第787話 魔窟

統一歴九十九年五月十日、昼 ‐ 元老院議事堂クリア・クレメンティア/レーマ



「やっと来たか……」


 元老院議員セナートスフロンティーヌス・リガーリウス・レマヌスの入室を告げる名告げ人ノーメンクラートルの声に一同は雑談を止め、部屋の入口へ視線を向ける。その視線の先に現れたのは輝くばかりの白地に緋色の縁取りをした正衣トガに身を包んだホブゴブリンの青年、フロンティーヌス・リガーリウス・レマヌスその人だった。

 フロンティーヌスを迎えるフースス・タウルス・アヴァロニクスをはじめ守旧派議員たちにとって彼の印象は決して良くない。上級貴族パトリキの子だけあって身形みなりだけはちゃんとしているが、中身は“お坊ちゃまプーエル”そのものだ。しゃべらずジッとしていれば一端いっぱしの貴公子のようだが、立ち居振る舞いはなっておらずまるで落ち着きが無い。所作はだらしないの一言に尽き、政治家の命とも言える“しゃべり”は修辞法こそ修めていて言葉遣いは良いのだが、彼にできるのは言葉遊びだけだ。表情はいつも自信無さげで実際に優柔不断そのものであり、どれだけ立派な言葉を並べ立てたところで彼の口から出たというだけで空虚に感じられてならない。質実剛健しつじつごうけんを地で行くような“男らしさ”を求められるレーマ社会にありながら、若い頃から下手な詩作に興じ続けていた弊害だろう。


 ホントに奴を行かせるのか?


「彼はアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシア軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムです。その立場上、彼をことはできません。」


 上級貴族の癖に馬にも乗れないと聞いたぞ?


「そんなのはただの噂です。

 さすがに乗馬の心得くらいはありますよ。」


 だが、奴を元老院の代表に位置付けるのは……


「彼は正式な使節ではありません。

 あくまでも『メルクリウス目撃の報告を受け、所管する軍団レギオーの視察に出向いた』という体裁をとります。」


 それで現地に着いてみたら偶然にも降臨が起きていた……と言うことにするわけか。だが、途中でレムシウス卿と合流するという話はどうした?


「叶うならそうしますが、レムシウス卿は中道派でどう動くか分かりません。

 サウマンディア軍団レギオー・サウマンディア軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムですから、ウァレリウス氏族に都合のいいように動くかも……」


 ウァレリウス!属州領主ドミヌス・プロウィンキアエの中でも最も皇帝に近い皇帝派最右翼のサウマンディウス伯爵か?

 サウマンディアで奴に取り込まれていれば守旧派われわれにわざと協力しない可能性があるということか……


「そうです。彼が皇帝派と守旧派われわれのどちらに着くかまだ分かりませんが、これを機に皇帝派に擦り寄る可能性もあります。

 レムシウス卿に合流を避けられては、守旧派われわれの使節はオリエネシア属州で立ち往生することになるでしょう。」


 ということはやはり元老院われわれの正式な使節は皇帝のより遅れざるをえんではないか。皇帝に先んじられては、守旧派われわれは不利になるぞ。


「だからリガーリウス卿です。

 レムシウス卿と合流できなくても、彼なら無理なくアルビオンニア属州まで行ける。行ける大義名分が既にある。

 しかも降臨者が収容されているアルトリウシアまで直接行けるんです。」


 だが、それで送り出せる使者がリガーリウス卿あの若造では意味があるのか怪しいものだ。


「仕方ないではありませんか、守旧派議員我々の中で帝国南部の辺境軍リミタネイ軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムなのは彼だけなんです。」


 チッ、いっそのことレムシウス卿が戻るまで待った方がいいんじゃないのか?

 皇帝だってムセイオンからの返事を待たね使者を立てることなどできんのだ。

 ムセイオンへ報告し、その返事が返って来るまで往復でひと月半はかかるだろ?


「レムシウス卿がいつ帰って来るかはまだわかりません。

 奴は自分の商売のために議員セナートルになった中道派ですからね。もしかしたら降臨者に取り入るために、まだアルトリウシアに留まっているかもしれない。

 それにムセイオンの返事はおそらくひと月半もかかりません。もしかしたらもう返事をもらっているかも。」


 馬鹿な、郵便システムタベラーリウスを使っても片道で半月はかかるんだぞ!?

 ムセイオンだって報告を受け取ったら返事を出す前に賢人会議サピエーンスで色々話し合うはずだ。


「ところが、皇帝は既に報告をし終えてるんですよ。

 『魔法の鏡』スペクルム・マギクスを使って、大聖母グランディス・マグナ・マテル様と直接話をしたそうです。」


 なんだと!?ああ、そうか、アレがあったか……

 すっかり忘れていた。しかし、本当に使えたのか……


「昨日、皇帝から秘匿要請が届いたでしょう?

 あれは大聖母グランディス・マグナ・マテルからのものだそうです。

 降臨したのが《暗黒騎士ダーク・ナイト》なら、ムセイオンの聖貴族コンセクラトゥムたちが親の仇を討とうと飛び出しかねないとね。

 でもそんなことになれば聖貴族コンセクラトゥムが全滅してしまう。」


 そういうことか。てっきり、我々の人選を妨害するための方便かと思ったが……


「とにかくレムシウス卿を待ってはいられません。

 元老院われわれはすぐにでも最初の使者を出さねばならんのです。」

 

 だが正式な使節はレムシウス卿が帰ってからでなければ出せない?


「そう、だからリガーリウス卿なんです。

 正式な使節としてではなく、現地の軍団レギオー軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムとして視察しに行かせるんです。」


 理解できるが言い訳としては苦しくないか?

 いくら現地軍の幕僚トリブヌスだからといって、元老院議員セナートルが普段は行きもしない辺境に降臨が起きたからって行くのはいくらなんでも見え透いている。


「だから、世間に降臨の事実が広まる前に彼には発ってもらわねばなりません。」


 無理だろう。もうレーマに噂は広まっているぞ?


「何ですと!?

 皇帝から秘匿要請が来た後、私からも連絡したじゃないですか!

 一体、誰が広めたんです?」


 それは知らん。

 だが、もうかなり広まっているようだ。


「なんてこった!

 リガーリウス卿を送り出してから噂を流すつもりだったのに……」


 広まってしまったものはもうどうしようもないぞ。

 どうする?


「どうするも何も、守旧派われわれとしては彼を送り出す以外に手はありません。

 こうなれば少しでも早く送り出し、リガーリウス卿が噂を知る前にレーマを発ったことにするだけです。」


 フロンティーヌスが入ってくる前、議員たちの間で交わされていた会話によって頭を痛めていたフーススは自分がいかにも不機嫌そうな表情をしているという自覚が無かった。


うわぁ……


 室内に入り、フーススをはじめ元老院守旧派の重鎮たちがそろいもそろっていかめしい視線をこちらに向けているのを認めたフロンティーヌスは思わず表情を強張こわばらせて立ちすくむ。

 フーススはまぁいつものことだ。フロンティーヌスにとってフーススは自分が元老院議員として家を立て直すうえで一番世話になった大恩人であり、厳しくて何かにつけてしょっちゅう怒るがそれでもフロンティーヌスには必ず良くしてくれる。怖くはあるが、彼の言うことを聞いていれば間違いはなく、言ってみれば第二の親父のような存在と言えるだろう。だからああやって怖い顔をしてこっちを見てくるのはまだ仕方ないし我慢も出来る。というか、それがフロンティーヌスが受け入れるべき試練のようなものだ。

 だけど他の重鎮たちは違う。彼らはちっともフロンティーヌスのためになることをしてくれたわけではない。まあ、主席元老院議員プリンケプス・セナートスのピウス・ネラーティウス・アハーラはフロンティーヌスの失敗をフォローしてくれたりすることもあるが、しかし他は違う。コルネイルス・コルウス・アルウィナなんかは悪口を言うばかりでちっとも良くしてくれたためしがない。今も嫌な奴が来たと言わんばかりに不満げにため息をついている。


 何だよそれ、ため息をつきたいのはこっちだよ……


 胃がキュウッとするのを感じながらフロンティーヌスはゴクリと唾を飲みこんだ。


「よく来てくれたリガーリウス卿。

 そんなとこへ突っ立ってないで、まあこっちへ来て座れ。」


 ヒトのくせにホブゴブリンのフロンティーヌスより背が低く、ホブゴブリンのフロンティーヌスよりガッシリとした筋肉を身に着けた大恩人フーススがまるで何かを諦めたように、フロンティーヌスから視線を逸らして目の前の空いている椅子セッラを指示した。

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