第1350話 追い出されるネロ

統一歴九十九年五月十二日・朝 ‐ マニウス要塞陣営本部プラエトーリウム・カストリ・マニ/アルトリウシア



 ルクレティア・スパルタカシアには魔導具マジック・アイテムが与えられた。それは元々婚約の証という位置づけであり、また正式に受け取る前にリュウイチと同衾どうきんして聖女サクラとしての立場を手に入れたうえでの話だ。実際にはルクレティアにはリュウイチの手は付いていないが、世間はそこを疑うようなことはしないだろうし、誰も確かめようがない。ルクレティアは聖女なのだから、降臨者リュウイチから聖遺物アイテムを与えられても問題は無いし、それが魔導具だったからといって周囲から文句を言われる理由は無い。

 対するリュキスカには魔導具が与えられていない。リュウイチの手が付いたのはリュキスカの方が先だし、しとねを共にしたのは何をいわんやだ。ルクレティアはたった一回、それもベッドで添い寝をしただけで互いに身体に触れることもなかったが、リュキスカは二~三日に一度のペースで身体を重ねているので十夜を超える。リュキスカは平民プレブス娼婦メレトリクスだが、今や並の聖貴族を凌駕する魔力持ってしまっている。もはや押しも押されぬ第一聖女プリムス・サクラだ。

 それだというのにルクレティアには魔導具を与えられ精霊エレメンタルまで付けられているのに、リュキスカの方は衣服こそ貰っているものの魔導具なんてものは何も貰っていないとなれば、ちょっとその扱いが公平性に欠いているという指摘は誰も否定できないだろう。この状況を是正しようと思ったらリュキスカに魔導具を与えるか、ルクレティアから魔導具を取り上げるかしかない。後者は今更あり得ないだろう。


 つまり、リュキスカに魔導具が渡されるのは最早避けようがない……が、そのことに危機感を募らせる者がいた。ネロである。


 魔導具マジック・アイテムは禁制品!

 いくら聖女サクラだからって、奴隷セルウスだからって、この世界ヴァーチャリアの人間にそう簡単に渡されていいはずがない。

 世界に魔導具マジック・アイテムが広まらないように大協約は定められてるんだぞ!

 それなのに、よりにもよってリュキスカこの女!?

 聖貴族コンセクラータ女神官フラミナ貴婦人パトリキアならともかく娼婦メレトリクスだぞ!

 いくらリュウイチ様の手が付いたからって、雌オオカミ犬リュキスカなんてふざけた名前のふしだらな女メレトリクス魔導具マジック・アイテムなんて……危険すぎる!!


 ネロは一人顔色を失くし、身体は激情に身を震わせんばかりになっていた。しかしリュウイチの背後に立つネロの様子に気づいた者はいない。ただ、《風の精霊ウインド・エレメンタル》だけが気づいていた。


『主様』


 《風の精霊》がリュウイチにだけ聞こえるように念話で囁く。


『後ろの御仁が何やら酷く動揺しておられる様子です』


 リュウイチは振り返ってネロを見ることはしなかったが、しかし《風の精霊》の報告でネロが何故ひどく動揺しているかは想像がついていた。

 ネロはリュキスカのことを嫌っている。多分、軽蔑しているだろう。ネロは軍人の家系で父も祖父も騎兵エクィテスの称号を持っていた。一応、下級貴族ノビレスだけあって他の奴隷たちに比べ教育水準が高く、身体も優れた体格に甘えることなくしっかり鍛えている。見るからにまじめな性格で礼儀正しいが、時折几帳面すぎるところが仇となって周囲と衝突したりする。今でこそ奴隷に身をやつしているが、本来なら所謂いわゆる優等生タイプのエリートだ。

 対するリュキスカはと言うと何もかもがネロと真反対だ。母は娼婦で父親は誰だか分からないうえ、自身も娼婦なのだから社会的身分という点では最下等に位置していると言っていいだろう。一応、州都アルビオンニウムで育っただけあって青空教室で簡単な読み書きと四則計算ぐらいは身に着けたようだが、受けた教育といえばそれくらいでまともな教養なんてものは持ち合わせていない。やることなすこといい加減で、娼婦だというのに避妊に失敗し、若くして父親の分からない子供を産んでしまっている。リュウイチに対しても身分差をまるで解さないかのような図々しい態度をとり、おおよそ淑女らしい要素が一切見当たらない。勤勉でも貞節でもなく奥ゆかしくも無い。男性を敬うこともせず、まさに金を稼ぐ女メレトリクスそのものだ。リュキスカはネロが最も嫌うタイプの女なのだ。

 そのせいかネロとリュキスカは度々衝突している。互いに相手のことを結構凄い目で睨んでいたりすることがよくあるし、積極的に陰口を広め合うような真似こそしていないものの、ポツリポツリと不満を漏らす程度のことはしていた。


 高校生なら優等生委員長とギャル系ヤンキー娘ってところか、馬が合わなくて当然っちゃ当然なんだよな……


 奇しくも二人の年齢は《レアル》なら高校生ぐらいであった。ネロが今年二月に十七歳になったばかりで、リュキスカが十八歳(今年八月に十九歳)。ネロの方が二歳年下になるが、ネロはホブゴブリンでありホブゴブリンはヒトより成長が早いため、肉体年齢的には同い年ぐらいである。二人ともまだ思春期ではあるが種族が違うために互いを“異性”として過剰に意識してしまうことがないことから、余計に反発しやすいのかもしれない。


『ネロ』


 リュウイチはネロを振り返ることなく呼びかける。ネロは茫然としていたが、呼びかけられたことに気づくとビクッと身体を震わせて我に返った。


「は、はい旦那様ドミヌス


 虚を突かれたせいだろう、ネロの声は浮ついていた。


『リュキスカに魔導具マジック・アイテムをあげたいと思うけど、やっぱり一応ルキウスさんとかには前もって話をしておいた方がいいと思うんだ。

 私からも話をするけど、前もってネロから報告してもらえる?』


「じ、自分がでありますか!?」


 リュウイチは座ったままネロの方を振り向いて続ける。


『うん、早ければ今日の要塞司令部プリンキピアでの報告会で話をすることになるかもしれないし、報告会の後でひとまずルキウスさんやアルトリウスさんだけと話をすることになるかもしれない。

 どっちにしろ前もってこういう話をするって伝えといたほうがいいだろ。

 となると、今この場で話を聞いていた君が一番の適任だろ?』


 ネロはゴクリと喉を鳴らした。


「で、では、い、今からもう、行った方がいいですか?」


 いつものネロらしからぬ動揺である。普段なら言われた途端にすぐに動くのに、こうも躊躇とまどって見せているのは自分がここで成すべきことがあると思っているか、あるいは行きたくない理由が他にあるかだろう。ただ、ネロ自身は自覚はなかった。


『うん、お願いします』


「ハッ!」


 ネロは反射的に踵を鳴らして姿勢を正すと、サッとお辞儀をしてそのまま「では失礼します」と短い挨拶を残して部屋を出て行った。動き出せば颯爽としたものである。ネロが扉の向こうへ姿を消すと、リュキスカは「ほぉぉぉぉ~~~っ」と安堵したかのように小さく長い溜息をついた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る