第128話 シャツとズボン

統一歴九十九年四月十四日、午後 - マニウス要塞陣営本部/アルトリウシア



 ネロはただのネロである。

 だが奴隷になる前はネロ・アヴァロニウス・レグルスという騎士エクィテス階級の家の嫡男であった。子爵家と同じアヴァロニウス氏族を名乗る下級貴族ノビレスの一員である。

 もっとも、ここアルトリウシアで氏族名を名乗る者たちの四割近くがアヴァロニウス氏族なので、アヴァロニウス氏族だからという理由で何か特別扱いしてもらえるわけでは無いのだが。


 父はネロが生まれて間もなく戦死した。

 父方、母方ともに先祖代々の軍人の家系で、ネロは兄と共に将来は父のように立派な軍人になるようにと育てられた。一家の主を失った軍人一家の生活は決して裕福とは言えなかったが、母は苦しい家計をやりくりして二人に家庭教師をつけ、施せる限りの教育を施した。

 ネロに父の事はまったく記憶にないが、母から聞く父の姿を追い求めて二人の兄弟は育った。兄が軍団レギオーに入隊を果たした際には、母は涙を流して喜んだ。

 一昨年の火山災害で演習中に火砕流の直撃を受けて兄が殉職を遂げると、母はこれまでの苦労もあったのだろう、病床に伏すようになった。


 そして母の期待を一身に受けたネロが軍団に入ると、母は使えるだけのコネクションを駆使し、ほぼ全財産を投じるかのようにと紹介状を用意してネロを支援した。

 おかげで入隊後わずか半年で十人隊長デクリオに就任した。残念ながら兵科は花形の騎兵エクィテスでも主流の重装歩兵ホプロマクスでもなく、むしろ一段低く見られている軽装歩兵ウェリテスだったが、それでも母の期待に応えるため、亡き父のような百人隊長ケントゥリオになるために頑張った。


 しかし初陣で、あろうことか降臨者リュウイチをメルクリウスと誤認し、無謀にも暗黒騎士ダークナイトに挑んで見事に惨敗。

 リュウイチ本人の意向もあって降臨者リュウイチを攻撃してしまった罪は許されたものの、軍命違反の罪は免れず不名誉除隊の挙句奴隷に堕とされてしまう。


 だからネロはもうネロ・アヴァロニウス・レグルスではなく、ただのネロである。


 もはや軍団での出世の道は途絶えてしまったが、軍団長レガトゥス・レギオニスのアルトリウスはネロが被保護民クリエンテスとしての役目を果たし、奴隷から解放された暁には、衛兵隊か要塞守備隊への入隊を約束してくれた。

 軍人としての立身出世の途はまだ残されているのだ。

 ならば、せめて将来軍人に戻った時のためにも、兜かぶりガレアトゥスとして研鑽けんさんを積むべきではないか。



 ・・・という、ネロのきわめて個人的な理由によって、奴隷に堕とされた八人はリュウイチの兜かぶりガレアトゥスとして武装する事になった。

 最も、リュウイチ自身がこの世界ヴァーチャリア最強の存在であるし、既にアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアのクィントゥス率いる一個大隊コホルスが警護の任に専従している以上、武装奴隷ガレアトゥスなんてまったく必要ない。恰好は武人のように整えても、彼らの普段の仕事は一般の奴隷と同じでリュウイチの身の回りの世話と言う事になる。


 ただ、ネロ達の境遇に責任を感じているリュウイチはネロ達がなるべく望む形で今後の生活を送らせたいと考えていたし、奴隷に身の回りの世話を焼かせようにも料理は料理人を貸してもらえているし、掃除や洗濯といった家事は自分の浄化魔法とルクレティアで間に合っているしで、彼らにさせなければならない仕事があるわけでも無かった。せいぜい、庭の手入れと彼ら自身の身の回りの世話と、使くらいなものだろう。

 彼らはそうした雑用を担いつつ、空いた時間に軍団にいた時と同様戦闘訓練を行う事となった。


 じゃあ、武装奴隷ガレアトゥスとして装備を整えるとしてどうしようか?


 ・・・で始まってしまったのが、今中庭アトリウムで行われているファッションショーというか装備品の品評会というか・・・

 嫌な予感がしたクィントゥスは一応、最初に断ったのだ。


「リュウイチ様、奴隷がそもそもリュウイチ様の持ち物ですから何を持たせてどういう恰好をさせようとも構いませんが、彼らに与えたものは盗まれてしまう可能性もあります。

 そこを御考えいただき、間違っても魔道具マジックアイテムとか魔法効果を付与された強力な武器なんかは持たせないでください。」


 リュウイチはわかったわかったもちろんだと快諾した。それでも不安の拭いきれなかったクィントゥスは立ち会わせてもらった。



 最初はトゥニカから始まった。もっとも単純な貫頭衣であり、レーマで最も一般的な衣服である。

 だが、この品質がこの世界ヴァーチャリアの一般的な水準を大きく上回っていた。厚手でしっかりしているクセに恐ろしくふんわりと柔らかな木綿の生地で出来ており、しかも眩しいほど白く漂白されている。

 例のごとくリュウイチがどこからともなく取り出したトゥニカを見せられた一同は最初随分と喜んだものだが、さっそく着替えてみたところでおかしなことに気付いてしまった。

 最年長のリウィウスがおずおずとを立てる。


「だ、旦那様・・・こいつぁその、すごくいいもんだが、たけが短すぎやせんかね?」


 この世界で一般的なトゥニカの裾は膝上ぐらいまである。しかし、彼らがリュウイチから与えられたトゥニカは袖は手首まであるが裾は尻ぐらいまでしかない。まるで子供用のトゥニカを大人が無理やり着てるみたいだ。

 そのおかげで裾からフンドシスプリガークルムがチラチラと見え隠れしてしまう。

 ルクレティアはツボにはまったのか後ろを向いて顔を赤くしながらも肩を小さく震わせて笑いをこらえていた。クィントゥスも意地悪な笑みを浮かべながら手で口元を隠して笑いをかみ殺している。


『それ「冒険者のシャツ」で、下にズボンを履くんだけど・・・』


 リュウイチはストレージから『冒険者のズボン』を取り出して差し出した。


「ああ、ズボンブラカエと合わせるんですか・・・どうりで、こりゃどうも!」


 八人は照れ笑いを浮かべながら明るい茶色のズボンを受け取り、いそいそと履き始める。


『そういえば、軍団兵レギオナリウスの人らもみんなズボンを履く習慣は無いんですか?』


 リュウイチの疑問にクィントゥスが答えた。


「普通は履きませんね。

 脚を見せる方がと考えられています。まあ、ここらアルビオンニアの冬は寒いのでさすがに履きますが、寒くて履かずにはいられないってわけでもないなら普通は履きません。

 あと、キリスト者は履きますね。彼らは肌を露出するのは良くないと考えているんだそうです。」


『クィントゥスさんは履いてますね?』


 クィントゥスは濃い茶色と赤の中間みたいな色をしたウールのズボンを履いていた。


「ええ、私も非番の時は履きませんが、勤務中は履いてます。

 馬に乗ると内股が擦れるんで馬に乗る騎兵エクィテスや貴族は履きます。

 私は貴族でも騎兵でもありませんが、騎兵以外の軍団兵でも百人隊長以上は馬に乗る資格があるので、大隊長ピルス・プリオル以上や幕僚トリブヌス連中は勤務中は履いている事が多いですね。」


 ふーんと感心したような無関心なような曖昧な反応を見せながらリュウイチはシャツの裾をまくり上げながらズボンの腰紐を縛っている奴隷たちを見た。


『てことはズボンは無い方が良い?』


 リュウイチのストレージに丈の長い男性用の上衣は無かったが、素材アイテムの布は多量にあるのでそれで彼ら好みの膝丈の衣類を作るか、あるいは金を渡して買って来させるかしようと考えての質問だった。

 しかし、これを聞いた彼らはこの尻丈のシャツのままズボンだけ取り上げられるのかと勘違いして大いに慌てた。


「いえ、大丈夫です!」

「そうです、奴隷ですから主人に与えられたものを着るのが当然です!」

「ええ、このズボンブラカエも大層な代物で!」

「これから寒くなりやすし、こいつぁ暖けぇしちょうどいいです、な!?」

「ああ、そうだそうだ!」


『そ、そう?

 いや、膝丈のシャツは持ってないけど、素材の布はいくらでもあるし金もあるから自分たちで作るか買って来るという選択肢もあったんだけど・・・』


 彼らの勢いに思わずたじろいだリュウイチがそう言うと、彼らはウッと息を飲んで動きをピタリと止めた。


『あ、やっぱり自分たちで作るか買うかする?』


 八人は表情を固めたまま互いに顔を見合わせると、しどろもどろに取り繕い始める。


「いや・・・それはその・・・それはそれで・・・」


 彼らとしては主人リュウイチの機嫌を損ねる事はもちろん絶対避けたい。さっきの自分たちのこれで良いという主張がウソだったと思われていきなり信用を無くすことは避けたかった。だが、さっきの言葉が勢いに任せて出た言葉で本心ではないのも事実である。

 彼らとしてはズボンを履かないでいられるならば、履きたくないのだ。しかし、ズボンが良いと言ってしまったし、今更ウソでしたと言って良いものかどうか判断がつかない・・・


『あ・・・じゃあ、なんだ、仕事用の服は支給して、休みの日とか仕事しない時用の服は自分たちで買ってもらうってことでいいかな?』


 彼らの心情を察したリュウイチが一つの解決策を出すと、八人は別の部分に食いついた。


「や、休みなんて貰えるんですか!?」


 病気や怪我で働けなくなったなら別として、基本的に奴隷に休みなんてない。

 彼らは主人のなのだから、本来は年中無休のはずだった。


『いや、だって、休みが無いと困るだろう?

 君らで話し合って交代で休んでもらって構わないよ。』


 それを聞いた途端に八人の顔が一斉にほころんだ。

 当たり前のことを言ったつもりだったが、予想外の反応に何か落ち着かない気分になったリュウイチは話を続けた。


『じゃ、じゃあ次は履物かな?』

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