第1289話 伝説の味

統一歴九十九年五月十一日、夜 ‐ グナエウス砦陣営本部プリンキパーリス・ブルギ・グナエイ西山地ヴェストリヒバーグ



 この世界ヴァーチャリアにもリンゴは多くの種類が存在していた。その多くは《レアル》から持ち込まれたものを先祖に持つ品種であるという。特にゲイマーガメルが持ち込んだリンゴは粒が大きくて甘く、食べると疲労が回復し体力と健康が大きく増進するというので随分と珍重された。だが、突然世界中の気候を数年にわたって寒冷化させ、世界中を飢餓へ落とし込んだ大災害を経て、リンゴも他の農作物と同様に多くの品種が失われてしまっている。

 大災害からそれを契機に起こった大戦争にかけて、この世界で尚も活動し続けたゲイマーたちによって粒が大きくて甘いリンゴは再び継続的に持ち込まれ続けたので結果的に絶滅は免れている。だが、それらはいずれも温暖な気候に適応した品種であった。

 アルビオンニアのような寒冷な気候に適応した品種となるとゲイマーが降臨するようになる以前から世界に定着していた品種しかない。しかし、ゲイマーが持ち込んだ品種は既存種よりも格段に優れていたため、栽培できる地域ではほとんど新種に植え替えられてしまっており、既存種は新種が気候等の環境の問題で栽培できない地域で栽培され続けていたものか、あるいは栽培が放棄された後も観賞用として栽培されつづけたり、あるいは耕作放棄地で野生化したものしか残っていなかった。アルビオンニアに持ち込まれ、現在栽培されているリンゴはそうした品種である。

 粒は小さく、テニスボールくらいの大きさしかない。そして硬く、甘味よりも酸味が強く、そして渋味すらあった。見た目がリンゴなだけでもはや別のまったく植物ではないかと疑いたくなるような代物である。それでも根強い需要はありつづけた。「一日一個のリンゴは医者を遠ざけるAn apple a day keeps the doctor away」ということわざは根拠があって生まれたものなのだ。果実というだけで豊富なビタミンが期待できるが、干すなどして保存食にすることも出来るリンゴはアルビオンニアの長い冬を通じて健康的な食生活を保つうえで欠かせない存在だったのだ。ゆえに、不味くても品質が悪くても生産せざるを得ない。


 ただ、酸味と渋味が強いので生で食べる人はあまり多くない。大概は何らかの加工を施して食される。アップルパイやコンポートなど加熱するのが一般的だ。熱すると甘味が際立ち、酸味や渋味が抑えられるから食べやすくなるのだ。他にも漬物にしたり発酵させたりといった方法もある。

 今回カエソーが飲んでいた、そしてティフにも提供された果汁飲料テーフルトゥムもそうしたリンゴの活用法の一つだった。リンゴを砂糖や蜂蜜を加えながら似てシロップを作り、それを水で薄めて提供するわけだが、今回は水ではなく冬の外気で冷やされた炭酸水を使っている。

 原料となっているシロップは甘いものが苦手な人間なら一舐めしただけで顔をしかめて逃げ出す様な、もはやリンゴ風味の砂糖と言っても過言ではないくらいの甘ったるく喉に絡みつきそうな代物だが、冷たく冷やされている上に炭酸の刺激も加わって糖分の多さの割に甘さの主張は控え目で非常に飲みやすい。おかげで飲み過ぎに注意しないと糖分の過剰摂取になってしまうだろう。実際、この砦でこの炭酸果汁飲料を飲む機会の多い者の間では虫歯の罹患率が飛びぬけて高くなっていた。虫歯なんて食生活の恵まれた貴族でもなければなることなんてないのが常識のこの世界でである。


 だが糖分を大量に一気に摂取させることができるというのは悪い事ばかりではない。疲労回復・軽減のためには糖分とビタミンが豊富な炭酸果汁飲料は最適だ。実際、この砦を訪れた……つまり峠道を重たい装備を担いでほぼ丸一日かけて登ってきた兵士たちには非常に喜ばれている。そしてもう一つ、糖分を大量に一気に摂取させることができる飲食物の優れているのは、気分転換を促す効果が高い点だ。

 人間、イライラしたり不機嫌になってしまったりするのは色々と原因があるものなのだが、健康な人が不機嫌になりやすくなるのは体内の糖分が減って血糖値が下がっているのが理由であることが割とある。そういう時、飴玉の一つでも舐めて糖分を補給してやると、気分が落ち着いてイライラが収まりやすい。無論、血糖値だけが不機嫌の原因ではないから飴玉に頼り過ぎれば健康リスクにつながるので要注意だ。

 ともかく、カエソーは狙っていたわけではなかったが、今回の果汁飲料は暗礁に乗り上げかけていたカエソーとティフの交渉に影響を与えることになった。


「ファンターだな……」


 ティフは二口目を飲み込むと満足そうにそう言った。


「ファンター?」


 カエソーはやや怪訝そうに眉をひそめつつ、聞きなれない単語を訊き返す。するとティフは嬉しそうにカエソーへ笑いかけた。


「知らないか?

 《レアル》の伝説の飲み物だ。

 コーラーというポーションの発展型……というか亜種らしい。

 俺も実物は飲んだことはないが、果物の果汁と炭酸水をベースに作るのだそうだ」


「ほう」


 初めて聞く話にカエソーは少し驚いたように眉を持ち上げて見せた。実際にそれほど強い関心があるわけではない。


「《レアル》の飲み物が偶然ここで作られていたというわけですかな?」


「そんなわけはないだろう!」


 カエソーが冗談めかして言うとティフは馬鹿にするように答えた。


「コーラーは一口飲むと喉の潤すとともに万病を癒すという神秘のポーションだぞ!?

 亜種とはいえそんな凄いポーションを、偶然でもヴァーチャリアで作れたりするもんか。

 だいたい、これには魔法効果なんてないじゃないか!」


 軽い冗談のつもりだったのに予想以上の反発にカエソーは内心辟易へきえきし、グルグリウスに視線を送ってヤレヤレと呆れて見せる。グルグリウスは同情するように肩をすくめて見せた。もちろん、その様子にティフは気づいていない。

 ティフはしかし、反発してみせた割には機嫌を悪くしたわけではないようだ。むしろ満足したように三口目を飲み、目を閉じて余韻を楽しんでは満足げに茶碗ポクルムの中身を見直す。


「だがきっとファンターってのはこんな味だったに違いない。

 クソ、何でこんなに美味いんだ?


 ……そうか、冷たいからか!?


 ムセイオンでも伝説のコーラーやファンターを再現しようと研究してるんだ。

 だがうまくいっていない。

 魔法効果が無いのは仕方ないとして、味が聞いていたのと違うんだ。

 甘味が過剰で、喉に絡みつくようで、のど越しが悪い。飲んだ後もいつまでも味が口の中に残っていて、飲めば飲むほど喉が渇いていくような感じなんだ。


 だけどコイツはどうだ。

 間違いなく凄く甘そうなのに、飲みやすい。

 スッと入っていく感じがしてすっきりするんだ。

 うーん、きっと冷たいせいだな。きっとそうだ。

 そうか、何で温度だって気づけなかったんだ」


 ブツブツと独り言を繰りながらティフはゴクリゴクリと飲んでいく。そしてついには茶碗に注がれていた全てを飲み干してしまった。

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