第1323話 大人の仲間入り

統一歴九十九年五月十二日・朝 ‐ マニウス要塞陣営本部プラエトーリウム・カストリ・マニ/アルトリウシア



「カール・フォン・アルビオンニア侯爵公子閣下が参られました」


おはようございますグーテン・モーゲン


 飛び込んできたカールは頭からすっぽり被っていた毛布を跳ねのけると元気に挨拶した。食堂トリクリニウムの入り口でネロがカールの入室を告げてから実際にカールが入って来るまでほとんど間が無かった。普通なら先に室内にいる人たちが来客を招き入れるための間を開けてから入室するものだが、どうやらカールはリュウイチたちを驚かせたようである。カールのそうした悪戯心を知ってか知らずか、先に食堂で席についていた男たちは驚きながらも頬を綻ばせた。


「おお! カール侯爵公子閣下、今朝はこちらですかな?」


「はい!

 母上が今日はこちらに行きなさいって」


 相好を崩したルキウスが尋ねるとカールは照れ笑いを浮かべながら答える。顔が赤いのは食事の前の運動で中庭ペリスティリウムを歩いていたことばかりが理由ではない。


 レーマでは来客がある時、食事は男女別々に摂るのが習慣だ。が、子供は男の子でも女たちと一緒に摂る。来客を招いて食事を摂る際、大人の男たちと同じ食卓につくということは、レーマの男の子たちにとって大人の階段を一段昇ることを意味していた。

 ランツクネヒト族は文化も宗教も異なるためレーマのそうした慣習にならっているわけではなかったが、レーマ帝国の中で上級貴族パトリキとしての立場を堅持しなければならないアルビオンニア侯爵家はランツクネヒト族以外の来客がある際はレーマの慣習に従うようにしており、カールも普段は来客がある時は大人の男たちとではなく、女たちと一緒に食卓を共にしていた。ベッドから起き上がれなくなってからは来客がある時はボッチ飯確定になっている。それがここの所、急激に変化していた。


 リュウイチに魔法や魔法薬ポーションで病気を治療してもらうため、カールは家族の下を離れてリュウイチのいるマニウス要塞カストルム・マニで暮らすようになった。深刻な病のためベッドに寝た切りになっていたカールが家族から離れるのは初めてのことだった。そんなカールが少しでも寂しくないよう、リュウイチはカールを自分の家族のように扱い、食事はなるべく一緒に摂るようにしていた。おかげでカールは家族でも家臣でもない男と初めて食卓を共にする経験をした。

 だが来客がある時はそうでもなくなる。男女で食卓を分けねばならない状況では、カールはやはり女たちと食卓を共にすることを余儀なくされたのだ。来客がアロイス・キュッテルならば一応叔父なのでアロイスを家族の一員と見做すことで男たちとの食卓が許されたのだが、ランツクネヒト族以外の来客があるとそうもいっていられなくない。母や姉や妹が来てくれてればまだ気楽だが、侯爵家が居ない時はルクレティアやリュキスカといった家族以外の女性に囲まれて食事をしなければならないのだ。

 ルクレティアはまだ小さいころから知っているからまだいいが、ルクレティアがアルビオンニウムへ旅立ってしまうとリュキスカと二人で食事をしなければならなくなる。いや、別にリュキスカが悪いというわけではない。だだ互いに性別も身分も年齢も経験も住んでいた世界そのものが違う者同士であるため、お互いに何を話していいか分からないのだ。お互い相手に気を使いはするのだが互いに何をどうしていいか分からず、お互いにお互いを持て余しあって非常に居心地が悪かった。

 そしてリュキスカが生理でダウンした。リュウイチとカールの二人きりになりそうになった晩、いきなりアルトリウスが尋ねて来た。本来ならリュウイチとアルトリウスが食卓を囲み、カールは別室でボッチ飯ということになりそうだったが、それでは可哀そうだからとリュウイチはカールを呼び寄せ、食卓を共にした。レーマの客人……それも男性客との食事は、大きなパーティーのような会食は別として、カールにとって初めてのことだった。が、それも他に女性が居なかったから特例でそうなっただけで、女性が居ればそうはならなかっただろう。つまり、カールはまだ大人の階段の上を覗かせては貰えたが、実際に昇ることは許されていなかったわけだ。


 しかし今日、カールは大人の階段を一つ昇ったのである。今日は男女で食卓を分ける朝食で、他に女性が、家族がいるにもかかわらず、カールは大人の男たちと食卓を囲むようにと、母エルネスティーネに言われたのだ。そして大人の男たちも歓迎してくれたのだ。周囲の大人たちが、カールの成長を公に認めてくれたということなのだった。

 最初、母にそれを言われた時、カールは意味が分からずキョトンとした。が、リュウイチたちが居る食堂へ続く回廊ペリスタイルを歩いているうちにその意味がカールの中で頭をもたげはじめ、カールはそれを自覚するとともに自分が興奮してくるのを禁じ得なかった。食堂の扉をくぐったカールの真っ白な顔が真っ赤になっていたのは、そういう背景があったのである。


 カールが自分たちと食卓を共にすると知ったルキウス、アルトリウス、そしてリュウイチは揃って腰を浮かせて自分の椅子をずらし、カールのための場所を開け、ネロやロムルスがそそくさとカールのための椅子を用意する。朝食を前に思わぬ騒ぎだが、誰一人不快そうな顔をしている者はいない。レーマ貴族にとってもカールがこうして大人の男の仲間入りを果たすのは喜ばしい事であったし、未だにレーマの文化に精通しているとは言えないリュウイチはその意味をよく理解していなかったものの、リュウイチにとって少年のために場所を用意してやるくらいは特に負担に感じるようなモノでも無かったからだ。


 赤い顔したカールが小鼻を膨らませ、鼻息も荒く用意してもらった椅子に座る。これまでであれば誰かが介助するところだが、今日は誰もそれをしない。カールの家庭教師のミヒャエル・ヒルデブラントや奴隷のネロなどはいつでも手を出せるよう態勢を整えてはいるが、他の男たちは頼もし気にカールの様子を見守っていた。


「ふーっ」


 椅子に腰を落ち着けたカールが大きく息を吐くと、男たちは満足げに笑い、自らも腰を落ち着ける。


『カール君、こっちで良かったのかい?

 せっかく御家族が来てくださったのに』


 普段、カールはリュウイチと食事を摂っている。しかし今日はせっかく家族が来てくれている。週末しか会えない家族と食事を共にする機会をカールが失うことをリュウイチは心配していた。だがカールは今は女の世界に戻りたいとは思っていない。追い返されてはたまらないとムキになったように答える。


「いいんです!」


『本当に?

 食べるメニューはどうせアッチと一緒だよ?』


 高校生の時に不慮の事故で家族を失ったリュウイチにとって、家族との時間は何よりも貴重なものだ。リュウイチは自分のせいでカールがその貴重な家族との時間を失うことを望まない。カールも他の男たちもリュウイチのそうした背景は知らないが、少なくともカールのことを思いやって言っているのだろうという程度のことは想像できた。それにムキになって反発しては、リュウイチのせっかくの好意を悪意で返すことになってしまうだろう。カールは悪戯っぽい笑みを一瞬浮かべると、次の瞬間にすまし顔を作って言った。


「こっちは食べる前にお祈りしなくていいから、こっちの方がいいんです!」


 これにはルキウスもアルトリウスも笑わざるを得なかった。リュウイチは確かに食事の前、手を合わせて「いただきます」とは言うだけで神に感謝の祈りを捧げたりはしない。

 カールは自分のユーモアを笑ってもらえたことに喜び、作っていたすまし顔を思わずニヤケさせるが、次の瞬間ハッとなって後ろに控えているミヒャエルを振り返った。ミヒャエルは困った様な苦笑いを浮かべていた。


「今の母上に告げ口しないでよ、老師アルター!?」


若殿よユンカー・ヘル、御安心ください」


 ミヒャエルは首を小さく振って言った。


「そのような恥ずかしいこと、流石に誰にも言えません」


老師アルター・マイスター!!」


 ミヒャエルの言いようがショックだったのか、カールが情けない声を上げると再び笑いが起きた。

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