第809話 閑話休題・レーマの貴族制度のなりたち

統一歴九十九年五月十一日、午前 - アルトリウシア子爵邸/レーマ



 国王だの皇帝だのといった権力者の存在を極端に嫌うレーマの共和主義者にとって、地方のとはいえ領主などという権力者が存在することは好ましいものでは断じてない。帝国は元老院セナートスによって運営されるべきだし、行政は任期と権限の限られた官僚によって担われなければならない。地方行政もそれは同じだ。実際、かつて属州の運営は元老院によって任じられた総督レクトルによって担われていた。それが現在のように領主が任じられ、その地位が世襲されるようになったのはひとえゲイマーガメルの存在と皇帝インペラートルの誕生によるところが大きい。


 大戦争……世界を二分して遂行された正気の沙汰とは思えぬ愚行は帝国のり方を大きく変えた。最初はレーマを中心とした小国同士のゆるやかな連帯にすぎなかった同盟関係は次第に結びつきを強くし、同時に各国の統治者たる王族の断絶や政変による属州化によってレーマは巨大な帝国と化していった。

 元々独立していた国が属州としてレーマに入ったことで、レーマは同地を統治するための行政官を送り込まねばならなくなる。距離的に近ければ問題ないが、片道ひと月もふた月もかかるような遠隔地となると任期のある行政官は任地に赴くだけで一苦労となる。下手すると限られた任期の内半年以上を任地までの移動で潰されてしまい、現地での仕事……遠隔地の統治体制に著しい弊害を生じることとなる。地方行政官に任期を設けるのは中央の監視の効きにくい地方で権力濫用や暴走、汚職・腐敗を防いで統治体制を盤石なものにするためだというのに、肝心の行政官が赴任できないせいで現地官吏の統制ができなくなっては意味が無い。そこで地方の統治を信頼のできる者に任期を限定せずに任せてしまおうという考えが持ち上がった。

 本末転倒としか思えぬ発想だが、ちょうど皇帝などという権力者が登場したことでゲイマーという不安定な戦力を安定的に投入することが可能となり、二転三転していた大戦争の状況がようやく安定しはじめていた時期であったために、その変革の延長で総督を廃して領主を任じる地方分権化も推し進められていった。振り返ってみれば、この頃がもっとも皇帝の権威が強かったかもしれない。


 大戦争はもうゲイマーの存在なしには戦線を支えることも出来なくなっていた。そしてゲイマーは皇帝が窓口になることで安定的な戦力化が可能となっていた。それは間接的に「皇帝なしには大戦争を戦えない」という状況をレーマ人たちに認識させ、必然的に皇帝の権威が元老院のそれを凌ぐ結果を招いた。これによって大戦争とは直接関係ない問題であっても「帝国のことは皇帝に任せてしまえ」という意見が声高に叫ばれるようになっていく。多くのレーマ人にとってレーマ本国から遠く離れた属州や啓展宗教諸国連合との戦争などといった、自分の生活と直接関係のない問題のことなどさほど重要ではない。そして人間誰だって重要だと思えない問題に悩みたくはないのだ。ましてや元老院の優越だの皇帝の権威だのといった政治バランスのことなど、ほとんどのレーマ人にとってはどうでもいい問題だった。なら、どうでもいい問題は手っ取り早く解決してくれる人に任せてしまえ……と言うことになる。

 結果、地方の統治を皇帝が担うことになった。とはいっても皇帝だって暇じゃないし一人で広大な属州のすべての面倒を見ることなど出来るはずもない。そこで、皇帝の信認のあつい人物が領主として統治を任されることとなる。そうして生まれたのが領主であり、それが続いて今日に至っている。


 ちなみに爵位もその時に制度化された。属州領主ドミヌス・プロウィンキアエに与えられる称号である『伯爵コメス』は元々「仲間」や「従者」を意味するラテン語『コメス【Comes】』からきている。「(皇帝の)仲間コメス」として皇帝に代わって属州の統治を担うことから属州領主の称号とされるようになった。

 『子爵ウィケコメス【Vicecomes】』は属州領主を補佐する地位として、『伯爵コメス』に「副-ウィケ【Vice】」を着けて成立した称号である。

 『子爵』のさらに下に『子爵』を補佐する役目として『男爵バロ』が設けられるが、この『バロ【Baro】』は「従者」や「しもべ」といった意味のラテン語である。

 ここまでが基本の爵位となるが、属州でも帝国版図の外縁に位置し、帝国の敵と直接対峙する属州の統治となると様々な状況に対応せねばならない場面が多くなる。そうした状況に対応するため、通常の『伯爵』よりも一段高い権能を与えられたのが『侯爵マルキオー』だ。『マルキオー【Marchio】』の語源である『マルカ【Marcha】』は「境界」や「国境」を意味するラテン語であり、そこから「国境を守る者」という意味で作られた称号である。

 そしてそれらと一線を画し、皇帝の側近中の側近として位置づけられるのが『公爵ドゥクス』である。「司令官」や「将軍」、「リーダー」を意味するラテン語『ドゥクス【Dux】』であり、現在は帝位継承権を持つ皇族に与えられる称号となっている。

 レーマ帝国で公式に用いられている爵位は以上の五つだ。こうしてみると、皇帝の権威に基づいて地方領主の地位をランク付けするために設けられた制度であることがよくわかる。しかし、これら爵位を持っているのは領主貴族ばかりではなく、実は元老院議員たちにも与えられていた。これは皇帝派領主貴族らと元老院議員らとの対立を解消し元老院に迎合するための措置であったが、当の元老院はこの措置について特に批判するでもなく喜んで受け入れていた。結局元老院議員たちも自分たちの権威と地位を保つことができ、他に権威が集中するようなことがなければ大概のことはそれほど気にしないという者が大半なのだった。

 もちろん、こうした爵位が《レアル》中世ローマ帝国の制度を大いに参考にしていた点も、これを受け入れるにあたって大きな理由の一つになっていた。この世界ヴァーチャリアでは有形無形を問わず、《レアル》から持ち込まれたものが珍重される傾向にあったからだ。

 

 ともあれ、そうした背景によって成立していた領主貴族の身分は皇帝の権威に依存している。そして皇帝の立場は元老院によって任じられる一官僚というのが法的根拠となっているため、地方領主という立場も元老院の承認を受けて初めて成立するものとなっていた。属州であれ、その下のより小さな地域であれ、領地は地方領主の私物ではなく、帝国から統治を委任された土地でしかないのである。

 よって、領主であった親が死んだからといって領地は子が無条件に相続できるようにはなっていない。子はあくまでも領主と言う地位を世襲することが出来るのであり、それには元老院の承認を必要とするのである。帝国として地方の統治を委任する以上、まともな人物でなければ委任することできないからだ。

 だからといって元老院が領主の跡継ぎ候補の人品じんぴんを、世代交代のたびにイチイチ鑑定するわけにもいかない。そこでレーマ神学校卒業者にのみ、領主貴族の家督相続を認めるという制度が出来上がった。このため、レーマ貴族の多くは将来の家督相続(あるいは領地獲得)に備えて子弟をレーマ神学校へ通わせるのが常となっている。


 もっとも、このレーマ神学校というのは運営形態としては《レアル》の中学や高校のようなものではなく、大学に近いものとなっている。教授による講義はあるが単位さえ取れればイチイチすべての講義を受ける必要はなく、それどころか上級貴族パトリキの多くは講義にほとんど出席することなく、家庭教師を雇うことで単位を取っていた。実際、レーマに留学することなくレーマから学者を家庭教師として招聘しょうへいし、地方に住んだままでレーマ神学校卒業資格を取得する事例もある。ルキウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵もその一人だ。

 では何でわざわざ少なくない費用をかけて子弟をレーマに留学させるのか?


 一つには人脈の確保がある。もっと言えば結婚相手探しだ。レーマ貴族が自らの子弟を結婚させるとすれば、当然ながら政略結婚となる。政略結婚をするのであれば、相手は結婚することで自分たちにとって得になるような相手でなければならない。そうした人物を地方に居たまま探していたのではどうしても選択肢が狭くなってしまうし、それよりなにより代を重ねるごとに中央との繋がりが弱くなってしまわざるを得ない。そこで、留学を名目に子弟を実際にレーマへ送り、年齢も近く都合の良い相手を探すのだ。

 もう一つには人質という意味もある。地方領主……特にレーマ本国から遠く離れれば離れるほど、元老院から様々な疑惑を持たれやすくなる。そこで子弟をレーマに送り、自分たちにレーマから離反する可能性が無いことを証明するのだ。


 大グナエウシアグナエウシア・マイヨルことグナエウシア・アヴァロニア・アルトリウシア・マイヨル子爵令嬢ウィケコミティス・フィリアが、家督相続の可能性などほとんど無いにもかかわらず、少なくないコストや様々な労力を消費し、様々なリスクを冒してまでレーマへ留学させられているのはそうした意味合いが強かった。特にアヴァロニウス氏族はかつてレーマに敵対した国の有力貴族であったこともあって、未だに主に保守層から疑惑の目を向けられることが多い。

 アルトリウシア子爵家に対するイメージを向上させ、今後のためにレーマでの人脈を作る……それが大グナエウシアに課せられた責務である。なお、結婚相手について言えば、大グナエウシア本人には探す気が全く無い。コボルトの血を引く彼女にとってレーマはあまりにも暑すぎる。下手に暑い地域の貴族の家に嫁入りし、地獄のような暑さの中で残りの長い人生を送りたくないというのがその理由だった。

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