勇者団突破の反応

第1397話 グナエウス砦からの報告

統一歴九十九年五月十二日・午後 ‐ マニウス要塞司令部プリンキピア・カストリ・マニ/アルトリウシア



 週に一度、リュウイチにアルトリウシアの状況について説明する報告会は先月二十二日に始められて以来、今日ので四回目になる。四回目ともなると多少の慣れは出てくる物だが、しかし参加する軍人たちにとって週で最も緊張する場面であることには違いがない。それは世界でもっとも高貴な存在である降臨者を前に発表を行わねばならないから……というわけではなかった。もちろん最初はそれが一番緊張する理由ではあったのだが、リュウイチが比較的温厚な性格で問題を起こすことを好まず、むしろ人々に協力したがっているくらいには善良な性質であるらしいことが分かってからは、さほど緊張を強いる要因ではなくなってきていた。緊張の要因はむしろ身内であるはずの貴族たちノビリタエであった。

 どんな分野であれ、その分野に従事している者でなければ分からない専門性というものがある。そうであるからこそ、その分野に専従している者たちは外部の門外漢からゴチャゴチャ言われるのを嫌う。そういうのは大概、見当はずれな意見か、やりたくても出来ない事情があるかのどちらかだからだ。だが多くの人は自分がそれについて知っていると思っている分野については、そうした専門性などを尊重したがらない。

 軍事というのは、そうした門外漢が尊重したがらない専門分野の典型ではあった。貴族社会であるレーマ帝国では領主貴族パトリキは領土をある程度自力で防衛する義務が課せられていたし、下級貴族ノビレスであっても地域の統治を任されている郷士ドゥーチェなどの代官も治安維持や最低限の防衛を私兵で行うことが求められる。職業軍人ではなくても軍事に携わる機会があり、なおかつ実際にそれを行っているという自負があるため、本職の正規軍である軍団レギオーに対しても遠慮なくモノを言ったりする傾向が強いのだ。


 考えても見てほしい。自分よりも立場が上で自分の人事に影響を及ぼし得る門外漢に、自分の専門分野について的外れな意見を好き勝手に言われるのがどれだけやっかいか……しかも相手は自分が正しいと信じて疑わないので、反論したところで簡単には納得せず、下手すると激昂してしまうのである。


 幸いにもアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアの所有者であるルキウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵はアルトリウシア軍団の前身であるアヴァロンニア支援軍アウクシリア・アヴァロンニア幕僚トリブヌスを務めていた過去があり、なおかつ放任主義的な部分の多い領主であるためアルトリウシア軍団の幕僚たちは政治的には恵まれていたと言える。子爵家に連なる下級貴族たちはルキウスに遠慮してあまり変な意見や要求などは出さないからだ。例外はティグリス・アンブーストゥスやメルヒオール・フォン・アイゼンファウスト、リクハルド・ヘリアンソンなどの一部の郷士ぐらいなものだが、彼らは日曜日の報告会には参加していない。

 しかし、連絡役として侯爵家の家臣が何人か出席していたし、ルキウスは軍団兵レギオナリイには甘く慈悲深いが百人隊長ケントゥリオ以上の将校たちには厳格さを求める傾向があり、特に貴族階級の怠慢には手厳しいことが多いためルキウスの出席する会議では決して気は抜けない。下手に口を滑らせれば下級貴族らからどのようにゆがめられた話が流出するかは知れたものではなかったし、ルキウスを怒らせるようなことがあれば醜態をさらすことにもなるだろうからだ。


 しかしそうした緊張の時間は終わり、会議室から自分の執務室タベラリウムと戻った幕僚や大隊長ピルス・プリオルたちは一様に身体と心を弛緩させる。緊張から解放された安堵感と一仕事を終えた満足感とに満たされる、何気に最高な瞬間だった。しかし、その瞬間は長くは続かなかった。グナエウス砦ブルグス・グナエイから早馬タベラーリウスが到着していたからだった。


信じられないインクレディビーリス!」


 早馬によって届けられた書面に目を通した筆頭幕僚トリブヌス・ラティクラウィウスラーウス・ガローニウス・コルウスは文書を持つ手を震わせながら呻くと、ラーウスを着替えさせようと準備を整えていた従兵を下がらせ、レーマ元老院議員セナートル・レーマエを父に持つ貴公子パトリキウスらしからぬ慌ただしさで部屋から飛び出していった。ラーウスの向かった先は彼のたった一人の上官、アルトリウシア軍団長レガトゥス・レギオニイ・アルトリウシイアルトリウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵公子の執務室である。


失礼しますイグノースカス!」


「どうしたラーウス?

 貴様も晩餐ケーナの前に風呂に入るんじゃなかったのか?」


「その前にコイツを処理しなければ風呂に入るどころではありませんな」


 名乗り人ノーメンクラートル代わりの衛兵を通じて入室許可を得たラーウスは挨拶もそこそこに、今これから着替えようとしていたアルトリウスに受け取った手紙を差し出した。


「御一読を、グナエウス砦ブルグス・グナエイからたった今届いた、カエソーウァレリウス・サウマンディウス伯爵公子閣下からの手紙です」


 正衣トガを脱ごうとしていたアルトリウスは、顔をしかめながら手紙を受け取る。


「まさかもう返事が?

 ゴティクスはまだ向こうについていないだろうに……」


 カエソーの居るグナエウス砦には今朝からアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシア軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムの一人、ゴティクス・カエソーニウス・カトゥスが向かっている。ルクレティア・スパルタカシア・リュウイチアの帰還を早めるよう促すとともに、カエソーにはアルトリウシア入城を控えるよう説得するためだ。

 カエソーとルクレティアはアルトリウシアを目指してグナエウス砦まで来ているが、途中でダイアウルフが出没するため掃討するまでグナエウス砦で待つように指示が出ている。もっともそれは名目上の話であり、本当の理由は別にある。カエソーが連行中の捕虜の奪還を企図して襲撃してくることが予想される『勇者団』ブレーブスが、カエソーを追ってアルトリウシアまで来てしまわないようにするためだ。

 グナエウス砦ならシュバルツゼーブルグなどと比べれば民間人は少ないし守りも堅固だ。グナエウス砦に立て籠れば軍団兵レギオナリウスでも十分な防御力を発揮できるし、ルクレティアを守護する《地の精霊アース・エレメンタル》の力も利用できれば『勇者団』ぐらいは簡単に撃退することも捕えることも出来るだろう。


 ところがアルトリウシアの状況が変わり、ルクレティアには速やかにアルトリウシアへ帰還してもらわなければならなくなった。だが同時にカエソーにはアルトリウシアに来てもらっては困る。カエソーが『勇者団』を伴ってアルトリウシアに来れば、『勇者団』の誰かが《暗黒騎士リュウイチ》の存在に気づいてしまうかもしれない。そして『勇者団』を構成する聖貴族の多くは、父祖を《暗黒騎士ダーク・ナイト》に殺害された子供たちだった。《暗黒騎士》本人の親戚で《暗黒騎士》の肉体アバターを持つリュウイチを親の仇として認識すれば、『勇者団』はリュウイチに攻撃を仕掛けてくるかもしれない。それにリュウイチが反撃し、本格的な戦闘が勃発すればアルトリウシアにどんな被害が及ぶか分かったものではなかった。そのような事態は何としても避けねばならない。『勇者団』のアルトリウシア進入を防ぐためにも、カエソーはグナエウス砦よりこちらへ来てもらっては困るのだ。

 しかしルクレティアだけを先にアルトリウシアへ帰らせた場合、残ったカエソーは《地の精霊》の加護を失うことになる。今まで《地の精霊》の力があるからこそ、カエソーたちは『勇者団』に対して優位を保ち続けたうえ、捕虜を三人も捕まえることができたのだ。それが《地の精霊》の加護がなかったらと考えると、『勇者団』とまともに対峙できるかどうかすら怪しくなってくる。果たして《地の精霊》の加護なしにカエソーがどの程度『勇者団』に対抗できるのか……それは全くの未知数だ。もしかしたらあっさり惨敗し、せっかくとった捕虜を奪還されることにすらなりかねない。


 おそらくカエソーは同意しないだろう。しかしルクレティアに急いで戻ってもらうのは決定事項で最優先しなければならない。その説得のため、ゴティクスは向かったのだ。


 アルトリウシアからグナエウス砦まで軍団レギオーの行軍速度で丸一日かかる。早馬なら半日といったところだが、今朝アルトリウシアを出立したゴティクスは早ければそろそろ到着するかどうかといったタイミングの筈だ。早馬ならばもっと早いが、それでも天候が荒れやすく視界が利かないほどのガスが頻繁に発生する山頂付近では速度が出せないこともあるため半日近くはかかるはずである。つまり、今ラーウスがアルトリウスに差し出した手紙は、ゴティクスの説得に対する返事ではないはずだ。


ゴティクスカエソーニウス・カトゥス殿の派遣は無駄に終わるかもしれません」


 怪訝な様子で手紙を広げるアルトリウスにラーウスは緊張の面持ちで言った。


「どういうことだ、カエソー伯爵公子閣下がもうこちらへ向かっているとでも?」


 尋ねながらアルトリウスが広げた手紙を読み始めると、その表情は見る見るうちに曇っていく。アルトリウスはまだ手紙を読み終えていなかったが、ラーウスは結論を述べた。


『勇者団』ブレーブスは既に、グナエウス峠を越えました」

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