第1008話 制圧

統一歴九十九年五月十日、朝 ‐ マニウス要塞陣営本部プリンキパーリス・カストリ・マニ/アルトリウシア



 リュウイチとオト、そしてリュウイチの《風の精霊ウインド・エレメンタル》を交えた話し合いはあのあと割と簡単に片付いた。結局、野良のら精霊エレメンタルたちが悪戯いたずらをしないよう、《風の精霊》がフェリキシムスの面倒を見ることになったのだ。

 《風の精霊》は本来、刹那せつな的で悪戯好きな傾向がある。精霊はこの世に存在する何がしかのエネルギーに意識が宿ることで生まれる、肉体を持たない魔法的生命体と考えられている。自意識を持ち、他者とコミュニケーションができるほど高位の存在となると、その母体となるエネルギーはそれなりに強力なものとならざるを得ない。《火の精霊ファイア・エレメンタル》ならば街を焼くような規模の大きい火災や、鉄をも溶かすような高温の炎に宿る。《水の精霊ウォーター・エレメンタル》ならば割と規模の大きい滝や河川、あるいはアルビオーネのように海峡の潮流など大きな水の運動エネルギーに宿る。《地の精霊アース・エレメンタル》などは基本的に火山や地中深くのマグマなどに宿るため、野生のものとなると非常に強大な力を持っているにもかかわらず人間との接点は意外なくらい少なく縁の薄い存在だったりする。


 では《風の精霊》は?


 もちろん、大気の運動エネルギー……すなわち風に宿るわけだが、他の精霊の宿るエネルギーと違ってエネルギーの密度が高いわけでもなければ、永続的でもない。風は滝や潮流のように常に一定以上の力で流れ続けるわけではないのだ。

 ただでさえ肉体を持たず、必然的に存在が不安定にならざるを得ない精霊たちのなかで、《火の精霊》と《風の精霊》はどうしても個体としての寿命は短いものにならざるを得ない。結果、《火の精霊》や《風の精霊》は《地の精霊》や《水の精霊》に比べ、どうしても短絡的かつ享楽きょうらく的な性格になりやすい傾向にあった。

 リュウイチが召喚した《風の精霊》は《暗黒騎士リュウイチ》をエネルギー源としているため、他の《風の精霊》とは比較にならないほどの長寿を誇っていたが、それでも彼自身が言ったように刹那的で悪戯好きな傾向は持っていた。実際、一か月前のリュウイチが降臨したその日、アルトリウシア湾でハン支援軍アウクシリア・ハンの軍船『バランベル』号と接触した時、《風の精霊》は《火の精霊》と共に派手な戦闘が起きるのを期待して散々リュウイチをけしかけていたくらいだ。


 そんな《風の精霊》にとって、他の精霊を支配下に置いてという仕事は不本意極まるものである。「風」の本性とはまったく相反するではないか。だから本音では引き受けたくなかった。

 だから自分なら簡単にできると分かっていたにもかかわらず、ずっと韜晦とうかいを続けていた。リュウイチに自分で行って精霊たちを支配しろと勧めたのもそうだったし、その後もリュウイチの使役する魔物や他の精霊を充てるように勧めたくらいだ。だが《風の精霊》にとって残念なことに、リュウイチは《風の精霊》に赤ん坊の世話をするよう命じることになった。


 最大の理由は目立たないことである。

 召喚したモンスターや精霊を使うのはどうしても結構な騒ぎになってしまう。ルクレティアに魔導具マジック・アイテムを授けた時も、《地の精霊》の宿った指輪『地の指輪』リング・オブ・アースが一番問題視されてしまった。一応、ルクレティアはリュウイチに仕える聖女サクラであり、奴隷たちと同様リュウイチの身内として位置づけられるため理屈の上では何を渡そうが問題ないのだが、それでも強大な力を持った精霊がヴァーチャリア人の手に渡るとなるとハイソーデスカと簡単に納得しては貰えない。

 リュキスカは実質的にはルクレティア以上にリュウイチに近い地位を得てしまったもう一人の聖女であるため、やはり精霊の力を預けることは理屈の上では問題ないはずだが、やはりルクレティアの時と同じような騒ぎにはなるだろう。少なくともこれ以上のゴタゴタを回避するためにも、領主であるエルネスティーネ・フォン・アルビオンニア侯爵夫人とルキウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵に事前に話を通しておく必要はあるはずだ。

 ところが、今エルネスティーネもルキウスも共にティトゥス要塞カストルム・ティティにいて直ぐには会えない。ルキウスの養子で現在領主代行を務めているアルトリウス子爵公子も同じくマニウス要塞カストルム・マニを留守にしている。他の貴族ノビリタスもほぼ全員が昨夜はティトゥス要塞に集まっていて、今現在相談できる相手が近くにいないのだ。

 一応、今のような状況ではクィントゥスに話をすべきなのだろうけど、これほどの件となるとクィントゥスの裁量権では収まらないので結局エルネスティーネかルキウスかアルトリウスに話を持って行かねばならなくなるに違いない。

 しかし、オトの話を聞く限り対処だけは早くせねばならぬようだ。事故が起こってからでは遅すぎる。

 そこでリュウイチはひとまず《風の精霊》に目立たないようにフェリキシムスを守るように命じ、事後承諾を得る形でエルネスティーネとルキウスとアルトリウスに話をつけようと考えた。


 今日は金曜日だからどうせ明日には彼らはマニウス要塞に来るはずだ。もし《風の精霊》をフェリキシムスに付けていることが誰にもバレないようなら、既に付けていることは隠しながら相談して承諾を得るという形に持って行っても良いだろう。

 まあ、大きな事故を未然に防ぐためにすることなんだから、誰も反対はしないだろう。特にルキウスさんは話の分かる人だし。それにルクレティアに《地の精霊アース・エレメンタル》を付けたのに、リュキスカに何もしないってのもアレだし……。


 要は、リュウイチの反省は不十分だったわけだ。その結果として《風の精霊》は不承不承ふしょうぶしょうながらもオトと協力してフェリキシムスを守ることとなったのだった。

 やむを得ず《風の精霊》はオトに連れられてリュキスカの部屋へ行く……と、さっそく野良の《風の精霊》たちが派手に暴れている真っ最中だった。しかもその惨状は《風の精霊》はもちろん、オトの予想すら超えるものだった。


 母を求めて泣きわめく赤ん坊フェリキシムスが放出する魔力……それだけでもポルターガイストに似た現象を引き起こすには十分すぎるものだったが、今日は魔力源がもう一つあった。リュキスカである。

 月経による体調不良で魔力を制御できなくなっていたリュキスカは無意識のうちにフェリキシムスを遥かに超える魔力を放出してしまっており、それに食いついた野良の精霊たちが狂喜乱舞してしまっていたのだった。


 幸い、野良精霊たちの乱舞は強大な《風の精霊》の乱入によって一挙に鎮圧されてしまったが、しかし短時間とはいえ精霊たちが繰り広げた乱痴気らんちき騒ぎは取り返しのつかないほどの痕跡をクッキリと残してしまった。それを片づけるのが今日のオトの仕事である。


 ああクソ、何だって俺ばっかりこんな……


 そんな悪態を心の中でつくのは作業を始める最初だけ。印刷工房で職人として働いていたオトは、ひとたび手を動かし始めると無心になる。

 オトが黙々と部屋を片付けている間に赤ん坊を抱いたリュキスカが自分のベッドへ戻り、遊び、そしてそのまま赤ん坊と一緒に横になる。一時間ほどもするとあれだけ散らかっていた部屋は綺麗に片付いていた。元々部屋の広さの割に荷物が少なかったのが、早く片付いた最大の理由だろう。


『《風の精霊ウインド・エレメンタル》様、どんなもんでしょうか?』


 片付いた部屋とベッドで穏やかな寝息を立てる母子を確認したオトはリュウイチに教わったばかりの念話で《風の精霊》に問いかけた。

 通常、高位な精霊が魔力も持たない人間の呼びかけに応じることはまずない。精霊は念話でコミュニケーションをとるが、念話はそれだけで魔力を消費する。まして魔力のない人間が相手だと余計に魔力の消費が激しくなってしまう。魔力だけで生きる精霊にとって、魔力の無駄な消耗ほど嫌なことはない。

 オトは魔力はおろか神官の素養も持ち合わせていない。なので精霊にいくら呼びかけたところで応えてもらえることなどまずあり得ないのだが、《風の精霊》はリュウイチからオトと協力するように厳命されていたので、オトの呼びかけにもちゃんと応えてくれた。


『ええ、大丈夫ですよ。

 ここは思ったより居心地の良い場所です。

 私は気に入りました。

 これからはこの部屋で野良精霊エレメンタルごときに好き勝手など決してさせないと約束いたしましょう。』


 大見得を切る《風の精霊》の声色はどこか嬉しそうに聞こえた。

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