第129話 財源

統一歴九十九年四月十四日、午後 - ティトゥス要塞司令部/アルトリウシア



「たしかに、今アンブースティアへ回せるのは三百かそこらだが、『バランベル』号捜索へ向かっている艦隊が帰還すれば、その乗員たちも回せる。

 《陶片テスタチェウス》に留まっている連中にも動員をかければ五百にはなるはずだ。」


 ティグリスは自分の地区への支援がほとんど無い事にいきどおっていた。

 ヘルマンニがティグリスを宥めるように言うがティグリスの不満は解消されない。


「その艦隊が帰ってくるのはいつの事だよ!?

 それまでに死体はゾンビ化しちまわぁな。

 艦隊が帰ってくるのはゾンビ化した死体を片付けちまった後だろうよ!」


 ティグリスは領主たちや軍団からアンブースティアが見放されているような、ひいて言えばティグリス自身が軽んじられているような気がして気に入らないのだった。

 しかし、ティグリスの言いようにヘルマンニは思わず閉口してしまう。

 さすがに支援を申し出てくれている相手に口が滑ったと思ったのかティグリスはあーとか声を漏らしながら頭をボリボリ掻いて、ジェスチャーを交えながら言い訳を始めた。


「ヘルマンニの爺さんよ、悪かった。言い過ぎたぜ。

 誤解して欲しかねぇがティグリスぁアンタに不満があるわけじゃねえ。むしろ感謝してんだ。

 あの日、アウトりウシアの領民たちが飯を食えたのはアンタの女房かみさんのおかげだ。郷士ドゥーチェ領主ドミヌスが避難民の食い物を一括して買い上げて配給するってのはいいアイディアだった。払いもツケにして貰えてるしな。


 ただ、俺が不満なのはそこじゃねぇんだ。

 俺のアンブースティアだって被害は馬鹿になんねぇんだぜ?

 それなのに領主様も軍団もメルヒオールんトコアイゼンファウストばっか贔屓ひいきしてよぉ、こっちアンブースティアは援けてくれねぇってのはねぇんじゃねえのかいってことよ!」


 ヘルマンニはムスッとした表情のまま「ああ、わかっとるよ」とボソリと言った。

如何いかにもつまらなそうな表情で、口はへの字に固く結んだまま腕組みをしている。

 彼と付き合いの長い者なら、口元から歯を覗かせていない時点で本気で怒ってるわけじゃない事はわかるのだが、そうでない者には不穏なものを感じさせてしまう態度だった。

 ティグリスの不満は解消されたわけでは無かったが、舌鋒ぜっぽうの勢いをそれですっかりがれてしまった。

 それを見てアルトリウシア軍団の筆頭幕僚トリブヌス・ラティクラウィウスラーウスが立ちあがると、アイゼンファウスト支援優先の理由を説明し始める。



アンブーストゥスティグリス卿の御不満はもっともです。

 しかし、アイゼンファウスト地区の被害は焼失面積も被害者数も最大で、アイゼンファウスト以外のすべての地区の被害を合わせたよりも大きな被害を被っています。

 また、アンブースティアはセーヘイムと従来通り行き来できますが、リクハルドヘイムとアイゼンファウストは湾岸街道の橋を落とされたためマニウス街道へ大きく迂回せねばならなくなっています。リクハルドヘイムはともかく、アイゼンファウストはセーヘイムと日帰りでの往復が事実上不可能になってしまいました。

 それに、アンブースティアの被災民は当初からティトゥス要塞等へ収容されており、現在野宿を強要されている被災者はほぼありません。

 以上の理由から、当面はアイゼンファウストへの支援を最優先すべきと判断しました。」


 アンブースティアはティグリスの指示で実施された初期の破壊消火が功を奏し、貧民街で発生した火災はティグリスが建設した住宅地にまで及んでいなかった。

 焼けたのは全て難民たちのバラックだけで、アンブースティア本来の住民に火災の直接的な被害は及ばなかったのである。

 このため、焼け出された被災者は元々家を持ってなかった(バラックに住んでいた)難民たちだけであり、一度はティトゥス要塞へ逃げ込んだ住民たちも自分の家が無事だと知るやいなや、次の日には帰宅して普段の生活に戻ってしまっていた。

 焼け出された被災民はアンブースティア内のティトゥス要塞や空き家や建設中だった集合住宅インスラにおおむね収容出来ており、現時点で屋根のない場所での生活を強要されている者は少数だった。その少数も焼け跡から金目の物を拾い集めるためにあえて外にいるような連中だった。



「つまりあれだ、アイゼンファウストにはこの寒空の下で野宿してる奴がごまんと居やがるから、まずはそっちをどうにかしようってぇんだな?」


 リクハルドが訊くとラーウスは「その通りです」とだけ言って着席した。

 口をへの字にして考え込む様子を見せたティグリスだったが、それでもやはり納得しきれず絞り出すように言った。


「理屈はわかるぜ、だがまつりごとってのは理屈じゃねぇ。

 真っ黒な焼け野原が広がってんのはウチアンブースティアだって同じだ。

 それなのに領主様が軍団兵レギオナリウスを差し向けて援けてくれるのはアイゼンファウストだけで、こっちアンブースティアには軍団兵が来ねぇってなったら、住民たちゃあどう思う?

 ちっと考えてみて欲しいもんだぜ。」


 ティグリスが言ったことも一つの真理ではあった。政治の本質は理論ではなく感情である。理論的にどれだけ優れているかでもどれだけ正しいかでもなく、民衆の感情を満足させられなければ如何なる政治も成功はしないのだ。インテリ政治家、特に学者上がりの政治家が上手くいかない最大の理由はそこにある。

 今、この席上で話されている復旧復興の支援策もまさにそれだった。理屈の上では合理的で正しいのだが、住民の感情に対する配慮が欠けているのだ。


 五、六秒ほども沈黙が続いた後、再びラーウスが起立して発言する。


「しかし、マニウス要塞から軍団兵を通わせるにはアンブースティアは遠すぎます。

 ティトゥス要塞もすでに被災民でいっぱいですし、アンブースティアに駐屯させようにもテントは全て被災民に貸し出してしまって残っていません。

 家屋等の建築資材もまずは野宿を強要されている被災民のために使われねばなりません。」


 軍団兵だって人間である。重労働をさせようというのに野宿させるわけにはいかない。


「なあ、ティグリスだって無理言うつもりはねえ。

 さすがに軍団レギオー全部で助けてくれたぁ言わねぇよ。

 せめて大隊コホルスほどは来てくれねぇと住民は納得しねぇぜ。

 公会堂バシリカ集会場コミティウムを使うとか、何か方法はあんだろ?」


 執拗に食い下がるティグリスに根負けするように、軍団長レガトゥス・レギオニスのアルトリウスがため息を一つ付くと着席したまま隣で起立しているラーウスに言った。


「仕方ない、アンブースティア地区周辺にある使えそうな公共施設を接収して部隊を派遣できないか検討しよう。

 ただし、最大で一個大隊までだ。」


「ありがてぇや!さすが貴公子様だ、話が分かるぜ。」


 満足したティグリスが満面の笑みを浮かべるのとは対照的にラーウスは難しい顔で小さくわかりましたと言って席に着いた。


「各地区の復旧支援についてはこれでいいな?

 じゃあ、ちっと提案なんだけどよぉ」


 リクハルドは問題が一つ解決した事で流れ始めた安堵の空気を破るように声をあげると後ろに控える家令のパスカルに向かって指を鳴らして合図した。パスカルはその場で起立すると一礼し、手に持った書類の束をリクハルドに渡した。

 リクハルドは受け取った書類の束から自分の分を一枚抜くと「回してくれ」と言って隣に渡す。


「なに、難しいこっちゃねぇ、どのみちやらにゃなんねぇ事だ。

 落ちてしまった湾岸街道のウオレヴィ橋とヤルマリ橋の再建についてだ。

 ウチリクハルドヘイムの大工に見積もりだけ先に出してもらったんでな。」


 リクハルドが用意したのは橋の修理の見積書だった。


「随分、用意が良いな。」


「へっへ、ありがとよ。」


 感心とも呆れとも皮肉ともとれる誰かの声に対し、巨体を揺すって素直に感謝を述べるとリクハルドは続けた。


「アイゼンファウストの復興のためにも、海軍基地カストルム・ナヴァリア城下町カナバエの再建のためにもあの橋は必要だ。ウチリクハルドヘイムとしてもな。

 人工にんくについちゃ問題ねぇ、この見積もり出した大工にやらせるさ。

 ただ、橋の修理に必要な建築資材の確保がままならねぇ。

 ここに書かれた資材か、さもなきゃかねを工面してもらいてぇのよ。

 できれば両方工面してもらえるのがありがてぇんだがな」


 がっはっはと最後に笑って締める。

 一同は自分の所に回ってきた見積書を眺めて顔をしかめて黙りこくった。見積額が結構な額に昇っているからだ。


「おいおい、これでもリクハルドぁ結構値切ったんだぜ?」


「水増ししてねぇだろうな?」


「するかよ!」


 隣のティグリスからの茶々入れに反応しながらも補足で説明する。


「今残ってる橋や使える材料はなるべくそのまま使いまわすよう言ってある。

 表面が焼けちまった橋板なんかはひっくり返して使う事も考えてあるし、使える木材は川に流されねぇように見積もりん時に回収させた。

 悪ぃが、これ以上は俺っちリクハルドも値切る自信はねぇぜ?」


 工兵による野戦築城等も担当している軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムのアシナが見積書を睨んだまま慎重に口を開く。


「リクハルド卿のおっしゃることは本当でしょう。

 アシナとしては必要となる資材が少なすぎると思ったくらいですが、リクハルド卿の先ほどの御説明から納得できました。」


「おお!さすがエリートさんだ、話が早くて助かるぜ!

 ついでに言うとこの見積もり出した大工は軍団で工兵やってた奴だ。

 他の奴にやらせたって安くはなんねえぜ。」


 喜色を含んだ声をあげるリクハルドに対し、しかし周囲の反応はかんばしくない。

 ウオレヴィ橋とヤルマリ橋の両方を修理したとして人件費だけで一万五千セステルティウスもするのに、そこに資材費が別途必要になる。一昨年以来のインフラ整備事業によって建材の相場は一貫して上昇基調であり、今回のハン支援軍アウクシリア・ハン叛乱事件による大規模火災の復興需要によって更なる上昇が見込まれていた。

 見積書によれば事件前の相場で四万セステルティウスを請求しているが、注意書きで最大五万セステルティウスに達する可能性もあると書かれていた。

「この大工は資材を調達してくれるなら手間賃の一万五千セステルティウスだけで良いって言ってくれてる。これでも端数を切り落としてだいぶ勉強させたんだ。

 やるなら早い方が良いぜ?」


 事実、これ以上安くやってくれる業者は無いだろう。破格と言って良い金額だ。

 しかし、資材費込みで六万セステルティウスもの大金となるとポンと出せる額ではない。

 子爵家の財務官ハルサが難色を示した。


「安いのは確かかもしれんが・・・」


「誰か一人でポンと出せる額じゃねえのは分かってるさ。

 だが、みんなが使う橋だ。ここは一つ・・・」


 リクハルドが分担を提案しようとしたところでルキウスが口を開いた。


「仕方無い。子爵家ウチで出そう。」


閣下ルキウス!」


 ルキウスの決断にハルサが思わず声をあげる。リクハルドも他の面々も我が耳を疑い、驚きの表情でルキウスを見た。


閣下ルキウス、御再考ください。

 すでにかなりの出費をしており財政は危機的状況です。

 当家には既にそのような余裕などありません。」


 ハルサは立ち上がってルキウスに反対意見を述べた。

 今年はまだ四月でこれから冬を迎えるのだ。冬の間も避難民を支援し続けねばならない事も考えると、この調子で出費を続けていては年末の徴税を待たずに領地経営が破綻する。


「いや、子爵家ウチで融資を受ける。

 デナリウス銀貨を貸してもらえるアテがあるのだが、問題ありませんな?」


 食い下がるハルサをハンドサインで制止すると、ルキウスは落ち着いた調子でそう言いつつ、下座に座る元老院議員セナートルのアントニウスを見た。

 もちろん、リュウイチから銀貨を借りたいが問題ないですねという確認だった。

 アントニウスももちろんリュウイチから銀貨を借りる事に問題は無いな?というルキウスの意図を察している。要するにルキウスはこれが恩寵おんちょうの独占ではないという元老院議員のお墨付きが欲しいのだ。

 昨日、リュウイチがアントニウスから銀貨二百六十万枚を受け取った事を知っている者たちはそのことを察したが、リュウイチの存在を知らない郷士ドゥーチェたちはアントニウスからか、あるいはアントニウスを仲介して帝国から金を借りる打診だと勘違いした。


「え、ええ・・・問題ないと考えます。」


 一番驚いたのはリクハルド自身だった。


「マジかよ。まさか全額?」


「全額だ、詳細を詰めたいのでその大工を寄越してくれ。

 よろしいかな、リクハルド卿?」

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