第788話 出張命令

統一歴九十九年五月十日、昼 ‐ 元老院議事堂クリア・クレメンティア/レーマ



「こ、これは……元老院セナートスを代表する重鎮の皆様が御揃いとは……お、お待たせしたのでなければ良いのですが……」


 回れ右して部屋から出ていきたくなる衝動を堪えつつ、フロンティーヌス・リガーリウス・レマヌスはぎこちない愛想笑いを浮かべるが、それを見る重鎮たちの表情は変わらなかった。


「待ってはいない。

 我々は別の用もあって早く来ていただけだ。

 いいから座り給え、リガーリウス卿。」


 やはり表情も変えず、フースス・タウルス・アヴァロニクスが目を閉じて眉間を揉みながら言う。いかにも面倒なことが起こったと言わんばかりの迷惑そうな態度に、フロンティーヌスは再び胃の締め付けられるような感覚に見舞われる。


「そ、それでは失礼します。」


 フロンティーヌスは強張った半笑いを顔に張り付けたまま、いそいそと指示された椅子に腰かけた。その様子をフースス以外の重鎮たちが冷たい表情でジッと観察し続け、フロンティーヌスはまったく生きた心地がしない。


 な、なんなんだろう?

 アルビオンニアで降臨が起きたからだって言われたけど、それって僕に責任なんてないだろ?!

 怒られるようなことした覚えなんかないぞ!?


 どうも身に覚えのないことで責められているような不安が拭えないが、だからと言って議員たちの失礼にしか思えないその態度に反発するだけの根性などフロンティーヌスは持ち合わせてはいなかった。

 だいたい、目の前にいるフーススは彼にとって……というより彼の家にとっての大恩人であり、頭のあがらない相手である。そしてここで同席している議員たちはそのフーススが頭のあがらない人たちなのだ。フーススと自分の関係を思えば、ここでフロンティーヌスが気に入らないからと言って無礼を働けるわけがない。


 色々気に入らないことや辛いこともおありでしょうが、どうか我慢してください若様。

 今は悪くても議員は長く続けていれば必ずお立場は良くなっていきます。

 それまでの御辛抱です。

 まずは受けた御恩をお返しすることだけをお考え下さい。


 家の者たちからは重ね重ねそう言われ続けている。

 確かに大火で家屋敷を失い、一家の大黒柱パテル・ファミリアースを失い、家を存続させることができるかどうかすら怪しくなってしまった状態から何とか復興できたのはフーススのおかげだ。そして、今フロンティーヌスが元老院議員の肩書を失えば、リガーリウス・レマヌス家は間違いなく没落するだろう。家の存続なんかフロンティーヌスにとってはそれほど大事なこととは思えなかったが、しかし彼の家に仕え続けている使用人たちを思うとそうそう短慮にはなれない。

 ヒトとしてはまだ青年ではあるがホブゴブリンとしては既に中年の域に入っているにもかかわらず、未だにフロンティーヌスを小僧扱いする元老院議員の重鎮たちに対して大人しく忍耐を重ねているのはそれがあるからこそだった。


 我慢、我慢だ……屈辱に思えてもこれに堪えるからこそ偉大な人物は偉大になれるんだ……


 自分に言い聞かせるその行為が、実は自分の成長の妨げになっているナルシシズムそのものだとはフロンティーヌスはまだ気づいていない。


「リガーリウス卿、けいにはアルビオンニアへ行ってもらわねばならん。」


「えっ!?」


 唐突にフーススに言われ、フロンティーヌスはやや大袈裟に驚いて見せる。その様子に驚いたのか、フーススの顔がフロンティーヌスへ向けられた。円卓メンサに置かれた丸太のように太いフーススの腕……その先端の指がトントンとリズムを取りはじめる。


元老院議員セナートスとして重要な仕事だ。

 明日にでも……いや、できれば今日中にレーマを発ち、アルビオンニア属州のアルトリウシアへ向かってもらう。」


 それはまさに命令だった。

 公共交通機関と言えばせいぜい駅馬車と渡し舟ぐらいしか存在しないこの世界ヴァーチャリアで旅行といえばそれだけで大変な大事である。一度出かければ隣町であっても戻るまで数日はかかるのが普通で、まして州境を超えるとなれば数週間や数か月は当たり前にかかるのだ。当然、その間は仕事は出来なくなるし友人や親戚との交流も途絶えざるを得ない。付き合いのある人々や店や業者のすべてに挨拶をし、必要な手当てをしなければならないし、出かけるための荷物をまとめる作業ともなればもはや引っ越しに近い。

 そして出かけるにあたっては出かけた先での宿泊も用意せねばならない。趣味で観光旅行に興じるような文化が無く、旅行という行為そのものが一般的でない世界ではホテルや旅館といった宿泊業なんてものは、ごく一部の聖地や湯治場ぐらいにしか存在していないのだ。当然、出かけた先で宿を探したところで見つかるわけはない。一人や二人といった少人数なら、どこへ行っても現地住民の家を適当に尋ねて頼み込めば三日ぐらいまでなら誰であろうと泊めてくれるだろうが、貴族ノビリタスの旅行となれば使用人や護衛などの随行者を多く引き連れていくことになるのだから話は簡単ではなくなる。知人・友人・親戚・取引先を頼って現地で信用できる者を探し、どこか泊めてくれるように話をつけておかねば野宿するしかなくなってしまうだろう。野宿を前提にすれば余計に荷物が増え、随行者の規模はさらに大きなものへ膨れ上がってしまわざるを得ない。そうなればもはや軍隊の遠征と同じだ。軍隊の遠征計画なんて素人が簡単にできるものではない。軍隊が高度な専門教育を受けた参謀とか軍師とか呼ばれるような幕僚スタッフを必要とするのは、ひとえに高度な“団体旅行”計画を練り上げるために他ならないのだ。


 それを僕に一日でやれって!?

 無理だ!いったい何を言ってるんだフーススこの人は!?


 混乱するフロンティーヌスを置き去りにしてフーススは淡々と話を進める。まるでそれが当たり前であるかのように……


「もちろん、公務で行くわけだから通行証ディプロマは発行する。

 街道の宿駅マンシオーが使えるから旅の途中で食うことと寝ることの心配はしなくていい。準備は最低限でいいぞ。」


「い、い、い、いやっ、ちょっと待ってください!」


 口をパクパクさせながら聞いていたフロンティーヌスだったがさすがに理解が追い付かなくなりフーススに助けを求める。


「なんだ?」


「え、あ、あ、あの……そ、それは……噂の、降臨の件ですか?」


 フロンティーヌスの質問にリズムを取っていたフーススの指がピタリと止まる。指が止まるのに合わせて時間も止まってしまったかのようだったが、緊張に耐えかねたフロンティーヌスが瞬きを数回繰り返すと時間は再び動き始めた。


「知っていたのか?」


 フロンティーヌスの顔を覗き込むようにフーススが尋ねる。それはまるで敵に挑みかかろうとする猛牛を思わせ、フロンティーヌスは慌てて視線を逸らせて目を泳がせ始める。


「いやあぁ、あーー……はい、その……今朝、聞きました。」


 その返事に何人かは鼻で笑い、何人かはホゥッと感心したかのような声を上げる。


 このボンクラでも知っていたか……そんな風に馬鹿にされたような気がしたのはフロンティーヌスの被害妄想などではない。


「知っているなら話は早い。

 そうだ、卿には降臨の事実を確認し、可能なら降臨者に謁見してもらう。」


「まっ、まっ、まっ、待ってください!!」


 何が良かったのかわずかばかり頬をほころばせて話に弾みをつけはじめたフーススだったが、フロンティーヌスは腰も浮かさんばかりにフーススを遮った。フロンティーヌスがここまで激しくフーススに抵抗を試みたことは未だかつてなく、フーススは思わず眉を寄せて身体を仰け反らせる。


「何だ、どうかしたのかリガーリウス卿?」


 悲鳴を上げんばかりのフロンティーヌスにフーススは困惑を禁じ得ない。だが、困惑しきっていたのはフロンティーヌスの方だった。


「す、すみません、タウルス卿……

 その、ボ、僕は降臨したのは暗黒騎士ダーク・ナイト》だと伺いました。

 僕に《暗黒騎士ダーク・ナイト》の前に立てとおっしゃるんですか!?

 殺されてしまいますよ!!」


 フロンティーヌスの顔は既に今にも泣きだしそうな子供のようになっていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る