第1008話 制圧
統一歴九十九年五月十日、朝 ‐
リュウイチとオト、そしてリュウイチの《
《風の精霊》は本来、
では《風の精霊》は?
もちろん、大気の運動エネルギー……すなわち風に宿るわけだが、他の精霊の宿るエネルギーと違ってエネルギーの密度が高いわけでもなければ、永続的でもない。風は滝や潮流のように常に一定以上の力で流れ続けるわけではないのだ。
ただでさえ肉体を持たず、必然的に存在が不安定にならざるを得ない精霊たちのなかで、《火の精霊》と《風の精霊》はどうしても個体としての寿命は短いものにならざるを得ない。結果、《火の精霊》や《風の精霊》は《地の精霊》や《水の精霊》に比べ、どうしても短絡的かつ
リュウイチが召喚した《風の精霊》は《
そんな《風の精霊》にとって、他の精霊を支配下に置いて何も面白いことが起きないようにするという仕事は不本意極まるものである。「風」の本性とはまったく相反するではないか。だから本音では引き受けたくなかった。
だから自分なら簡単にできると分かっていたにもかかわらず、ずっと
最大の理由は目立たないことである。
召喚したモンスターや精霊を使うのはどうしても結構な騒ぎになってしまう。ルクレティアに
リュキスカは実質的にはルクレティア以上にリュウイチに近い地位を得てしまったもう一人の聖女であるため、やはり精霊の力を預けることは理屈の上では問題ないはずだが、やはりルクレティアの時と同じような騒ぎにはなるだろう。少なくともこれ以上のゴタゴタを回避するためにも、領主であるエルネスティーネ・フォン・アルビオンニア侯爵夫人とルキウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵に事前に話を通しておく必要はあるはずだ。
ところが、今エルネスティーネもルキウスも共に
一応、今のような状況ではクィントゥスに話をすべきなのだろうけど、これほどの件となるとクィントゥスの裁量権では収まらないので結局エルネスティーネかルキウスかアルトリウスに話を持って行かねばならなくなるに違いない。
しかし、オトの話を聞く限り対処だけは早くせねばならぬようだ。事故が起こってからでは遅すぎる。
そこでリュウイチはひとまず《風の精霊》に目立たないようにフェリキシムスを守るように命じ、事後承諾を得る形でエルネスティーネとルキウスとアルトリウスに話をつけようと考えた。
今日は金曜日だからどうせ明日には彼らはマニウス要塞に来るはずだ。もし《風の精霊》をフェリキシムスに付けていることが誰にもバレないようなら、既に付けていることは隠しながら相談して承諾を得るという形に持って行っても良いだろう。
まあ、大きな事故を未然に防ぐためにすることなんだから、誰も反対はしないだろう。特にルキウスさんは話の分かる人だし。それにルクレティアに《
要は、リュウイチの反省は不十分だったわけだ。その結果として《風の精霊》は
やむを得ず《風の精霊》はオトに連れられてリュキスカの部屋へ行く……と、さっそく野良の《風の精霊》たちが派手に暴れている真っ最中だった。しかもその惨状は《風の精霊》はもちろん、オトの予想すら超えるものだった。
母を求めて泣きわめく
月経による体調不良で魔力を制御できなくなっていたリュキスカは無意識のうちにフェリキシムスを遥かに超える魔力を放出してしまっており、それに食いついた野良の精霊たちが狂喜乱舞してしまっていたのだった。
幸い、野良精霊たちの乱舞は強大な《風の精霊》の乱入によって一挙に鎮圧されてしまったが、しかし短時間とはいえ精霊たちが繰り広げた
ああクソ、何だって俺ばっかりこんな……
そんな悪態を心の中でつくのは作業を始める最初だけ。印刷工房で職人として働いていたオトは、ひとたび手を動かし始めると無心になる。
オトが黙々と部屋を片付けている間に赤ん坊を抱いたリュキスカが自分のベッドへ戻り、遊び、そしてそのまま赤ん坊と一緒に横になる。一時間ほどもするとあれだけ散らかっていた部屋は綺麗に片付いていた。元々部屋の広さの割に荷物が少なかったのが、早く片付いた最大の理由だろう。
『《
片付いた部屋とベッドで穏やかな寝息を立てる母子を確認したオトはリュウイチに教わったばかりの念話で《風の精霊》に問いかけた。
通常、高位な精霊が魔力も持たない人間の呼びかけに応じることはまずない。精霊は念話でコミュニケーションをとるが、念話はそれだけで魔力を消費する。まして魔力のない人間が相手だと余計に魔力の消費が激しくなってしまう。魔力だけで生きる精霊にとって、魔力の無駄な消耗ほど嫌なことはない。
オトは魔力はおろか神官の素養も持ち合わせていない。なので精霊にいくら呼びかけたところで応えてもらえることなどまずあり得ないのだが、《風の精霊》はリュウイチからオトと協力するように厳命されていたので、オトの呼びかけにもちゃんと応えてくれた。
『ええ、大丈夫ですよ。
ここは思ったより居心地の良い場所です。
私は気に入りました。
これからはこの部屋で野良
大見得を切る《風の精霊》の声色はどこか嬉しそうに聞こえた。
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