第361話 シュバルツゼーブルグへの招待

統一歴九十九年五月三日、午後 - グナエウス街道/シュバルツゼーブルグ



「何かあったのですか?」


 車列を止め、護衛隊長のセルウィウスと共にルクレティアの馬車を訪れたセプティミウスは困惑と憂慮ゆうりょの混ざった表情をしたままルクレティアに報告する。


「ルクレティア様、申し訳ありません。

 どうやら今宵、宿泊予定であった中継基地スタティオサウマンディア軍団レギオー・サウマンディアの部隊に先に取られてしまったようで、予定を変更せざるを得なくなったようです。」


「まあ!中継基地スタティオは事前に確保しておいたのではなかったのですか!?」


 驚くルクレティアにセプティミウスは申し訳なさそうに、自分が受けた報告の内容を教える。


「そのはずだったのですが、アルトリウシアへ救援物資を運ぶサウマンディア軍団レギオー・サウマンディアの荷馬車の車輪が壊れて進めなくなってしまい、仕方なく最寄りの中継基地スタティオへ部隊ごと一時退避したようなのです。」


「それが、今日私たちの泊まるはずだった中継基地スタティオだったというわけですか?」


 ルクレティアは一度浮かしかけていた腰を座席に戻し、肩の力を落とす。馬車のドアを開け、外に立ったまま説明するセプティミウスは「ご賢察の通りでございます」と首を掻いた。


「その部隊はもう動けないのですか?」


 動けたら問題にはなっていないだろうに、少し気が立っていたヴァナディーズが無理な質問をする。


「シュバルツゼーブルグから車輪を直せる職人を呼び寄せ修理させているそうですが、今日はもう動けないようです。」


「では私たちは今夜どこに泊まることになるのですか?」


「それなんですが…」


 ルクレティアの当然の質問を聞いてセプティミウスは困ったようにセルウィウスと顔を見合わせた。


「ひょっとして野宿ですか?」


「いえ!それはありません。実は…」


「何です?」


「シュバルツゼーブルグ卿がルクレティア様をお招きしたいと使者を送ってきているのです。」


「それは…」


 シュバルツゼーブルグ家はアルビオンニア侯爵家の出身母体となったハッセルバッハ一族に連なる名家である。レーマ帝国がここアルビオン島に版図を拡大し、初めて南蛮サウマンと本格的に衝突した地であるこのシュバルツゼーブルグの郷士ドゥーチェに任じられて以来、フォン・シュバルツゼーブルグの家名を名乗り、この地を治めている。アロイス・キュッテルの妻ザビーネの実家でもあり、アルビオンニア貴族の守旧派を占めるハッセルバッハ一族の中では珍しくエルネスティーネに協力的な立場をとっていた。


 今回、通常ならば宿泊するはずのシュバルツゼーブルグを避けて中継基地スタティオに宿泊するのは、降臨についての秘匿を維持するためだった。シュバルツゼーブルグの誰ひとりとして、まだ降臨については知らされていない。ここで一行がシュバルツゼーブルグに宿泊すれば、さすがにルクレティアやヴァナディーズ、セプティミウスらの口から秘密が漏れることはないだろうが、護衛を務めている軍団兵レギオナリウスの誰かの口から降臨が起ったことやリュウイチの存在について秘密が漏れてしまう懸念がある。

 もちろん、だからと言ってシュバルツゼーブルグ家は下級貴族ノビレスとはいえ無視してよい相手ではないので、申し出を無下にもできない。どのみち、明日通過する際には邸宅ヴィラに立ち寄って簡単な挨拶だけはする予定になっていたのだ。


「それはでも、こうなってしまったのなら仕方がないのではありませんか?」


「それはそうなのですが・・・」


 セプティミウスはチラリとルクレティアの膝の上のほのかに緑色の光を放つ半透明の小人に目をやる。彼も昨夜、それがリュウイチの召喚した《地の精霊アース・エレメンタル》であることを、中継基地スタティオに宿泊した際にルクレティアから紹介されていた。

 セプティミウスはシュバルツゼーブルグ家に宿を求めることで、よりにもよってルクレティアから降臨やリュウイチの事が漏れるのではないかと内心で心配していたのだ。


「あ、《地の精霊アース・エレメンタル》様ならお姿を御隠しいただきます。

 大丈夫です!」


「あっ、いや…それはそれでいいのですが…」


「何かほかにも?」


「いえ、シュバルツゼーブルグから使者が来るのが少し早すぎる気がしまして…その、今回のトラブル自体がルクレティア様をお招きするための狂言ではないかと…」


 セプティミウスは今回のこのトラブル自体がシュバルツゼーブルグの仕組んだ狂言ではないかと疑っていた。貴族ノビリタスにとって、地方領主にとっては他の地域の貴族ノビリタスと繋がりを持つことは非常に重要なことである。特に下級貴族ノビレスにとって自分より上位の上級貴族パトリキを自宅へ招き歓待することは、領民に対して自身の権威を示すために非常に重要なのだ。

 ルクレティアは祭祀のために毎月アルビオンニウムへ通っているわけだが、その度にシュバルツゼーブルグで歓待を受けている。それが、先月はメルクリウス捕縛作戦の一環で大隊コホルス規模の護衛部隊を同行する都合もあって船での移動となり、今回は秘匿維持のためにシュバルツゼーブルグでの宿泊を回避しようとしている。公式にはアルトリウシア支援にあたるアルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニアの活動の支障にならないようにするためという理由になってはいるが、シュバルツゼーブルグでの宿泊を二回連続で避ける形になってしまっていたのだ。

 もちろん今回のルクレティア一行の日程については事前にシュバルツゼーブルグ家に伝えてあった。今回はこれこれこういうわけで泊まりませんけど気にしないでくださいねというような根回しはどうしたって必要だからだ。


 だがシュバルツゼーブルグ家としてはどういう理由であれ二か月連続でルクレティアのシュバルツゼーブルグでの宿泊が無かったとなると体裁があまり良くない。サウマンディア属州の中では上位の上級貴族パトリキであるスパルタカシウス家とのつながりが薄れ、シュバルツゼーブルグ家の権勢が弱まっているのではないか?…と、領民や周囲の者たちに思われてしまう可能性が高いからだ。


 アルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニアのアルトリウシア支援部隊には多数の軍属が含まれている。いわゆる御用商人たちだ。レーマ軍は御用商人たちを軍属として兵站部隊に組み込んで輸送を担わせている。そして、その御用商人にはシュバルツゼーブルグの息のかかった者もいないわけではない。

 支援物資を輸送する部隊の馬車が壊れ、最寄りの中継基地スタティオに避難し、シュバルツゼーブルグお抱えの職人が向かうが修理に手間取り間に合わない…そのせいでルクレティアが中継基地スタティオに宿泊できなくなったとすれば、ルクレティアはシュバルツゼーブルグに宿を求めざるを得なくなる…シュバルツゼーブルグ家がそのような小細工を画策していたとしても何ら不思議ではない。


「その可能性は否定できませんが、だからと言ってこれで尚もシュバルツゼーブルグを避ければ却っておかしなことになりませんか?」


 そもそも、貴族ノビリタスからの招待というのは安易に断って良いものではない。確実に相手の面子めんつをつぶすことになるからだ。これは、たとえ相手が自分より下位の下級貴族ノビレスであっても同じことである。

 だからこそ、事前に家来たちを使って事前の根回しなど調整をするものなのだが、今回はこちら側のそうした工作が不十分であったことと、先方がこちらの予想以上に強硬な手段に訴えてきてしまったためにこのような事態になってしまっている。


 これで断ってしまうとシュバルツゼーブルグ家の顔に泥を塗ることになるし、確実に反感を買うだろう。今のルクレティアは聖女サクルムではあるが、その事実を公表できていない以上あくまでもスパルタカシウス家の代表者としてふるまわねばならない。

 スパルタカシウス家はこの世界ヴァーチャリアでも有数の名家ではあるが、今は政争に敗れて没落しておりアルビオンニア属州をはじめとする南部辺境域の貴族ノビリタスたちとの繋がりのみが権勢の基盤となっている。そのスパルタカシウス家としてはシュバルツゼーブルグ家を敵に回すような事はできなかった。


「わかりました。

 では招待をお受けすることにしましょう。

 ですが、到着はだいぶ遅くなってしまいます。よろしいですか?」


「致し方ありません。

 先方はあくまでも善意なのです。そして非があるとすれば間違いなく私たちの方でしょう。これ以上の御無礼を働くわけにはいきません。」


 かくして一行は予定を変更してシュバルツゼーブルグ家の邸宅ヴィラを目指すこととなったのだった。

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