第1057話 後の事とこれからの事と

統一歴九十九年五月十日、晩 ‐ マニウス要塞陣営本部プラエトーリウム・カストリ・マニ/アルトリウシア



 リュウイチは目を閉じ、フゥーッと深い溜息をついた。


 後悔しているのだろうか?


 もちろん違う。カールを助けるのはリュウイチにとって当たり前のことだった。助けなければカールは死んでいた。さすがにカールが一酸化炭素中毒で植物状態なっているとまでは想像すらしてなかったが、アルビノの少年がを発症して寝たきりになっているらしいことは理解していた。そしてこの世界ヴァーチャリアの医療技術ではおそらく対処できないだろう、そして改善させることのできない病状は悪化していき、遠からず死んでしまうであろうことも想像できていた。

 リュウイチは医者ではなかったがこの世界には魔法があった。魔導具マジック・アイテムが存在した。そして、実際に結核にかかっていたリュキスカ母子を魔法とエリクサーで治癒することが出来ていた。致命傷を負ったヘルマンニを一瞬で治療できてもいる。ならばカールの病状だってどうにかなるはず。

 全ステータスがカンストしているリュウイチは治癒魔法で一番レベルの高いものを使っても魔力をほとんど消費しないし、ストレージには各種ポーションもエリクサーもその他の魔導具も腐るほど入っている。つまり、魔法を使っても魔導具を使っても痛くもかゆくもない。

 困っている人、死に瀕している人が手の届くところに居て、自分にそれを助ける手段があり、しかもそれをすることに何のデメリットも無いのであれば、リュウイチにとって「助けない」という選択肢はあり得なかった。まして相手は八歳の少年である。助けて当然ではないか……助けて当然の相手を当然のように助けたことを後悔などするわけはない。


 カールはリュウイチが《レアル》に帰った後のことを既に考えていた。リュウイチももちろん帰った後のことを考えたことが無いわけではない。帰ってから何をしなければならないか、何をしたいか、何をするか……そういうことは、この世界ヴァーチャリア現実の世界リアルでも仮想空間ヴァーチャル・リアリティでもないことに気づいた時から、そして現実の世界に戻れなくなっていることに気づいた時から、割と頻繁に考えていたことだ。だが、リュウイチが帰った後のこの世界の人々のことは考えたことが無かった。むしろ、考えても仕方がないぐらいに考えていた。

 リュウイチはこの世界の住民ではないのだ。この世界にリュウイチは元々存在しなかった。なら、リュウイチが居なくなったからといってどうこう成るわけは無いだろう。ただ、だ……そう考えていた。


 だが事態はリュウイチが思っていたほど簡単ではなくなっている。リュウイチが軽い気持ちで買った娼婦は今や「聖女サクラ」という称号を得て上級貴族パトリキの仲間入りを果たしており、その息子は並の神官たちを上回る魔力を得て魔力が暴走しそうになっている。幸い奴隷のオトが異変に気づいてリュウイチに報告したため、《風の精霊ウインド・エレメンタル》を使って事故を未然に防げているが、リュウイチが居なくなった後でリュキスカ母子がどうなるかまでは分からない。

 ルクレティアも成り行きとはいえ実質的にリュウイチの婚約者となってしまっている。表向きは既にリュキスカと同様「聖女」となっていて、まだ肉体関係こそないが代わりに魔導具を譲っている。彼女もまた、リュウイチが帰った後どうなるのかちょっと想像がつかない。

 彼ら三人は、リュウイチが考えていたように「元に戻るだけ」では済まないだろう。リュキスカの息子フェリキシムスは魔力を暴走させて事故でも起こせば、周囲に災厄を及ぼすことになるかもしれない。下手すればそれによって人が、場合によってはリュキスカやフェリキシムス自身が死んでしまうことも考えられなくはない。

 ルクレティアだって既に聖女になったという振れ込みで魔導具を使わせているが、リュキスカと違ってまだ肉体関係にないルクレティアは特別魔力を得たわけではない。リュウイチから貰った魔導具の数々も、魔導具『魔力共有の指輪』リング・オブ・マナ・シェアリングを通じてリュウイチから魔力供給を受けなければ使いこなせないのだ。つまり、彼女は元の通り素の人間に戻ってしまう。素の人間に戻ってしまった彼女はリュウイチから貰った魔導具を所有し続けることはできないかもしれない。この世界の大協約とかいう法律に従えばリュウイチから貰った魔導具はムセイオンに収蔵しなければならなくなるはずだ。あれだけ聖女に憧れ、リュウイチに婚約してもらい、魔導具を貰うことで聖女と同じ力を得た彼女が、魔導具を奪われることに堪えられるだろうか?


 そしてカールだ。彼はアルビノだ。日光を浴びればたちまち肌が焼けただれてしまうため、太陽を避けて生活しなければならない。昼間は屋内に閉じこもり、外に出るのは夜だけという生活……カールの身体はそうした生活に耐えきれず、を発症し、寝たきりになってしまった。今はリュウイチの魔法によって病気からは回復し、光属性に対する防御魔法をかけてもらうことで日中でも活動できるようにはなっている。だが、リュウイチがいなくなってしまえばそれもできなくなる。カールの未来は、再び闇へ戻されてしまうことになるだろう。

 普通ならリュウイチに戻らないよう、居続けてくれるように頼むか、あるいは一緒に連れて行ってくれと言ってきてもおかしくはない。だがカールは現実を真正面から受け止め、今を最大限に活かして健康な体を創り上げ、リュウイチが帰った後の生活に備えている。


 関わりすぎてしまったんだろうか?


 繰り返しになるが、助けないという選択肢は無かった。だが、少しばかり不用心だったかもしれない。切れない縁、切ってはならない縁が、既にこの世界に出来つつある。


 いや……


 リュウイチはチラッとアルトリウスを見た。


「?」


 ひょっとして


「何か?」


『いや……』

 

 ふと思いついたその疑問をリュウイチは口にはしなかった。口にしない方がいいだろう。


『カール君は、たくましいなと、思いましてね……』


 リュウイチは別に酔っていたわけではなかったが、そうたどたどしく、言葉を選びながら、ひとちるようにアルトリウスに答えた。


 そっかぁ……リュウイチ自分が帰った後のことかぁ……


 今更ながら、そこに思いを巡らせると事が重大なように思えて来た。


『アルトリウスさん』


 相談なり報告なりしなければならないと思っていた。今日はアルトリウスの方から尋ねて来てくれたしタイミング的にもちょうどいい……そう思ってもいた。当然、今日これからこの場で相談しようと思っていた。が、単にそれだけではなく、その必要性がより切実なものに思えたリュウイチは思い切ったように切り出した。


『実は相談というか、事後になりますけど、報告しなければならないことがあるんです。』

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