第680話 分断失敗

統一歴九十九年五月八日、午前 - ブルグトアドルフ礼拝堂/アルビオンニウム



 複数の異なる軍隊が共同して行動する場合、戦力的に劣る方が主導権を握れる場合はあまりない。何か、その場の戦力とは全く別のところで全く異なる力学が働いてでもいない限り、一方が自軍の四倍を超える友軍を指揮下に納めることができるなど、期待するのは無理というものである。


 カエソー・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵公子が自らの指揮下に置いて率いているのは二個百人隊ケントゥリア軽装歩兵ウェリテスである。これに比べアロイス・キュッテル率いるのはアルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニア大隊コホルスであり、戦力比は頭数を単純比較するだけでも三倍に達する。それにルクレティア・スパルタカシア・リュウイチアの護衛についているアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアが二個百人隊ケントゥリアだから、サウマンディア属州対アルビオンニア属州連合軍としてみれば戦力比は四倍だ。


 いや待て‥‥‥そういえば警察消防隊ウィギレスもいたではないか‥‥‥


 ルクレティアの一行には元々中継基地スタティオに駐留していた警察消防隊が約五十人近く同行している。都市部の警察消防隊と違って中継基地の警察消防隊は広い範囲をパトロールするために騎乗している。彼らは騎兵エクィテスと比べればさすがに戦闘能力は劣るが、それでも銃で武装して騎乗している以上は一般的な歩兵よりはよっぽど戦闘力は高い。騎兵一騎で歩兵八~十人に相当すると言われているため、五十人の警察消防隊は単純に考えて一個大隊の歩兵に相当する戦力としてみることもできる。もっとも彼ら警察消防隊は集団戦の訓練を受けていないので実態としてはその半分くらいと見て良いだろうが、それでも全部合わせればアルビオンニア属州側の戦力はカエソー率いるサウマンディア側戦力の六倍に達するはずだ。


 サウマンディア属州対アルビオンニア属州として比較すればそれだけ戦力差があるうえに、カエソーが直卒する二つの百人隊は昨夜と三日前のアルビオンニウムでの戦闘によって戦死者を出して目減りしている。しかも、危機に陥っていたところを救援に駆け付けてくれたアロイス直卒の大隊コホルスに助けてもらったばかりであり、おまけに瀕死の重傷を負っていたカエソー自身もルクレティア・スパルタカシア・リュウイチアに助けてもらっていた。さらに、《地の精霊アース・エレメンタル》によって負傷兵たちの治癒までしてもらってしまっている。


 これだけの戦力差があり、おまけにこれだけの負い目があってなおも主導権を維持できると考えるのは土台無理な話である。だからこそ、カエソーはアロイスに盗賊討伐を持ち掛け、せめてアロイスの大隊だけでも引き離そうと期待したのだが、それはどうやら無理なようだ。さすがに補給の準備をしていないと言われてしまえば、いくらカエソーが帝国南部一の権勢を誇る属州領主ドミヌス・プロウィンキアエ公子むすこと言えども何もできない。さすがに「サウマンディアが補給する」などとは言えないからだ。


 もちろん、サウマンディア属州の財力をもってすればアルビオンニウムで一個大隊の活動を支えるくらいは訳は無い。だが、いかんせん海を隔てた他人の領地である以上、それなりに手続きは必要になるだろうし、それなりに大量の物資を運び込むこととなれば準備も必要になって来る。要は、時間が無さすぎるのだ。


 アロイスも実はサウマンディアが補給の都合をつけてくれないかと内心で期待をしたうえでこの話をしたのだが、さすがに無理であろうと言うことぐらいは分かっている。仮にカエソーが補給の面倒を見てやるといってくれたとしても、物資だけを提供して後は好きにして良いなどというわけがない。

 『勇者団ブレーブス』を名乗るハーフエルフたちが今回のメルクリウス騒動の関係者である可能性は高いし、既にルクレティアたちもサウマンディア側も彼らをメルクリウス騒動の容疑者と見做している。ということは、彼ら『勇者団』に対する捜査権はサウマンディウス伯爵家にあり、アロイスたちがもしサウマンディアから補給を受けることになれば間違いなく『勇者団』の矢面に立たされることになるだろう。損害の予想される危険な任務が優先的に回され、好いように使われることになるに違いない。

 それでも短期間で盗賊団だけを討伐するだけなら‥‥‥と、都合のいい期待をわずかに抱いてはいたのだが、それでもアロイスは現実を忘れるほど愚かではなかった。カエソーの表情をチラリと見ただけで諦めたアロイスは、サウマンディア側からの補給の可能性を打診することも無く、独り合点がてんしたように視線をチラッと逸らして眉をヒョイと持ち上げ、無言のままかぶりを振る。


「補給が出来ないのであれば、致し方ありませんな‥‥‥」


 カエソーもまた心底残念そうに溜息をついた。


「しかし、であれば盗賊どもはどうするのです?

 このまま放置するのですか?」


「今は放置するほかありません。

 ひとまずはルクレティア様とブルグトアドルフの住人達の安全確保に努めるだけです。

 盗賊どもをどうするか‥‥‥それは、ルクレティア様と住民たちをシュバルツゼーブルグまで無事送り届けた後で考えることです。」


 アロイスの説明は極めて現実的なものであり、批判すべき点は特別見当たらない。アロイスはあえてカエソーに伝えていなかったが、アロイスの率いる大隊は新兵が大半を占める臨時編成の大隊であり、まともな作戦能力は期待できないのだから、そもそも積極的な作戦に投入できるわけもないのだ。昨夜のブルグトアドルフへの突入にしたところで、実はかなりなバクチだったのである。


「お話は理解できますが、少し悠長に過ぎませんかな?

 盗賊どもは昨日、大半が捕まったとはいえまだ数十人が逃げ延びています。

 既に百人を超える死者を出した賊どもを野放しにするのは‥‥‥」


 カエソーはアロイスの大隊の実態など知りもしなかったが、それでもアロイスの方針に間違いが無いことぐらいは理解したうえであえて苦言を呈する。


「もちろん、野放しにするつもりはありません。

 盗賊討伐のための体制準備は既に始めております。

 が、それが完成するまでに十日ほどの時間を要するでしょう。

 それまでは、守りに徹するほかありません。」


  アロイスの回答にカエソーは納得はしていたが、わずかに不満げに顔を仰向けるように上体を反らし、無言のままアロイスを見つめる。そのカエソーをやはり無言のまま見返していたアロイスは少ししてから再び口を開いた。


「物事には優先順位という者があります。

 我々が最優先にしているのはルクレティア様の安全確保です。」


 それを聞いてルクレティアが反応した。わずかに力を抜いていた上体を乗り出すようにアロイスに何かを言おうとしたが、アロイスはそれを無視してルクレティアが口を挟む余地を作らないように言葉を続ける。


「御存知でしょうがルクレティア様は既に聖女サクラであらせられます。

 もしも、くだんのハーフエルフたちがまかり間違ってルクレティア様の御身おんみに危険を及ぼすようなことになれば、リュウイチ様がハーフエルフたちを自ら討伐せんと思召おぼしめされるやもしれません。」


 自分のことは大丈夫ですから盗賊討伐と住民の安全を優先してください‥‥‥そう言おうとしていたルクレティアはアロイスの説明を聞いて喉まで出かかっていた言葉をそのまま飲み込んだ。そしてそのままアロイスをジッと見つめたまま身を固くし、数秒経ってから自らの不明を認め反省するようにスーッと上体から力を抜く。

 カエソーはカエソーで「そうきたか」とばかりに首を傾げ、額に手を当てて揉んだ。目はアロイスを見つめたままだったが、その口元はわずかに歪んでいる。


 それを言われると、これ以上盗賊討伐をけしかけるわけにはいかんな‥‥


 カエソーはアロイスをルクレティアの一行から切り離すことを諦めざるを得なくなった。

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