第575話 ナイス・ジェークの引き渡し
統一歴九十九年五月七日、夜 - ブルグトアドルフ/アルビオンニウム
『初めまして、ルクレティア様。
《
《
「あっ、初めまして!
《
ルクレティア・スパルタカシア・リュウイチアと申します。」
《藤人形》に圧倒されていたルクレティアが突然少女の姿に変わった《森の精霊》に驚き、慌てて返事をすると、少女は二ッと笑顔を大きくする。ルクレティアはその笑顔の愛らしさに少し見入ってしまったが、戸惑いながらも話を続ける。
「あ、あの…この度は、『
『微力ながらも《地の精霊》様の御役に立てればと思い、勝手をいたしました。
ご迷惑でなければよろしかったのですが…』
《森の精霊》はにこやかに言った。《森の精霊》としては、お前の為じゃなくて《地の精霊》様の為だと釘を刺す意味もあったのだが、気が動転しているルクレティアは素直に
「迷惑だなどと!
彼らのことはなるべく人に知られぬようにしたかったものですから、こうして秘密裏に捕えお引き渡し頂けるのでしたら、むしろありがたい限りでございます。
何分、私共は非力な身の上ですから、こうして
『そのように申してくださり、ありがたい限りです。』
ルクレティアの返事に満足した《森の精霊》はチラリと《地の精霊》に目を向け、今度は《地の精霊》以外には聞こえぬように念話を送る。
『それでは、この虜囚はこの人間に渡せば良ろしいのですか?
《地の精霊》様に献上したく思いましたのに。』
『要らぬ…ワシが受け取ったところでしょうがない。
ワシは
その者らが悪さをすれば、この娘御が困ることになるでのう。』
『ならいっそ、殺してしまえばよろしかったのに…
そうすれば、コイツが自分で勝手に負った傷まで一々治癒してやったりしなくて済んだし、せっかくの魔力を無駄にせずに済みましたわ。
人間にしては魔力が強いから死なせた方が、食べ甲斐がありそう。』
《森の精霊》が少しガッカリした様子で言った。
《森の精霊》は精霊の中でも少し特異な存在であり、普通の精霊が炎や水流などの特定のエネルギー源に霊魂が
にもかかわらずわずか周囲数マイルの丘に広がった数十年ほどの若い森に《森の精霊》が顕現し、あまつさえこうして力を振るっているのは《地の精霊》が膨大な魔力を与えたからに他ならなかった。このサイズの森であれば、本来なら千年ちかい歳月を経なければ《森の精霊》が顕現することなぞなかっただろう。
千年以上分に相当するであろう膨大な魔力を受け取り顕現した《森の精霊》ではあったが、森から新たに得られる魔力の量が増えたわけではない。魔力を使って消費した分を自力で補充するには数十年数百年という時をかけねばならなかった。
せっかく膨大な魔力を得て顕現したのに、その力を使うにはかなりチビチビとケチらなければあっという間に貯金を使い果たし、最悪の場合消滅してしまうことになる。そんな《森の精霊》にとって、人間の死骸は魅力的な食べ物ではあった。
《森の精霊》が《地の精霊》から受け取った魔力に比べればナイス・ジェーク一人の魔力など微々たるものだが、それでも森で死ねば放出される魔力は《森の精霊》の
『残念だが、死なれてはそれはそれで困るそうじゃ。
理由はよくわからんが、傷つくのも困るらしい。
お前が傷つけずに捕まえてくれた上に、誰にも見つからんように持って来てくれたのは都合が良かったようじゃ。無駄ではないから安心するがよい。』
《地の精霊》が溜息つくように慰めると、《森の精霊》は少しばかり機嫌を上向かせたようだ。
『では、お喜び頂けますか!?』
『ああ、お前の手柄はワシの手柄じゃ。
あとで多少の褒美をくれてやろう。
じゃから、この娘御にそ奴を引き渡すがよい。』
例によって精霊同士の念話に時間はかからない。この会話も一瞬で、彼らを取り巻く人間たちにはそのような会話があったことを想像することすらできなかった。
《地の精霊》に褒美をやると言われ、一気に機嫌を良くした《森の精霊》がニッコリと微笑みながら後ろに突っ立っている《藤人形》を見上げると、《藤人形》がゆっくりとその場で地に膝をついて姿勢を低くする。
「「「「おおお~~」」」」
高さ三ピルム(約五メートル半)はあろう蔓草で編まれた人形が動いたことで周囲の人間たちが思わず声を漏らす。キシキシ、ガサガサと蔓草が擦れ、
『では、お受け取り下さい。』
《森の精霊》がルクレティアの方に向き直ってそう言うと、再びキシキシと蔓草が
「あ、ありがとうございます!
あ、リウィウスさん、お願いします!」
自分の腕くらいありそうな蔓草が複雑に絡まっていた編み込みがいとも簡単に、しかも独りでに開いていく様子に思わず口を開けて呆けたように見入っていたルクレティアだったが、中から人間が現れ、しかもそれが気を失ったままそこから地面へ落ちそうになっているのに気づくと慌てて傍らのリウィウスに声をかけた。
「へぃ!おい、ヨウィアヌス!カルス!手伝え!!」
「お、おうっ!」
「わかった!」
リウィウスはルクレティアに頼まれると、即座にヨウィアヌスとカルスに声をかけ、自ら《藤人形》へ向かって駆けだした。そして今にも落ちそうになっているナイスを下から両手を伸ばして受け取り、落とさないように慎重にヨウィアヌスとカルスの二人の手に預ける。
高さ三ピルムの植物の巨人が屈みこんでいるその下へ、ためらいもなく駆けよって内部の人間を助け出す様子に、周囲の軍人たちは「あいつらスゲェな」とひそかに感心していた。普通なら、それが攻撃してこないと分かっていたとしても、ひょっとして倒れて来るんじゃないかとか不安に思うことだろう。少なくとも自分ならあんなためらいもなく行ける気がしない…夜の暗さもあって不気味さを増している《藤人形》を見るとそう思わずにはいられなかった。
ヨウィアヌスとカルスがナイスを受け取り、二人で担いで離れると、リウィウスは《藤人形》の胴体内部に残っていたナイスの弓などの装備品を回収し、遅れて離れた。
すると、今度は一度解けた編み込みがキシキシと軋み音を立てながら元のように戻り、《藤人形》は再びゆっくりと立ち上がる。
『それでは確かにお渡しいたしました。』
「あ、ありがとうございます!
なんと、御礼を言ったらよいか…」
『御礼なら、《地の精霊》様にお願いします。
私は《地の精霊》様の眷属にすぎませんから…
それでは、失礼いたします。』
そう言うと《森の精霊》は少女から緑色の光点に姿を変え、《藤人形》の肩へすぅ~っと昇って行った。
街全体から人払いはしてあるとはいえ、図体の大きい《
『そのまま帰るのか?』
『はい、《
『誰にも見つかるなよ?』
『分かっております。
この街に残っている人間以外の人間に見つからなければよいのでしょう?』
『…うむ。』
《森の精霊》は《藤人形》の肩に乗るようにして、来た時と同様に街道を歩いてルクレティアたちに見送られながら森へ帰って行った。
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