりはない。


イェルナク侯爵夫人マルキオニッサ子爵ウィケコメスの両方へつかいせねばならぬのです。

 恐れながら、閣下は子爵ウィケコメスの名代としては十分でございますが、侯爵夫人マルキオニッサの名代たる資格がおありとは・・・」


「なるほど、確かにアルトリウス侯爵夫人マルキオニッサの名代たりえんかもしれん。」


「ご理解いただき感謝申し上げます。」


 イェルナクの態度は慇懃いんぎんそのものであった。喧嘩を吹っ掛けるのは失敗したが、だからと言ってこちらがダメージを食らうようなヘマはしない。何とかやり込めたという安心感が彼に余裕を持たせていた。

 しかし、その余裕は次の思わぬ一言で打ち砕かれる。


「だが、貴官が軍使レガティオー・ミリタリスである以上、貴官が対するはまず軍事をつかさどる者であらねばなるまい。いきなり侯爵夫人マルキオニッサと対することなどありえん事だ。」


「そんなバカな・・・」


 イェルナクは思わず目を丸くし、アルトリウスの顔を見上げた。イェルナクはハン族とは言え名門貴族であるだけあってホブゴブリンとしては大柄な方だが、コボルトの血を引くアルトリウスとは頭一つ分以上差がある。


「何が『バカな』だ、当然であろう?

 侯爵夫人マルキオニッサ戦事いくさごとなどお分かりにはなられぬ。」


「今までだって謁見の栄に浴したことはございます!」


「それは貴官イェルナク軍使レガティオー・ミリタリスとしてではなく、貴族ノビリタスとしてお会いしたからであろう?」


「そ、そうかもしれませんが・・・しかし、先代の侯爵閣下マルキオー軍使レガティオー・ミリタリスとしてのイェルナクとお会いくださいました。」


「それは侯爵マルキオー属州領主ドゥクス・プロウィンキアエであると同時に軍団総司令ドゥクス・レガトゥスでもあらせられたからだ。

 だが、侯爵夫人マルキオニッサ軍団レギオーを指揮できぬし、そもそも女軍団総司令ドゥキッサ・レガトゥスなどあり得ぬことだ。ゆえにこそ、今は実弟のアロイス・キュッテル閣下を軍団長レガトゥス・レギオニスに任じておられるのだ。」


 アルトリウスの言うとおりならば、イェルナクはエルネスティーネはおろかルキウスと交渉できないことになってしまう。それはイェルナクにとって全く予想外のことだった。


軍使レガティオー・ミリタリスを阻むおつもりですか!?」


「阻みはせぬよ。

 だが軍使レガティオー・ミリタリスである以上、対するは軍人の仕事であり、その最高位の窓口となるのは軍団長レガトゥス・レギオニスであるアルトリウスと、キュッテル閣下の二人だということだ。

 軍使レガティオー・ミリタリスが軍人ではない領主に目通りするとしたら、兵権を預かっておる臣下の同意がなければなるまい。

 そなたが言ったように『物事には順序がある』のだ。

 だが安心せよ。キュッテル閣下は部下を引き連れて現在アルトリウシアへ向かっておる。おそらく、あと二~三日中にはアルトリウシアへ着くであろう。それまで、ここで逗留とうりゅうして待たれるがよい。」


 そういうとアルトリウスは席を立った。


「お、お待ちください閣下アルトリウス!」


「何だ、アルトリウスでは不足なのではなかったのか?」


 イェルナクはアルトリウスを完全に侮っていた。イェルナクも今までアルトリウスと接したことが無いわけではない。しかし、軍務で交渉の場を持ったのは三年以上前だった。アルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシア筆頭幕僚トリブヌス・ラティクラウィウスだったアルトリウスはまだ右も左もわからぬ小僧で、いつも周囲に助けられてばかりいるだった。アルトリウスが軍団長レガトゥス・レギオニスになった時は、これでアルトリウシアの連中も御しやすくなったとほくそ笑んだほどだ。

 だが、どうやらその人物評は大きく変更せねばならない。たしかにイェルナクはアルトリウスが軍団長レガトゥス・レギオニスになってから、交渉窓口が軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムたちに引き継がれたためアルトリウスと直接交渉する機会はなくなっていたが、わずか二年ばかりの間にどうやら随分と成長していたようだ。

 イェルナクは一瞬で笑顔を作ると、必死に取りつくろい始める。


「そのように誤解していただいては困ります、閣下。

 イェルナクはあくまでも侯爵夫人マルキオニッサ子爵閣下ウィケコメスの両方と交渉する役目を負っております。」


「だから、アルトリウスでは不足なのだろう?」


「そう意地悪を言ってくださいますな。

 閣下を交渉相手と認めぬと言ったわけではございません。

 ただ、イェルナクとしましては、子爵閣下ウィケコメスとの交渉は閣下アルトリウスに名代となっていただくとして、侯爵夫人マルキオニッサとの交渉も成立するようお力添えをいただきたかったのです。」


 事実上の敗北宣言に等しかった。なおもイェルナクをいたぶることもできたが、あまり執拗に追い詰めると思わぬ反撃を受けることもある。第一、今交渉のテーブルを蹴られて困るのはアルトリウスの側も同じなのだ。ハン支援軍アウクシリア・ハンがどこへ逃げたのかも定かではなかったし、人質のことも忘れてはならない。

 アルトリウスはわざとらしく驚いたような表情を作った。


「おお、そうだったのか!

 どうやらアルトリウスもひどい勘違いをしてしまったようだな。

 イェルナク殿、許されよ。」

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