第644話 最初の獲物

統一歴九十九年五月七日、夜 - グナエウス峠山中/アルトリウシア



 ハン支援軍アウクシリア・ハンの叛乱事件からの復旧復興作業の進むアルトリウシアには二つのルートで膨大な物資が搬入されている。一つは海路を船でセーヘイムに運びこまれる物資で主にサウマンディアやチューア、南蛮、そしてクプファーハーフェンからの物資である。

 その他アルビオンニア属州内で海路では繋がっていないライムント地方からの物資はもう一つのルート、ここグナエウス街道を通じて荷馬車を使って運び込まれる。そして、グナエウス街道を通じて運び込まれるのはライムント地方からの物資だけではない。西山地ヴェストリヒバーグで建設中の上水道施設工事現場……冬越しのためにいったん撤収するにあたって、多くの建物が解体されてアルトリウシアへ運び込まれようとしている。そのほかにもグナエウス峠の頂上付近にあるグナエウス砦や途中の中継基地スタティオにある兵舎も必要最低限度分を残してすべて解体され、その建築資材がアルトリウシアへ運搬されていた。

 ゆえに、日中の街道はこの街道が完成して以来初めてと言って良いくらいの活況を呈し、ひっきりなしに荷馬車が行きかっている。行きは建築資材を満載し、帰りは馬車馬のための飼料と解体工事作業員の食料を満載してのピストン輸送であった。だが、陽が沈むにつれてその往来も次第に乏しくなっていく。


 整備され安全が確保された街道とは言え夜は暗い。街灯などあるわけもないし、日が没してから道を照らす明かりは月と星の光だけである。

 松明たいまつやランタンは夜道を馬車が走るための灯りとしては全く役に立たないと言っていい。松明の炎などは全方向に対して光を発するため、むしろ松明をかかげた本人の目をくらましてしまい、松明など無い方が却って遠方は見えやすいくらいだ。ランタンも所詮は小さな炎である。反射板で光を集光させたところで、照らせる距離は限られる。特にガラスが普及していない以上、風除けのためにランタンの窓は薄絹か紙で覆われるのだから猶更なおさら光源として果たせる役割は小さくなる。

 実際のところ、松明やランタンなどは「自分がここに居るぞ」と知らせるために掲げるようなものなのだ。徒歩ならともかく、疾走する馬車の前方に障害物がないか、安全に走れるかどうかを確認するための照明器具としての役割は一切期待できない。


 そんなわけで日が傾くと馬車の往来は急激に少なくなっていく。日が暮れてからも走り続ける荷馬車などまずないし、稀に貴人の乗った馬車が通るくらいだが、それらにはある程度のまとまった数の兵士が護衛についている。


 意外と、難しいかもしれんな……


 日中、ある程度の場所に目星をつけつつ、樹木の影から見つからないように遠巻きに交通量を見ていたドナートは率直にそう思った。荷馬車の往来が結構激しく、一両の荷馬車を襲っても仕留める前に次の荷馬車が来てしまいそうである。その状況で街道を襲うのは流石に厳しい。


 襲撃すること自体は簡単だ。だが、今回の襲撃は人間の意図によるものではなく、脱走したダイアウルフによる襲撃に見せかけなければならないのだ。一両を襲ってもその時には既に次の荷馬車が近づいてる音が聞こえている……そんな状況で野生化したダイアウルフが荷馬車を襲うなどまず考えにくい。確実にドナートたちがダイアウルフを操っていると疑われてしまうだろう。それでは駄目なのだ。


 早朝か……いや、夕方ごろか……車列が途切れて、行きかう荷馬車の最後の車両なら孤立しているだろう……そいつを狙うしかないかもしれんな……


 ドナートはそんなことを考えながらこの日は一旦何もせずに街道を離れた。さすがに到着初日にいきなり襲撃するわけにはいかない。襲撃に適した場所、逃走に適したルート、そして潜伏に適した拠点を確保せねばならないのだ。


「隊長、これからどうします?」


「寝床を探す。

 街道からあまり離れず、水源が近く、それでいて目立たないところが良い。」


 とりあえず街道を背に南へ斜面を降りるように進む彼らは、肉眼ではほとんど先の見えない闇夜の中で、時折差し込む月明かりとダイアウルフの勘を頼りに進んだ。


「ああ~クソッ、寒ぃと思ったら息が白いぜ。」

「ああホントだ。」

「冬も近ぇってのに、山の中だからな。たまんねぇぜ」

「あったまりてぇなぁ。」


 街道を離れて気が緩んだのか、ドナートの背後で部下たちが軽口を叩き始める。街道からは既に二百ピルム(約三百七十メートル)は離れているから、普通に話をしても誰かに聞かれる心配は無い。


「言っとくが、火は焚けないぞ?

 ここに我々がいるって、レーマの奴らに報せてやるようなもんだからな。」


 ドナートの忠告にも部下たちのボヤきや止まらない。


「そりゃ、わかってますよ隊長。

 寝る時はダイアウルフに温めてもらうか……頼むぜ、相棒」

「ああ、帰るまでは堅パンと干物だけか……」


 そう、帰るまで火は焚けない。人がいない筈の場所で火を焚けば誰かがいますとしらせてやるようなものだからだ。火が焚けない以上、食べ物も加熱せずにそのまま食べられるものだけである。すなわちレーマ軍から配給された軍用パンパニス・ミリタリスと干し肉や塩漬けの魚や野菜などだ。飲み物として酒も持ってきているが、これはそのまま飲むものではない。そんなことをしたら一日で持ってきた分を全部飲み干してしまう。これは水にちょっとずつ混ぜながら飲むための酒だ。生水を飲めば腹を壊してしまうが、酒をチョット混ぜればアルコールで消毒され、多少は安全に飲めるようになる……そのための酒である。

 それ以外にダイアウルフの餌も必要だが、その分はある程度は持って来てあるものの、大部分は申し訳ないがダイアウルフに自分で獲って来てもらうことにしていた。一応、襲撃作戦によって“多少の肉”は手に入れられる予定ではいたからだ。


「!?」


 テングル(ドナートの乗っているダイアウルフ)が急に足を止めた。耳をピクピクと動かしながら右の方を気にしている。ドナートは右手をあげて肩の上あたりで握り拳を握ると、背後のダイアウルフたちもピタリと動きを止めた。


「えっ!?」

「隊長?」


「シッ!!」


 何があったか分からない部下たちは戸惑いの声をあげたが、ドナートはサッと黙らせた。


 煙?……風上に、誰かいるのか?


 アルトリウシアは常に偏西風に晒され、一年を通して西寄りの風がふきつけている。そして、その風はドナートの鼻に焦げ臭いにおいを運んできていた。


 まだ、距離はあるな……誰かいるなら、確認した方がいい。


 そう判断すると、ドナートはテングルの首をポンポンと優しく叩いて褒めてやり、「よし、行こう」と囁くと針路を西へ変更する。


「隊長?」


「風上に誰かいる。この山の中で、多分火を焚いている奴がいる。

 そいつを確認するぞ。気配を消してついてこい。」


 ドナートがそう命じると、三人の部下は急に気を引き締め、無言のまま自分が乗っているダイアウルフの腹を軽く蹴った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る