第14話 地獄の軍馬

統一歴九十九年四月十日、午前 - ケレース神殿前/アルビオンニウム



 かくして、ド派手な貴族様リュウイチとアルトリウスらの一行はアルビオンニウムの港へ向かうべく神殿テンプルム前で部隊を整列させていたのだが、そこでひと悶着もんちゃく発生していた。


「ダメよ!リュウイチ様を差し置いて座與セッラになんか乗れないわ!」

 ルクレティアが自分の足で歩くと主張し、座與で運ばれるのを拒否しはじめたのだった。

「勘弁してくれ、昼までに出港したいんだ。

 君の足に合わせてたんじゃ間に合わない。」


 空は再び灰色の雲に覆われたため太陽は隠れて見えないが、明るさからして日は既にだいぶ高くなっている筈だ。

 海峡を渡る際には複雑な潮流を読んで渦潮を避けねばならないため、渡り切る前に暗くなってしまう可能性がある場合は出港を翌日に延期しなければならない。

 神殿から船着き場までただ歩くだけなら間に合うが、途中で廃墟に置いてきた装備品類を回収する事や、出港作業などを考えると既にギリギリの時間だ。

 それも軍団レギオーの行軍速度での話。

 普段運動する習慣もなく、街中の移動で驢車ろしゃに乗ってる神官の娘に足首まであるストラを着たまま歩かれたんじゃ間に合うはずが無かった。


「じゃあ、リュウイチ様の乗り物を用意して!」

「今から!?

 そんな時間あるわけないだろ。」

「リュウイチ様が歩くのに、仕える私が座與に乗るなんて許されるわけないじゃない、わかってよ。

 あなただって御養父ルキウス様が一緒の時は馬に乗らないでしょ!?」


 言いたいことは分かるが事情が違う。

 そもそもアルトリウスの養父であるルキウスは持病の腰痛のせいで馬に乗れない。そのルキウスがリハビリのためにあえて歩いているのなら、アルトリウスも同行する際には馬から降りて歩くというだけのことだ。

 今回のように時間が限られている場合、ルキウスだって何らかの乗り物を利用するし、アルトリウスも遠慮なく馬や乗り物に乗る。


「だからといってあの座與は君たちの体格にあわせてあるんだ、

 リュウイチ様には小さくて乗れないぞ。」

「だから別の座與か臥與レクティカを用意してって!」


 ルクレティアにしても何も考えずにわがままを言っているわけではない。

 身分社会であるこの世界で自分より高貴な人物を差し置いて乗り物に乗るなどあってはならない事だという理由もある。


 だいたいそれに輿こしなんて簡単に作れるはずだ。

 最低でも棒二本と板一枚あれば簡素な輿なら作れる。棒はハスタを使えばいいし、板はそこらの戸板でも良いし大楯スクトゥムを使っても良い。



「あの人らは何を言い争ってるんだ?」

 龍一が《火の精霊》に尋ねた。

『主様の乗り物を用意するしないで言い争っておるのだ。

 娘たちには輿があるのに、主様のは用意しとらん。』

「遠いのか?」

『いや、ここから見える船着き場までだ。』

 神殿のある丘の上からは船着き場のある海が直接見える。直線で四キロもないくらい・・・《暗黒騎士》の身体なら走って五分で着くだろう。

「車があれば乗りたいところだが、別に歩けないほどの距離じゃないな。」

『なにをとぼけた事を・・・強大無比な主様ならあそこまで全力で走ったところで息も切らすまいに。』

「そうなの?」

『全力じゃなくても軽く走れば四、五分で着くだろう。』

「ちょっと信じられないんだけど・・・」

『先刻の戦闘でも毛ほども力を出さなかったくせに圧倒的だったではないか』

「・・・ともかく、乗り物は必要ないって伝えてくれないか?」

『伝えても良いが、ルクレティアと言う娘子むすめごは主様が歩くのなら自分も歩くと言ってるぞ?主様が歩くのに自分だけ輿に乗るわけにはいかんと』

「じゃあ歩かせれば?」

『それでは時間に間に合わんのだそうだ。』

「ふーん・・・」

 龍一はそのまま黙った。


 ・・・こいつは何も考えてないな。

『何か騎獣を召喚してやればいいのではないか?』

「ん?あるの?」

『ペガサスとかグリフォンとかスレイプニールとか色々持っておったろう?』

「いや、知らない。

 えっと、ちょっと待て、探してみる・・・あ、あった。」

『それを召喚すれば解決だろう。』

「乗れるの?」

『持ち主に乗れない理由がわからんな。』

 さすがにイライラしてきた。

「いや、乗った事ないからさ」

『先刻の戦闘でも使った事ない魔法やスキルが使えてただろう?』

「そりゃそうだけど・・・」

『いっそワイバーンでも召喚して度肝を抜いてやるが良い。』

「目立つなって言われてんじゃん・・・えーっと、これだ」



召喚サモン・《地獄の軍馬ヘルウォーホース》!!」


 ルクレティアとアルトリウスが言い争ってる後ろでリュウイチの声がした。

 一同がそちらを見るとリュウイチが指さす地面に黒い点が現れ、それが一挙に大きく広がって底の知れない穴となった。そしてそこからゴウッと炎が噴き出し、それと共に炎に包まれた巨大な馬が駆けあがってきた。


 その姿に全員がおののき、思わず悲鳴を上げる者すらいた。

 全員が顔色を失い、目を見開いて見つめる前で、その馬は苛立つかのように前膝を高く掲げ荒々しく地面を踏み鳴らし、頭を激しく振りながらリュウイチの周りをグルグルと反時計回りに回りはじめる。


 体高だけで一ピルム(約百八十五センチ)はありそうな巨大な馬体は隆々とした筋肉で覆われ、脚の一番細い部分であるはずのかん(前膝から下の部分)でさえ鍛え抜かれたホブゴブリン兵の太腿よりよほど太い。

 それだけならただ大きいだけの馬だ。

 全身を覆う体毛は青黒く染まり、たてがみ、尻尾、蹄冠ていかんひづめのすぐ上のあたり)に生えた飾り毛と蹄はメラメラと炎を上げて燃えあがっている。目は赤く光り、吐く息にも一々ゴウゴウと炎が混じり、地面に出来た蹄の跡からさえ炎が上がっている。


 まるで全身全霊をかけてすべてを焼き尽くさんとしているかのようなその姿に全員が圧倒されている中で、リュウイチは手綱をとると両手を鞍にかけ、左足をあぶみにかけて一気に飛び上がるようにして鞍にまたがった。


 次の瞬間、馬は前脚を高く掲げ、リュウイチを振り落とそうとするかのように後ろ脚だけで立ち上がる。

 リュウイチが両足を踏ん張り、手綱を引いて堪えると、馬は高くいなないて前脚を降し、それ以後は嘘のようにおとなしくなった。


 気づけば馬が飛び出してきた穴は何事も無かったかのように消え失せていた。



『何でそんなものを・・・』

 大人しくなった《地獄の軍馬》の首を嬉しそうにポンポンと叩くリュウイチに、《火の精霊》は呆れを隠すことなく不平を言う。無論、リュウイチ以外には聞こえない様に。

「いや、メニューアイコンのデザインが一番目立たなそうだったから選んだんだが・・・」

『確かに一番地味だ。』

「なら良いじゃないか。」

 派手好きな《火の精霊》からすればそれこそが不満だったのだが・・・ブヒヒンと鼻から炎を吐いた馬を見て『まあ、いいか』とそれ以上何かを言うのをやめた。


 《火の精霊》は今度は逆にリュウイチ以外に聞こえるように念話で告げる。

『聞け、者ども。

 そなたらが吾が主の乗り物を御用意できぬ事をおもんぱかり、吾が主は御自らのしもべを御召喚なされた。

 勿体なくもかしこくも、そなたらへの御配慮から、わざわざ最も地味な騎獣を御選びになられた。

 ありがたく思うが良い。』



 《地獄の軍馬》の召喚を目の当たりにして半ば腰を抜かしていた兵士らは《火の精霊》の御告げを受けて我に返った。顔から血の気は失せたままだったが、ガチャガチャと具足を鳴らして隊列を整える。

 アルトリウスも目を見開き口を半開きにしたまま固まっていたが、二、三度目をしばたたかせ、兵士らの目が自分に向いていない事に小さな安堵を覚えつつ威儀を正し、思わず取り落としてしまった兜を拾い上げた。


 軍団将兵レギオナリウスの全員が度肝を抜かれ情けない姿を晒してしまった事に恥じ入っていた。小さな咳払いもまばらに聞こえる。

 ルクレティアはアルトリウスに座與へ乗るよううながされてようやく平静を取り戻し、リュウイチに一礼してから大人しく座與に乗りこんだ。



 伝令と狩猟(リュウイチの夕食のための食料調達任務)のために先行した軽装歩兵を除く二百名がアルトリウスを先頭に船着き場へ向けて出発したのは、それから数分後のことだった。

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