第1272話 ウッシの報告

統一歴九十九年五月十一日、夜 ‐ グナエウス砦ブルグス・グナエイ西山地ヴェストリヒバーグ



メルキオル先生プレディガ・メルキオル!」


 馬車から降りたメルキオルは背後からやけに切羽詰まった声で呼び止められて振り返った。


「どうかしましたか、ウッシ尼シュベスター・ウッシ?」


 メルキオルを呼び止めたのはシュバルツゼーブルグから明日の日曜礼拝の補助のために随行してきた修道女ノンネだった。彼女は丁度、御者に手を取ってもらいながら馬車から降りるところだった。馬車から降りやすくするために御者の用意した踏み台から地面へと脚をつけたウッシは御者へのお礼もそこそこにメルキオルの下へ小走りで駆け寄る。その表情は離れたところで燃えている篝火かがりびの頼りない光の下では分かりづらいが、何かに酷くおびえている様子だった。


メルキオル先生プレディガー・メルキオル

 先ほどの若い御方を連れ去った大きな男のヒト、御覧になりましたか!?」


 息がかかりそうなほどの距離まで近づいた彼女が苦しそうに胸に手を当て、まだ近くにいる御者に聞こえないように声を抑えて訴えてくる。メルキオルはウッシの勢いにされるように一瞬後ろを下がりかけたが何とか踏みとどまり、彼女の目に浮かぶ恐れに気づくと逆に前屈みになって顔を近づけた。


「あのホブゴブリン兵と一緒にいた大きな男性ですね。

 彼がどうかしましたか?」


 ウッシにあわせて声を潜めて尋ね返す。ウッシは何も気づいてなさそうなメルキオルの様子にわずかに失望し、胸にあてていた手をうごめかして自らのロザリオを探り当てると両手で握りしめた。そして視線を落とし、唇を震わせながら何か重大なことを打ち明けるように口を開く。


先生プレディガーはお気づきになりませんでしたか、あれはこの世のモノではありません。

 ヒトの姿をしていますが人間ではない、もっと別のもの……きっと悪魔ディーモンです!」


 まるで自分の言おうとしていた言葉が地面に散らばっていて、それを探すかのように視線を泳がせながら、修道女はようやく打ち明けた。それはメルキオルにとって全く予想外の告白だった。


悪魔ディーモン!?」


 思わず眉を寄せ顔をしかめる。我が耳を疑うというより、発言者の正気を疑うかのような反応……ウッシはやはり言うのべきではなかったかと後悔するように首を振り、改めてメルキオルを見上げる。


「いいえ……ああ、はいそうです。きっとそうだわ。

 隠しているようだったけど、ものすごい魔力の波動を感じました」


 メルキオルはゴクリの唾を飲み、驚愕の張り付いたままの顔でウッシの目を覗き込む。ウッシの目の光は決して正気を失った者のそれでも、まして嘘をつく邪まな者のそれでもなかった。


 そういえばこの人は……


 メルキオルはウッシが女司祭プリスタレン候補であることを思い出していた。

 レーマ正教会はルター派の流れを組むプロテスタント系の宗派だが、司祭プリスター修道士モンヒ修道女ノンネが存在する。本来ルター派やカルヴァン派は万人司祭主義に基づき司祭という役職が存在せず、代わりに牧師が教会の指導にあたるのだが、魔法が実在するこの世界ヴァーチャリアに適応した結果、魔法を使えたり精霊と意思の疎通ができる聖職者を牧師と区別するために司祭という役職を復活させていた。

 どんな宗教であっても他の宗教との信者獲得競争に無縁ではいられない。ましてレーマ正教会はレーマ帝国へ亡命したランツクネヒト族が、レーマ帝国内での民族結集の拠り所として設立したものである以上、信徒の信仰をがっちりと掴むことが求められていた。だというのに他の宗教の神官が魔法を使えるにもかかわらずレーマ正教会には魔法の使い手が居りませんでは、神の教えをいくら説いたところで、魔法を使える神官の宗教に説得力で負けてしまうし、信徒の信仰心も離れて行かざるを得ない。ゆえにレーマ正教会は魔法を使える聖職者の育成にも力を入れている。その一環として成立したのが修道士・修道女という存在だった。

 レーマ正教会での修道士・修道女は《レアル》キリスト教会の修道会の構成員とは異なっている。本来、厳しい戒律の下で隠者のように質素な生活を送ることで神の教えを実践するのが修道士であり、そのための活動の場が修道会なわけだが、レーマ正教会における修道士・修道女は将来レーマ正教会を支える聖職者となることを期待された修行者として位置づけれていた。


 先述したようにレーマ正教会では魔法を使える聖職者の育成に力を入れている。だが、レーマ帝国への亡命者からなるレーマ・ランツクネヒト族には、降臨者の血を引く聖貴族が存在しない。つまり、魔力を期待できる血筋がそもそも存在していなかった。このため、一般人の中から時折現れる魔力に優れた者や精霊との親和性に優れた者に修行を積ませ、聖職者に仕立て上げなければならない。

 そこでそれを実現するための組織づくりが模索されたわけだが、精霊との親和性を高め、魔力を充実させる……そのために積むべき修行の内容、そしてそれをするために適した環境を研究した結果、《レアル》より伝え聞く修道会の在り方との共通点が多く見つかった。そしてその研究結果を踏まえ、レーマ正教会は聖職者を目指す者は一度修道士・修道女として修業を積ませ、魔法適性が見いだせる者は司祭にし、魔法適性の見いだせなかったものは牧師とすることになったのだった。他にも神学者から聖職者になるというルートももちろんあるのだが、そのルートで聖職者になる者も一度は修道士としての修行を通して魔法適性がないかどうかを確認することになっている。


 メルキオルも修道士として修業を積んだ経験があった。そして、残念ながら魔法適性は見出されなかった。しかしメルキオルの目の前にいる修道女ウッシは優れた魔法適性が認められ、将来は女司祭になることが期待される人物だった。


「それは……確かなのですか!?」


 レーマ正教会によって魔法適性を既に認められているウッシに対してメルキオルからのその質問はどちらかといえば失礼なものだったかもしれない。メルキオル自身、後でこの質問がひょっとして魔力適正を見出されなかった劣等感から生まれた嫉妬だったのではないかとしばらくの間自問自答することになる。


「もちろんです先生プレディガー

 今日、私たちを護衛してくださった若い方たち……彼らからもとても強い魔力を感じました。教会で知り合ったどの方よりも……私、それだけでも随分驚いていたのですけど、ですがは全く別物です。

 と比べれば、あの若い方たちが凡人に見えてしまうほどです。

 あれほどの魔力を常人が持てるとは思えません。

 きっと悪魔ディーモンが、人間に化けて悪さをしようとしているんですわ!」


 それは荒唐無稽こうとうむけいとしか言えない内容だった。だが、相手が正教会も認め、その将来に期待を託すほどの人物である以上、全くの嘘と否定することなどメルキオルには出来ない。


 だがどうすればいいというんだ?

 魔物との戦いなんて……そんなのは御伽噺おとぎばなしの英雄の領分だ……


 レーマ正教会の聖職者に魔物との戦いなど求められてはいない。また、それをやる能力も無い。《レアル》のキリスト教聖職者なら信仰心と神の祈りで立ち向かうのだろうが、それは本物の魔物が存在しないからできることなのだ。ヴァーチャリアには魔法も魔物も実在するのである。そして、魔物を倒すほどの魔力は降臨者の血を引く聖貴族しか持ち合わせてはいなかった。レーマ正教会の聖職者はもちろん、信徒全体を見回してもそんな人物は居ない。


「ああ、どうしましょう!

 私、気づいていたのに、あの若い御方が連れ去られるのを、何もせずに見ていた……悪魔ディーモンが悪事を働くのを放置してしまったんだわ……

 ああ、あんな良い人を、若い御方を、私は見殺しにしてしまった……

 先生プレディガー、私、いったいどうしたら……」


 メルキオルはパッと修道女の両腕を掴み、身を屈めてその顔を覗き込んだ。


ウッシ尼シュベスター・ウッシ

 落ち着いてください!

 まだ悪魔ディーモンと決まったわけではありません」


「いいえ先生プレディガ!」


「聞いてください!」


 説得に反論を試みるウッシをメルキオルは両腕を掴む手に力を入れて無理やり黙らせる。 


ウッシ尼シュベスター・ウッシの言うことを疑っているわけではありません。

 は確かに強力な魔物なのかもしれません。

 ですがまだ悪魔ディーモンと決まったわけでもないでしょう?」


 ウッシはメルキオルが何を言っているかわからず、その左右の目を交互に覗き込むように視線を泳がせた。


「レーマ軍のホブゴブリン兵が一緒に居たでしょう?

 あれはおそらくアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシア軍団兵レギオナリウスだ。

 それも普通の兵士より上等な兜を被っていました。

 きっと特別な任務についている特別な兵士です。

 だとすれば、あの魔物はレーマ軍の支配下にあるのかもしれません。

 砦の門番も、誰も気にしていなかったではないですか?」


 メルキオルの言葉を聞いて恐怖に強張っていたウッシの身体からわずかに力が抜け、胸元でロザリオを握りしめる両手が少し下に降ろされる。


「とにかく、私がレーマ軍の偉い人に話を訊いてみます。

 大丈夫、私はアルトリウシアの下級貴族ノビレスには多少顔が利くんです。

 ウッシ尼シュベスター・ウッシはそれまで、このことは誰にも話さないで、何も気づいてない風を装って、明日の礼拝に備えてください。

 いいですね?」


 ウッシはまだ迷っていたようだったが、それでもメルキオルの力強い言葉に押されるようにコクリと頷いた。

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