第1058話 リュウイチの報告(1)

統一歴九十九年五月十日、晩 ‐ マニウス要塞陣営本部プラエトーリウム・カストリ・マニ/アルトリウシア



 アルトリウスはゴクリと唾を飲み込んだ。


「報告……ですか……」


 妙に飲み下しにくい。先ほどまで酒や料理を胃へと送り込んでいたはずの喉が急に狭められてしまったかのようだ。

 リュウイチから話を持ちかけられたことはこれまでになかったわけではない。それらは福音とも呼べるものもあったし、逆に非常に厄介な災厄を告げる警告であることもあった。ただ、いずれも情報としてはかなり有益なモノばかりだったと言って良いだろう。さすがは降臨者様、その言葉は《レアル》の恩寵おんちょうつかさどると言われるのも当然と言える。

 ただ、いくら有益な情報であったとしても、そのすべてがありがたいわけではない。リュウイチは最強のゲイマーガメルに相応しく強大な力を秘めており、その一挙手一投足がイチイチ大きな波紋を生じさせてしまう。実際、リュウイチは誰もが目を離した隙に誰にも気づかれることなく、この警備の厳重な陣営本部プラエトーリウムから脱走し、外で娼婦を買って連れ込んでしまった。ただ普通の人間が外へ夜遊びに出かけて自宅に女を連れ込んだというだけならどこででもありふれた話なのだろうが、降臨者という彼の立場と彼の降臨と存在とを秘匿しなければならない状況下でそれを行われては大問題にならざるを得ない。事実、その影響は大変なモノであったし事件は未だに収束していない。それどころかその揉み消しはアルトリウスにとって頭痛の一つとなったままだ。


 そのリュウイチが事……しかもだという。つまり、言い方は悪いが既に取り返しのつかない何かが起きているということであり、それを相談したいということはおそらくアルトリウスが対応しなければならない問題であることを示唆していた。


 まさか、既にまた次の娼婦を買いに行ってしまったとか?


 あり得ない話ではない。リュキスカの生理が始まってリュウイチの専属娼婦としての仕事が出来なくなったのは昨日の夕方と聞いている。つまり昨晩はリュウイチにとって久々の一人寝だったはずで、どれほど厳重な警備を敷こうとも、魔法で空を飛ぶことも瞬間移動することも出来るリュウイチの脱走を防ぐ効果は全くない。そしてリュウイチは唸るほどの金を持っている。


 だとしたらアルトリウスが来た意味はなくなってしまうが……


 内心で身構えるアルトリウスの様子に気づいているのかいないのか、リュウイチはどう話を切り出すべきか頭の中で悩んでいる様子で、言葉を選びながら話し始めた。


『リュキスカの……赤ちゃんの事です。』


「……たしか、フェリキシムスでしたか?」


 アルトリウスの脳裏にクィントゥスたちによって引き取られてきた、今にも死にそうだった赤ん坊のあの日の姿が浮かぶ。あの後すぐにリュウイチの魔法とエリクサーで回復したが、それ以降アルトリウスはフェリキシムスの姿をあまり見ていなかった。


『はい。

 その赤ちゃんですけど、どうやら強い魔力を持ったそうなんです。』


 アルトリウスは深呼吸でもするようにスゥーッと大きく鼻から息を吸い込み、しばらく溜めてからゆっくりと吐き出した。そしてどうやらアルトリウスの反応を待っているらしいリュウイチに気づき、瞬きと同時に眉を持ち上げて保っていたポーカーフェイスを崩すと床に視線を走らせてから、アルトリウスは努めて平静に事実確認を求める。


「その……リュキスカ様が魔力を得たというのはもちろん存じておりますが、赤ちゃんもですか?」


『はい。

 その、オトから報告がありまして……』


 リュウイチは小さく頷くと、いつの間にか少し前屈みになっていた身体を起こした。


『その……赤ちゃんが泣く時に、急に風が吹いたり物が落ちたりと、変なことが起こると。』


 アルトリウスは無意識に右手で口元を覆い、顎をさすった。内容が内容だけににわかには信じがたい。だが、それを話しているのがリュウイチである以上、嘘や勘違いだと断じることも出来なかった。


「それが、フェリキシムスの魔力のせいなんですか?」


『ええ。私も初めて話を聞いた時は耳を疑いましたが、間違いないようです。

 オトの報告によると三、四日前くらいから、赤ちゃんが泣き始めると変なことが起こるようになったそうで……』


「お待ちください。」


 口元を覆っていた手を降ろしたアルトリウスは自らの両膝に両手を突いて上体を前へせり出した。


「フェリキシムスが魔力を得た理由は何となくわかります。

 聖女様サクラは降臨者様と結ばれることで魔力を得る……そのことは広く知られています。

 そしてフェリキシムスはリュキスカ様の御乳を飲んで魔力酔いを起こしていたといいますから、おそらく御乳を通して魔力を得たのでしょう。

 ですが、リュキスカ様はルクレティア様の御指導で魔力制御を学び、今ではフェリキシムスも魔力酔いを起こさなくなっていたと伺っております。

 それなのに……フェリキシムスが魔力を得た?」


 アルトリウスは平静を装ってはいたが、納得できず混乱している様子だった。


 リュキスカの母乳には膨大な魔力が混ざっていることがルクレティアによって確認されている。リュキスカの母乳を一舐めした者は揃って「まるでお酒のよう」という感想を共有していたので、かなりの魔力を含んでいたのだろう。それこそ飲んだ者が魔力酔いをしてしまうほどに……。

 しかし、そのリュキスカもルクレティアから魔力制御の方法を学んでおり、フェルキシムスも授乳の際に魔力酔いを起こさなくなったと報告を受けていた。単純に考えて、リュキスカの母乳に含まれる魔力量が減少したから、母乳を飲んだフェリキシムスも魔力酔いを起こさなくなった……そう思われていた。そのはずだ。アルトリウスが混乱するのも仕方あるまい。


『私もオトから報告を受けた時、そのことを疑問に思いました。』


 その疑問は当然だとリュウイチは頷く。


『これはオトの推測で確認したわけじゃないんですが……

 母乳に含まれていた魔力が無くなったのではなく、赤ちゃんの方が魔力に慣れて酔わなくなったんじゃないかと……』


 なんてこった……


 表情を無くしたアルトリウスは前のめりにしていた上体を引き戻した。

 魔力を持った赤ん坊が感情を爆発させ、魔力を放出して周囲の精霊エレメンタルがそれに呼応し、様々な現象が発生する……そのこと自体は広く知られている。戦後、ゲイマーの血を引く子供たちが誕生した直後に世界中でそういう事故が起きており、中にはせっかく生まれたゲイマーの子がそのせいで死んでしまう不幸も起きていた。ムセイオンに大聖母フローリア・ロリコンベイト・ミルフが招聘され、世界中のゲイマーの子たちが集められる理由として、世界史を学ぶ際には必ず教えられている。


 つまり、フェリキシムスは精霊エレメンタルに影響を及ぼすほどの魔力を持っているってことなのか!?


 並の大人の神官フラメンでも精霊を動かすことはできない。せいぜい精霊の存在を感知する程度である。ごく一部の神官は精霊に呼びかけ、意思疎通を行えるが、その精霊が神官の呼びかけに応じて何らかの仕事をするのは極稀である。しかし、フェリキシムスは泣くたびにという……それはフェリキシムスが赤ん坊でありながら既に大人の神官をも上回る魔力を、おそらくゲイマーの血を引く子供たちに匹敵するほどの魔力を保有していることを意味していた。

 アルトリウスはハッとしてリュウイチの方を見た。


「それでは、精霊エレメンタルの暴走を防がねば!?」


 フェリキシムスが精霊たちに影響するほど魔力を放出しているということは、フェリキシムスに呼応した精霊たちの暴走による事故が起こることを意味している。いや、実際にそれに近い現象が起きていたからこそオトにも気づけたしリュウイチに報告も出来たのだ。この状態を放置すれば、フェリキシムスの魔力に触発された精霊が暴れて火災が起きたり、暴風や地震で建物が倒壊するような大事故も起きかねない。


『!ああ、それなんですが……』


 リュウイチは少し身を引くと、気まずそうにボリボリと頭を掻いた。

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