第148話 来なくなった客

統一歴九十九年四月十五日、午後 - 《陶片》リクハルド邸/アルトリウシア



 窓から眺める庭の風景をあたかも一服の絵画のように愛でる・・・それは南蛮サウマンの文化だった。

 日の注ぐ明るく美しい庭園を鑑賞するためにあえて南に大きな窓をとった部屋には、当然ながら日中を通して日が差し込むことはない。日が傾いた今となればそれはなおさらで、その部屋は表舞台へ立つ出番に備える夕闇の控室となったかのように、早くも向かい合って座る者の表情すら見分けにくいほど暗くなってしまった。

 それでもあえて灯りを用意させず、部屋を暗いままにして茜色に染まっていく庭を眺め続けているのは、考え事をしている時のリクハルドの癖だった。

 同室する側近たちにとっては迷惑な癖であったが、あえて何も言わない。言っても無駄だと分かっているからだ。



「ふーん・・・」


 大きなため息を一つつくと、リクハルドは頬杖をやめて庭から視線をずらすことなく部屋の入口で待機していた近習に手で合図を送る。

 それは灯りを持って来いという合図であり、一人で考えるのを止めて同室の者たちと話をする準備が彼の中で整った事を示すものだった。

 近習が無言のままお辞儀して部屋から出ていくと、同室する側近たちはいっせいにため息をついて姿勢を正した。


 使用人たちが室内の置行灯おきあんどんや廊下の吊り行灯つりあんどんに火を入れていく。

 各自の背後に置かれた置行灯に火が入れられるごとに部屋は徐々に明るくなり、最後に部屋の中央部に並べられた有明行灯ありあけあんどんに火が入れられるとようやく列席する者たちの顔が照らされ見えるようになった。

 行灯の燃料である油には蚊よけの薬が入っており、それが燃えて独特の匂いが室内を満たし始める。

 最後に戸を閉めて使用人たちが退出すると、外は未だ日が沈んでいないにもかかわらず、そこは既に夜の世界だった。



「さて。晩飯前に終わらそうか?」


「ではパスカルから、まず海軍基地カストルム・ナヴァリア城下町カナバエの死体収容は昨日の時点で終了していましたが、セーヘイムから遺体引き渡し要求のあった分の搬送は本日の昼の便を最後に終了しました。

 残っている遺体の身元確認作業は明日までかかりそうですが、身元確認あるいは遺体引き渡しの請求分はすべて処理が済んでおりますので、明日中には共同墓地へ埋葬できる見込みです。


 現時点でゾンビの発生は確認されておりません。


 収容避難民への食糧配給は順調です。

 本日の他地区への移住者数は二十七名、現時点で収容している避難民は二千とんで十八名となっております。


 重傷者へのポーション供給も問題ありません。

 本日、アルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアより二百回分を追加で受領しており、備蓄分も確保できております。」



 リクハルドが促して筆頭家令のパスカルが昨日から今日にかけてあったことを報告する。

 本当ならこういうことは午前中にやっているのだが、昨日のゴタゴタの影響を引きずっていた上にヘルマンニを迎える準備もしなければならなかったため、いつもとは異なりこの時間での会議となってしまっていた。

 パスカルに続いて側近たちが順に報告をしていくが、リクハルドはまるで上の空のようだ。


「・・・で、そのゴブリン兵の左手と右足の切断手術は今日の昼頃には終わり、まだ生きてますがいつ死んでもおかしくねぇって神官どもは言ってます。

 ダイアウルフどもはゴブリン兵の悲鳴に反応して暴れるといけねぇんで、朝から羊飼いの娘に預けて外に散歩に出させました。」


「まさかあの一人で!?

 あぶなくないんですか!?」


 ラウリの報告にパスカルが反応する。


大丈夫でえじょうぶだ。

 ってか、ダイアウルフどもはアイツファンニの言う事しか聞かねえ。

 他のヤツじゃ役に立てねぇし、却って邪魔になる。」


「しかし、何かあったらどうするんですか?」


 おどけたように答えるラウリに対し、パスカルは低く絞り出すような声で尚も詰め寄っていく。


「誰かニ、三人付けて鉄砲持たせたところでダイアウルフ二頭とまともにり合えば相手にならねぇ。

 ラウリだって自信はねぇな。

 どうせ兵隊何人か付けたところで抑えにならねぇんなら、むしろあの娘一人に預けた方がマシってもんだ。」


「娘一人なら犠牲になってもいいとでも?」


 この一言にはさすがにラウリもカチンと来た。


「そうは言っちゃいねぇよ!

 ダイアウルフって奴ぁ頭がいいんだ。知恵が回る。それでいて気位も高い。

 下手に兵隊つけて抑えるよりは、娘一人預けて信頼している風を装った方が、連中も自尊心くすぐられて大人しくなるんだ。」


「何でアナタラウリにそんなことが分かるんですか?」


 元々あまり仲の良くないこの二人は徐々にヒートアップしてきていた。周囲はまたかとうんざりした表情を隠そうともしない。


「ハン族の連中が店で言ってたからさ。」


 ラウリは《陶片テスタチェウス》の夜の店の運営をいくつか任されており、ハン支援軍アウクシリア・ハンの高官たちのうち何人かはラウリの店の常連だった。



「もういい!!

 その辺にしとけ。」


 リクハルドが声を上げて二人を制止する。


「どのみち、ワン公ダイアウルフどもはあの娘ファンニにしかなついちゃいねぇんだ。しばらくあの娘ファンニにやらせるしかねぇだろ。」


 ラウリは当然ながらヘイッと小気味よい返事を返すが、パスカルの方は納得しがたい様子だった。


あれダイアウルフらだけでも先に軍団レギオーに引き渡すわけにはいかんのですか?」


「一応、子爵ルキウス閣下には朝一番で報告したさ。

 もっとも、行き違いになっちまったみてぇだがなぁ。」


 普段の平静な態度を取り戻しつつも、どこか不満を隠しきれていないパスカルの質問にリクハルドは大様に答えると、パスカルはゆっくりと絞り出すような溜め息を吐いてようやく押し黙った。

 これ以上はどうしようもないことはさすがの彼も理解している。


「・・・にしても、子爵ルキウス様もここんとこヤケにマニウス要塞カストルム・マニへ足を運ぶじゃねぇか。

 何か妙じゃねぇか?」


「妙と言いますと?」

「復旧復興の指揮を執るのに軍団がいるマニウス要塞へ行ってるんすから、別に妙という程でもねぇんじゃねえですかい?」


「それだよ。

 別に軍団の方を呼び寄せりゃいいんじゃねぇの?

 叛乱事件当日は実際にそうしてたんだしよぉ?」


「被害はアイゼンファウスト地区が最もひどく、アイゼンファウストを最優先で復興する都合上、軍団はマニウス要塞に残したままの方が便利が良いというだけなのではありませんか?」


「別に軍団全部を呼び寄せろってえんじゃねぇよ。

 メルヒオールんトコアイゼンファウストで働く兵隊どもはマニウス要塞に残したままでよ。軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムだけティトゥス要塞カストルム・ティティへ呼び寄せときゃ、別に子爵ルキウスが自らマニウス要塞へ行く必要なくなるだろ?」


サウマンディア軍団レギオー・サウマンディアの客人を陣中見舞いしなきゃいけねぇってんじゃねえんですかい?」


「その割にゃあ、サウマンディアの御客人も昨日の会議でティトゥス要塞へ来てたぜ?

 てか、そもそもサウマンディアの連中を何でわざわざマニウス要塞へ入れてんだ?」


「それはアイゼンファウストの作業を優先するためではないのですか?」


「一度マニウス要塞へ収容した避難民を追い出してまでか?

 結局、ティグリスんトコアンブースティアにも一個大隊コホルス送ることになってんじゃねぇか。

 ティグリスに兵隊ろくに回してやらずにメルヒオールんトコアイゼンファウストに全部ぶっ込もうとすりゃ、そりゃティグリスから不満が出るのは当然だぜ。

 だったら最初っからサウマンディアの連中はティトゥス要塞へ入れてティグリスに貸してやった方がよっぽどマシじゃねぇか!?

 余程の馬鹿じゃねぇ限りそうすだろ?俺っちリクハルドだってそうするぜ。」


 リクハルドが何に納得してないのかやっと理解した側近たちだったが、だからといって彼らは答えを持ち合わせていなかった。


「我々には分からない理由があったとしか・・・」


「だぁかぁらっ、それが何なんだって話をしてんじゃねえか!」


 適当に流そうとしたパスカルがセリフを言い切る前にリクハルドが黙らせる。


「しかしカシラリクハルド、何かあったとして何があるってぇんです?

 カシラリクハルドが疑問に思ってることだって一応理屈は通ってんだ。

 不可解ってほどおかしなこっちゃねぇですぜ?」


 ラウリの言う通り引っかかるところはあるが、理屈が通っていないわけではない。ここで今まで黙っていた伝六が何か思いついたように口を開いた。


「そういやぁ・・・」


「何です?」

「何でぇ?」


「いや何、あの後店の売り上げが伸びねぇんでさ。」


兄弟デンロク、今それ関係あるか?」


 ラウリは呆れを隠さない。


「わかんねぇがよ、普通だったら兵隊どもは遠征から帰ってきたら遊びに来るじゃねぇかよ?

 まして、今回はアイゼンファウストの店が全部閉まってんだぜ?

 俺ぁ伝六、てっきり客が押し寄せてくるもんだと思ってたけどよ。」


 伝六は戦事いくさごとには強いが商売は苦手だ。だから戦事以外の場面ではその風貌に似合わずこのような大人しい態度をとる。

 しかし、その報告内容はリクハルドの何かを刺激したようだ。


「遠征から帰ってきた兵隊どもが来ない?

 まったくか!?」


「いや、まったくじゃねぇ。

 いくらかは来てる。

 だが、来てねぇヤツもいる。」


「???どういうこった?

 何が言いてえ?」


「事件前から要塞にいたのは第一大隊の奴らだ。他は工事に行きっぱなしだ。

 で、例のメルクリウス捜索で遠征に出たのも第一大隊だ。

 今はもう全部帰って来てる筈だが、半分くれぇしか遊びに出て来てねぇ。

 あれ以来まったく遊びに出てねぇ兵隊がいんだよ。」


「マニウス要塞へ収容されたアイゼンファウストの商売女相手にしてんじゃねぇのか?」


 ラウリのこの指摘をパスカルが即座に否定する。


「いや、それは無いでしょう。

 軍規が乱れますし、仮にそんなことになったら、城下町カナバエの商売敵が黙ってません。

 何か騒ぎが起きているはずです。」


「そうだぜ兄弟ラウリ、だいたいが来ねぇってブー垂れてる女がいやがんだよ。それも一人や二人じゃねぇ。

 お前ぇラウリトコもそうじゃねぇのかい?」


 伝六に言われてようやくラウリも「言われてみりゃそうだ」と気づいた。

 あれから全然来てない馴染み客が間違いなく居る。それも複数。

 アイゼンファウストの店がことごとく閉店している以上、客は城下町か《陶片》へ流れてこなきゃおかしい。なのに事件前よりも軍団兵の売り上げは落ちていた。


「ふーん、やっぱ何かくせぇぜ。

 おい、来てない兵隊と来てる兵隊の部隊を調べな。」

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