第981話 悪魔の助け舟

統一歴九十九年五月十日、未明 ‐ ブルグトアドルフ近郊/アルビオンニウム



「いやそんなっ、とんでもねぇっ!!」


 《森の精霊ドライアド》ににらまれたクレーエは慌てて否定した。


「《森の精霊ドライアド》様を軽んじるなんてそんな……」


『じゃあ何なのよ?』


 あどけない少女の見た目をした《森の精霊》はプウッと頬を膨らませる。クレーエが言葉に詰まり、返答に困っていると横からレルヒェが調子のいいことを言い始めた。


「そうだぜクレーエの旦那ヘル・クレーエ

 こんな強そうな《樹の精霊トレント》様たちだってたくさんいらっしゃるんだ。

 これならレーマの軍団レギオーが来たって怖かねぇじゃねえか!?」


『そうでしょ!?

 アナタ、初めて見る顔だけど話が分かるわね!』


 我が意を得たりと《森の精霊》がレルヒェを褒めると、調子に乗ったレルヒェは頭を掻きながら「ありがとうございやす。レルヒェって言いやす。よろしく。」と少女に向かってペコペコと愛想を振りまいた。たとえ相手が貴族だったとしても大の大人が女の子相手に見せていい態度ではないだろう。


「まぁまぁ義姉上あねうえ、あまり無理を言ってはいけません。」


 困った様子のクレーエを見かねたのか、《森の精霊》の背後からグルグリウスが小さく咳ばらいをしてから割って入る。


クレーエその男義姉上あねうえを思って遠慮しているのです。

 お友達だというのなら、それを汲んでさしあげるのも思いやりですよ?」


 何を言い出すのだ、この義弟おとうとは?……《森の精霊》はグルグリウスを振り返り顔をしかめた。その向こう側ではクレーエとレルヒェが表情を強張らせて身構える。悪魔グルグリウスが《森の精霊》をたぶらかして自分たちを放逐させ、庇護を失った自分たちを捕まえ殺そうとしているのかもしれない……そんな狡猾こうかつな悪魔の悪だくみを警戒してのことだった。


『私を思って!?』


 少女はあからさまにいぶかしんだ。


「そうです。

 吾輩わがはいは《地の精霊アース・エレメンタル》様の命により、ペイトウィンこの者を捕まえに参りました。

 ペイトウィンこの者……すなわち『勇者団』ブレーブスを名乗る者たちが《地の精霊アース・エレメンタル》様の守護するヒトの姫に害をなそうとしたからです。

 お分かりですか?」


『……『勇者団』ブレーブスは《地の精霊アース・エレメンタル》様の敵ってこと?』


 慎重に尋ねる少女にグルグリウスは残念そうに首を振る。


「《地の精霊アース・エレメンタル》様は『勇者団』ブレーブスを敵とは見做みなされておられません。

 《地の精霊アース・エレメンタル》様の実力を考えれば、『勇者団』ブレーブスごときでは敵すべくもないでしょう。

 ですが、『勇者団』ブレーブスは《地の精霊アース・エレメンタル》様の御意ぎょいに背く行為を繰り返しております。

 今回は目に余る無礼があったがために、こうして吾輩わがはいが差し向けられました。今回はペイトウィンこの者一人で済みましたが、今後も目に余る過ちが続けば、《地の精霊アース・エレメンタル》様とていつまでも捨て置かれはなされますまい。」


 グルグリウスの忠告に《森の精霊》は表情を曇らせ、グルグリウスが手に持つペイトウィンをジッと見つめた。


『それは……ペイトウィンソイツが、悪いんでしょ?』


「今回はそうです。

 ですが、『勇者団』この者たちの悪さが続くようであれば、一人二人では済まなくなります。

 『勇者団』ブレーブスに連なる者ども全てをと、《地の精霊アース・エレメンタル》様が思召おぼしめされる日が来ぬとは限りません。」


 《森の精霊》は重苦しそうに視線を落とし、そしてクレーエたちに顔を向けた。その背中にグルグリウスが柔らかく、だが同時に重々しく問いかける。


「もしその時、お友達が義姉上あねうえもとに居られれば、《地の精霊アース・エレメンタル》様は義姉上あねうえにお友達を捕まえ差し出すよう命ぜられるでしょう。」


 聞きたくない問いを投げかけられつつある《森の精霊》はパッとグルグリウスを振り向いた。が、グルグリウスは一度投げかけた問いを中断することはなかった。


「その時、義姉上あねうえは《地の精霊アース・エレメンタル》様に背くおつもりですか?」


 あえて声色を強く言い切ったグルグリウスの表情は硬く、そして冷たい。これは警告なのだ。同じ《地の精霊》の眷属ながら、《地の精霊》の意に反しかねないことをしている義姉に対しての。

 グルグリウスを恨めしそうに睨みつけていた《森の精霊》はフッと目を背けた。


『……それは、できないわ。』


 盗賊たちは二人揃ってゴクリと唾を飲み、無意識に半歩さがる。グルグリウスは《森の精霊》から盗賊たちを引き離そうとしているようだ。話の流れ次第で今すぐにここから離れろと言われれば出て行かざるを得ないだろう。下手すれば《森の精霊》自身が手のひらを返したようにグルグリウスに協力し始めるかもしれない。だが、だからといってクレーエが《森の精霊》の領域テリトリーに留まることに難色を示したのは事実だ。その言い訳を思いつかない以上、下手に口出しして場を混乱させればグルグリウス悪魔の策略に返ってハマりかねない。

 警戒する盗賊たちを余所にグルグリウスは《森の精霊》に話を続ける。


「そうでしょう。

 《地の精霊アース・エレメンタル》様がお命じになられれば義姉上あねうえとて彼らを手にかけねばなりません。

 義姉上あねうえがそのような辛い思いをせずに済むよう、クレーエその男はあえて距離を置こうとしているのです。」


『……そう、なの?』


 《森の精霊》はグルグリウスではなく、クレーエに問いかけた。どこか寂しそうな、すがるような少女のあどけない表情に思わず相手が強大な精霊エレメンタルであることを忘れそうになってしまう。その向こう側に見えるグルグリウスの表情はというと微妙だ。岩石でできた悪魔の表情は読み取りにくいが、どこか薄笑いを浮かべているようにも見えなくはない。


 クソ、どういうつもりだ!?


 森へ留めようとする精霊からクレーエたちを助けようとしているようにも、あるいはクレーエたちを《森の精霊》から引きはがそうとしているようにも見える。どちらであったとしてもクレーエたちが《森の精霊》から逃れるという結果は同じなのだが、そこから更に後の結末は同じではない。前者ならばクレーエたちは解放されて自由を得ることになるが、後者は《森の精霊》の領域から出たところで悪魔グルグリウスに狩られることを意味する。

 いっそグルグリウスに反発し、その本性を暴いてやれれば楽なのだが、《森の精霊》の身内と知った以上は下手に無礼な態度をとるわけにもいかない。


「い、いやぁ……その……」


 クレーエは答えにきゅうした。グルグリウスの腹が読めない。森に留まりたくないというのはクレーエの本心ではあったが、だからといってグルグリウスに助けて貰う理由がない。グルグリウスの出した助け舟に果たして乗って良いのかどうかがわからないのだ。

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