第790話 立てられた使者

統一歴九十九年五月十日、昼 ‐ 元老院議事堂クリア・クレメンティア/レーマ



「《暗黒騎士ダーク・ナイト》が……亡くなった……?」


 フースス・タウルス・アヴァロニクスの説明にフロンティーヌス・リガーリウス・レマヌスは茫然ぼうぜんとした。かつて不死身の絶対者として君臨したゲイマーガメルたちを一方的に駆逐し、世界から一掃した真の絶対者、逃れえない死をもたらす者……そのような神にも等しい者が死んだと言われても理解が追い付かない。そう、フロンティーヌスにとって《暗黒騎士》は十二主神教ディー・コンセンテスの神々に並ぶ存在だったのだ。当然、そのような者が死ぬなんて想像すらできない。


「報告によればな、御本人がそのようにおっしゃっておられるようだ。」


 香りを十分に堪能した香茶をズズッとすすり、フーススは茶碗を卓上に静かに戻す。そして円卓メンサに置かれていたナプキンスダリオを手に取って鼻に当て、ブプッと音を立てて鼻をかんだ。鼻から湯気を吸いすぎたせいで鼻水が出てきたのだ。

 フーススは鼻をかんだ後のナプキンをクシャクシャのまま円卓に戻し、顔を上げて説明を再開する。


「それから、非常に寛容な御方であり、メルクリウスと間違って攻撃をしかけた軽装歩兵ウェリテスを殺しもせず、魔法で眠らせて無傷で返したのだそうだ。」


「攻撃!?

 《暗黒騎士ダーク・ナイト》を!?

 なんて無謀な!!」


 ガタッと椅子セッラを揺らして身を乗り出すフロンティーヌスにフーススは首を傾げた。


「言っておくが、攻撃をしかけたのはけいアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシア軍団兵レギオナリウスだぞ?」


「!?」


 フーススのその言葉にフロンティーヌスは息を飲み、身を仰け反らせた。その意味を理解しているのだろう、顔から見る間に血の気が引いていく。

 フロンティーヌスは元老院議員セナートルであるのと同時にアルトリウシア軍団の軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムでもある。言ってみれば自分の部下が《暗黒騎士》に攻撃を仕掛けたに等しい。


 レーマ帝国各軍団レギオーの軍団幕僚を兼務する元老院議員には軍団について監督責任がある。軍団を監視し、管理監督し、その暴走を未然に防ぐための制度なのだから当然だ。であるならば、自分が担当する軍団が不祥事を起こせばその責任は当事者のみならず、その軍団を担当する元老院議員にも求められる。今回の場合で言えば、アルトリウシア軍団が《暗黒騎士》を攻撃してしまった責任をフロンティーヌスがとらねばならなくなるということだ。


 《暗黒騎士ダーク・ナイト》を攻撃してしまった責任……そんなもの、とれるわけがない!!


 レーマの軍団が《暗黒騎士》を勝手に攻撃し、敵に回してしまった。世界中のゲイマーを一人で駆逐してしまった《暗黒騎士》がレーマ帝国を敵と見定めれば、帝国にあらがう術などあるはずがない。間違いなく帝国は崩壊するだろう。それを防ぐためには責任者をつるし上げ、《暗黒騎士》に差し出して命乞いでもするしかない。となれば、その時につるし上げられるのはフロンティーヌス本人に違いなかった。


「こ……殺される……」


 世界がグラグラと揺れ始め、目の前が急に暗くなっていく……冷たい脂汗を流しながら過呼吸を起こし始めたフロンティーヌスの肩にフーススの手が添えられた。


「落ち着け!」


「ひっ!?」


 ホブゴブリンにしては貧弱とはいえヒトに比べればかなりマッチョなフロンティーヌスの身体がビクンと跳ねるように震える。もう、いつ小便を漏らしてもおかしくないほどのビビりようだ。


「ほら、まあ香茶でも飲んで気持ちを落ち着かせろ。」


 フーススは面倒くさそうにそう言いながらフロンティーヌスの目の前にある茶碗ポクルムを掴むと、フロンティーヌスに押し付けた。フロンティーヌスは胸元に押し付けられたそれを震える両手で包み込むように受け取る。


「で、で、でっ、でも、ボ、僕……」


「安心しろ、殺されやせん。」


 一同の哀れを誘うほど怯えきっているフロンティーヌスを叱り飛ばす気など、フーススの内からはとっくに失せていた。


「さっきも言ったと思うが、実際に攻撃を仕掛けた軽装歩兵ウェリテスは無傷で返された。

 軍団長レガトゥス・レギオニスの子爵公子が正式に謝罪したところ、《暗黒騎士ダーク・ナイト》はこころよく許したそうだ。」


「ゆるっ……るっ……したっ!?」


 両手で包み持った茶碗をブルブルと揺らしながらフロンティーヌスが顔をあげ、フーススを探す。フーススはもちろんフロンティーヌスの目の前にいるし、フロンティーヌスの顔もフーススの方へ向けられているのだが、彼の視線はまるでフーススの顔のどこにフーススの目があるのか見つけられないかのように泳ぎまくっている。


「そうだ。

 それどころか軍命に背いて攻撃してしまった軽装歩兵ウェリテスを処刑しようとしたところ、《暗黒騎士ダーク・ナイト》は助命のために奴隷として買い取ったそうだ。

 しかも買い取りを申し出た際、奴隷八人分の代金として金貨八千枚を見せたんだそうだ。」


 信じられない……そういった面持ちでフロンティーヌスは茶碗をパッと口元へもっていき、おもむろに香茶を口へ注ぎこむ。その動作があまりにも乱暴だったために実際に口に入った香茶は半分ほどであり、残りはすべて口と茶碗の間から零れて彼の喉元から胸元にかけて汚してしまった。普通の貴族ノビリタス以上に外見に気を遣うフロンティーヌスにしては珍しい失態である。

 それをみて「あ~あ~」と呆れながらフーススは卓上に投げられていた自分のナプキン(先ほど鼻をかんだ奴)を無造作に掴むとフロンティーヌスに差し出した。フロンティーヌスはそれを見て初めて自分が香茶を溢してしまったことに気づき、フーススの差し出したナプキンを受け取って慌てて自分の胸元を拭い始める。その動作はやはり乱暴で落ち着きの欠片も無かった。


「ともかく、卿がアルビオンニアへ行ったところで殺されたりはせん。

 わかったか?」


「は……はい……あ、ありがとうございます。」


 多少なりとも落ち着きを取り戻しはじめたフロンティーヌスは返事をしながらナプキンをフーススに返した。拭いたはずのフロンティーヌスの口元が香茶ではない液体によってテカるのを見て、それが先ほど自分がかんだ鼻水だと気づいたフーススは返されたナプキンをまるで汚い物を押し付けられたみたいに顔をしかめながら受け取り、やはり汚い物を捨てるように円卓へ投げ捨てる。まあ、実際に汚かったので無理も無いのだが……


軍団長レガトゥス・レギオニス軍団兵レギオナリウスも許してもらえた。

 だが、帝国の軍団レギオーが攻撃をしてしまったことについては、帝国として謝罪しておかねばなるまい。

 そうではないか、リガーリウス卿?」


 フーススがそう言い、フロンティーヌスの顔をジロリとにらむ。多少は落ち着きを取り戻したとはいっても未だに理解が追い付かないフロンティーヌスはその一言でハッとし、フーススの顔を見た。相変わらず口はポカンと開いたままだが、今度は視線も焦点もちゃんと定まっている。


「誰が行かねばならないか、分かるな?」


 フロンティーヌスはコクンコクンと繰り返し大きくうなずいた。


「ボ、ボ、僕が、僕が行きます!行かせてください!!」


「もちろんだ、そう言ってくれると思っていたよ。」


 フーススはフロンティーヌスが来て以来初めて笑顔を見せ、右腕を伸ばしてフロンティーヌスの右肩をポンポンと優しく叩くと、フロンティーヌスの顔がパァッと明るくなる。それはフロンティーヌスが“正解”を出した時のフーススのお決まりの反応だった。


「じゃ、じゃあ早速出発します!!」


「待て!!」


 勇んで立ち上がろうとしたフロンティーヌスはフーススに腕を掴まれ、椅子に引き戻される。フロンティーヌスは何故引き戻されたのか分からなかったのと、掴まれた腕の痛みとで眉をひそめながら困惑の視線を向けた。


「え、な、なんですか?」


「何ですかじゃない。

 まだこっちの用は済んでないからだ。

 卿は予備知識も何もなしに現地へ行く気か!?」


 フーススが呆れたように言うとすかさず、これまでジッと黙っていたピウス・ネラーティウス・アハーラが身体を揺らしながら口添える。その表情はどこか微笑むようであった。


「卿は元老院議員セナートルとして遠く辺境の地へと行くのだ。

 せっかくだから元老院われわれの用事も言付ことづかってもらいたいのだよ、リガーリウス卿。」

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