第1290話 交渉再開
統一歴九十九年五月十一日、夜 ‐
ティフが空になった
「お気に召したようで何よりでした。
何なら、いつでも御賞味いただけるよう計らいましょうか?」
従兵がカエソーとティフの前から空になった茶碗を下げるのを無視するようにカエソーが言うと、ティフはフッと笑った。
「馬鹿にするな。
まさか俺たちがコレのために投降するとでも思ってるのか?」
カエソーはティフが先ほど飲んだ炭酸果汁飲料を「ここの名物」と紹介していた。シュバルツゼーブルグでもそんな飲み物なんかなかったようだったから、カエソーの言う「ここ」とはこの砦のことを指すに違いない。だいたい、この近くにあるという炭酸の泉から汲んだ炭酸水をシュバルツゼーブルグまで運んだら気が抜けて発泡などしなくなってしまうだろう。
ということは、炭酸果汁飲料を飲めるのはこの砦か、あるいは砦にほど近い宿場のみということになる。その炭酸果汁飲料を飲めるようになるためには、つまり大人しくレーマ軍に捕まってこの砦に収容されることを意味しているに違いない。いくら何でもたかが炭酸ジュースのために仲間たちを裏切ってレーマ軍に投降するほどティフは愚かではなかった。
「いえいえまさかまさか!」
睨むティフにカエソーは両手を翳しながら首を振る。
「もちろん、そうしていただくのが一番ですがね。
ですが、仮に投降するにしても御仲間を説得するには最低でも一週間必要なのでしょう?
しかし我々はその前にサウマンディウムへ帰らねばならぬ身なのです。
仮に
「では何が言いたいんだ?
交渉は決裂したんだろう?」
呆れや不満といった感情を隠しもしないティフにカエソーは答えることもなく見つめ返した。従兵がお代りを注ぎ終えた茶碗を二人の前に出している間、カエソーは口元を手で覆い隠したままティフとジッと見つめ合う。いや、睨み合うと言った方が正確なのかもしれない。二人とも表情は決して相手を威嚇するような悪意をあからさまにするようなものではなかったが、互いの目には
先に視線を逸らしたのはカエソーだった。茶碗を手に取り、口元へ運ぶ。
「
茶碗の中で静かに泡を立てる果汁飲料を見下ろしながらカエソーは呟くように言った。ティフはそんなカエソーをジッと睨みながら自分の茶碗を手に取る。
「お互いに妥協の余地はない……それは閣下もおっしゃられただろう?」
「確かに言いました。
ですが
ティフは嫌そうに顔を歪めると果汁飲料を一口飲んでいった。
「どういうことだ?
俺はレーマ軍の代表者と話をしていたのではなかったのか?」
カエソーは薬と笑って茶碗を降ろす。
「いや、確かにそうです。
ただ、どうせ手柄をあげるなら自分でと思うのは仕方ないではありませんか」
「ではどういうことだ、待てるということか?」
愛想笑いを浮かべるカエソーに苛立ちを噛み殺すようにティフは尋ねた。
カエソーの答がどうであろうとティフに投降する意思はない。ムセイオンを脱走してきてしまっている以上、降臨術の再現に挑戦できるのは今回の旅でだけなのだ。ここで失敗してムセイオンに連れ戻されれば、おそらく二度とムセイオンから出してもらえなくなるだろう。
だがムセイオンに連れ戻される前に降臨術に挑むためにも、ティフはこの場を脱出しなければならなかった。実力を行使しての強引な脱出は既に諦めている。グルグリウスの実力がティフの予想を上回っていたからだ。となれば、ティフはカエソーを騙して解放してもらうか、あるいは一度捕まったうえで隙を見つけて脱走するしかない。そして後者よりも前者がベターなことな言うまでもないことだ。
幸いなことに、ここへきてカエソーがチャンスをほのめかし始めた。これに乗らない手はないだろう。
「先ほども言いましたが、
ですが
カエソーの説明を聞きながらティフは果汁飲料を一口啜った。
「そのためには
それにはつまり、そのための場所も必要となるということです」
「この砦を
何やら悪い冗談でも聞かされたようにティフはフッと笑いカエソーから視線を顔ごと逸らせた。
「どことも知れぬ場所に寝泊まりされて余計なトラブルを引き起こされるよりは、その方がマシ……そうお考えいただければ御理解しやすいかと思いますが?」
「それで
いくら何でも間が抜けすぎだろ、舐めてんのか?」
「いや、そんなことは考えてませんよ……」
カエソーとしてはそんなことは考えてなかったのだが、言われてみればその通りだと気づき、自分の軽卒を恥じてカエソーもまた顔を逸らして自嘲した。
「これ以上事件を起こさないこと、出頭を前向きに検討していただくことを御約束いただければ、我々としてもそれくらいの譲歩は検討するということです。
もちろん、いつまでもというわけにはいきませんが」
「猶予をくれるということか……」
「そういうことです」
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