第1389話 解消されるべき不信

統一歴九十九年五月十二日・午前 ‐ マニウス要塞司令部プリンキピア・カストリ・マニ/アルトリウシア



 リュウイチは誰に問うでもなく独り言ちた。リュウイチとしてはルキウスのこともアルトリウスのこともエルネスティーネのこともルクレティアのことも決して不信に思っているわけではない。全幅の信頼を寄せているとまではさすがに言わないが、お互いの立場というものがあるにせよ世話になっているのは否定のしようのない事実だし、良き隣人という関係でありたいと考えている。そして彼らはリュウイチの考える「良き隣人」としては充分に問題ない人格の持ち主たちだった。信用のおけない警戒すべき相手と思ったことは一度も無い。

 ルキウスやアルトリウスたちはこの世界ヴァーチャリアの住民で、リュウイチはこの世界を荒らすつもりは全くない。であるならばルキウスやアルトリウスたちとは良好な関係を保たねばならないのだ。

 幸か不幸か、リュウイチはこの世界では非常に強力な力を持った存在であり、出会った当初の彼らはリュウイチに対して強い警戒心を抱いていた。同時にリュウイチ絶対に敵わない相手に対して礼節をもって平和的に接するだけの胆力と知性とを持っていた。おかげで互いに衝突を招くような不幸は今のところ起きてはいない。

 お互いの立場や都合からリュウイチは事実上の軟禁状態に置かれているわけだが、それについてリュウイチは格別な不満を抱いているわけでもなかった。確かに狭い空間に閉じ込められることでストレスは感じているが、この世界が異世界転生モノのラノベで描かれているような単純な世界ではなく、人々が社会を営む現実の世界である以上、自分の不用意な言動で彼らの生活を脅かさないためには致し方ないと理解もしている。


 田所龍一リュウイチはかつて、震災被害のために機能不全に陥った見知らぬ土地の営業所へ応援のために派遣され、数か月程度の短期滞在をした経験があるのだが、同じ日本だから通じるだろうと思い込んでいた常識や習慣が驚くほど違い、それによって村八分に近い酷い目にあわされたことがあったのだ。まあ、その土地の閉鎖性などもあったとは思うが、現地の人からすれば余所者が勝手をするのは我慢できなかったということも少なからずあったのだろう。今ではそう理解できている。

 同じ人間同士、同じ国の国民同士、同じ民族同士でさえそのようなトラブルが起きるのだから、文字通り生まれ育った世界そのものが違い、しかも実力も大きく乖離しているリュウイチがこの世界でいきなり好き勝手に行動したら、いったいどんなトラブルが起きるかなど想像が追い付かない。下手するとその地域の社会そのもの、国そのものを崩壊させてしまうようなことだってありうるだろう。そうしたトラブルを未然に防ぐためには、今のような状況というのはリュウイチにとってもありがたいことなのだ。

 先方は自分が常識も文化も全く異なる世界から来た存在だと理解しており、最大限の尊重をしてくれている。そしてその社会の代表者として自覚を持って接し、この世界についての様々な事柄について教えてくれ、リュウイチが理解するのを助けてくれている。おまけにその間の衣食住の面倒をしっかり見てくれ、リュウイチがこの世界に順応できるように手厚くサポートしてくれているのだ。そう考えれば今の軟禁状態は社会に出る前の学校みたいなものであり、準備期間として機能していると言える。それを思えば、リュウイチが貴族たちに悪い感情を抱くなど全くのお門違いというモノだ。


 で、あるならば……ルキウスやアルトリウス、エルネスティーネなどこの世界の貴族たちとは今のままの良好な関係を保ちたい。軟禁状態はともかく、彼らとの関係はおそらく今のままがリュウイチにとって一番理想的なバランスなのだ。互いに求めるものがあり、同時に互いに距離を保つことを理解しあっていて、互いに不用意に距離を詰めない。おかげで不便な部分はあるが、互いに守られるべき部分が互いに侵されることなく守られている。

 今のこの距離感を保つために、リュウイチは彼らの信用を得なければならない。何故なら彼らからすればリュウイチはいつでも全てを奪い去ることのできる絶対的強者なのだから、まずはリュウイチの方から貴族たちの信用を得なければならないのだ。だからこそリュウイチは自分がルキウスたちをだった。こまごまとしたことまで相談しているし、常にルキウス達の都合を尊重してもいる。配慮が足らなかったことはあったかもしれないが、配慮を忘れたことは無かったはずだ(と、リュウイチは考えている)。


 お互いの信頼関係は出来ていた……そう思っていたのに……


 それはリュウイチの勝手な思い込みだった。リュウイチの信をと考えているということは、アルトリウス(そしておそらくルキウスも)リュウイチのことを信用していないということの何よりの証だからだ。


旦那様ドミヌスはフェリキシムス様に《風の精霊ウインド・エレメンタル》様をお付けになられ、リュキスカ奥方様魔導具マジック・アイテムをお授けになられました。

 そのことが間違っているとは自分も思いませんが、ですがルキウス子爵閣下に事前に相談なさらず、先にしてから報告なさり、事後承諾をとるという形になりました。

 アルトリウス子爵公子閣下はこのことから、旦那様ドミヌスが子爵家を信用しておられないのではないかとお考えになられたようです」


 ネロはリュウイチが口にした疑問に答えた。

 リュウイチは別に答を求めていたわけではなかった。ネロとしてはリュウイチが答を求めて質問してきたのか、それとも単なるボヤキだったのかは判別しかねていたが、リュウイチの信用を取り戻すために応えられることは全て応えようと意気込んでいたネロは疑問への答えを出すことを選んだのだった。


 結局、また同じ失敗を繰り返してるんじゃないか……


 ネロの答えを聞いたリュウイチは自己嫌悪に陥る。女を買いに夜の街へ勝手に繰り出した挙句にリュキスカをさらってきてしまったこと、軽い気持ちでルクレティアに魔導具を与えようとして要らぬ混乱を巻き起こしルクレティアとの婚約を余儀なくされたこと……それらの失敗でリュウイチは反省したつもりだったが、再び同じ過ちを犯している。その結果、ルキウスやアルトリウスから「自分たちは信用されて無いんじゃないか」と疑問を抱かれている……つまり、リュウイチはワザと事後承諾を取り付ける形にすることで、貴族側が断れないようにし、自分の都合の言いようのことを運ぼうとしている……そう思われているということだ。

 リュウイチは長い溜息をついて顔を上げた。不信の目は摘まねばならない。


『それは誤解だ。

 《風の精霊ウインド・エレメンタル》の時は緊急性があって事後報告になってしまっただけだし、ルキウスさんなら魔導具マジック・アイテムのことも認めてくれるだろうって安易に考えてたんだ。

 言ってみれば子爵家を信じていたからで、信用してなかったからじゃない。

 何ていうか……甘えてたんだと思う。

 今更かもしれないけど、申し訳ないと思っている』


 弁明するようにリュウイチが言うと、ネロは心持ちホッとしたように緊張を緩めたようだ。真一文字に結んでいた口を一瞬への字に曲げ、すぐに戻す。


旦那様ドミヌスからそのように申されれば、アルトリウス子爵公子閣下は安堵なさるでしょう」


『ネロ、君についても同じだ』


 言うべきことは口に出しておかないと伝わらない。この人はこう考えてくれるだろう、同意してくれるだろうと思い込んで行動を先走らせると、たとえその思い込みが事実と変わらなかったとしても要らぬ誤解や混乱を招いてしまうことがある。今回のことで少し学んだリュウイチは、その教訓を早速ネロとの関係にも活かすことにした。

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