第1345話 誰が悪い?

統一歴九十九年五月十二日・朝 ‐ マニウス要塞陣営本部プラエトーリウム・カストリ・マニ/アルトリウシア



 リュウイチは沈思黙考ちんしもっこうする。正直言って自分が世間に大きく影響を及ぼしてしまうことは望まない。たとえそれが世界が良い方向へ流れる影響だったとしても、大きな変化の中では必ずどこかで誰かが迷惑を被ることになるからだ。自分のせいで自分が知らないところで誰かが不幸になっているのに、それに気づくことも無く自己満足にふけるのはとても無責任なことのように思えてならないのだ。もちろん、誰もが社会をより良くしようと望んでいるのだろうし、それを実際に行動に移すことが悪いことだとは思わない。ただ、何かに影響を及ぼす時、そこには相応の責任があるべきだと思うのだ。そして、だからこそどこにどんな影響が及ぶか予想もつかないようなことは、安易に実行に移すべきではないとリュウイチは信じていた。


 この世界ヴァーチャリアの発展には魔力が必要だ。魔力によって精霊エレメンタルを制御しなければ、高度な技術を要する付加価値の高い産品は作れない。魔力がなければ精霊に邪魔をされて鉄も陶磁器もガラスも作れないし、ガラスや陶磁器が不足しているからこそ化学・薬学の発展も遅れてしまっている。薬品によって変質せず、また薬品を変質させない器具が決定的に不足しているがゆえに、せっかく《レアル》から様々な知識がもたらされているにも関わらず、実験によって確認し、ものにすることができないでいるのだ。

 それを克服するためには一人でも多くの魔力保持者が必要だ。精霊をコントロールできる聖貴族が何よりも求められている。だからこそ現時点で世界唯一の降臨者であるリュウイチに子を産ませようと貴族たちは躍起になっているのだ。


 しかしリュウイチは子供を残す気はない。リュウイチはいずれ《レアル》へ帰らねばならぬ身……子供を作ればその子は確実に孤児になってしまう。捨てるつもりで子を残す親があろうか!? 高校生時代に思いもかけず事故で両親を同時に失ったリュウイチにとって、その答は一つしかありえなかったのだ。


 だがここでリュキスカという存在が現れた。彼女の母乳を飲むことで彼女の息子は魔力を得た。それこそ精霊をコントロールするほどの強力な魔力をだ。言うまでも無く、これはリュウイチが子を残さなくてもリュキスカの母乳を飲ませることで、ヴァーチャリアで生まれた子供にも魔力を宿すことができる可能性があることを示している。


 つまり……リュキスカが貴族たちの需要に応えればリュウイチ自分は子供を作らなくても良くなる?


 そう考えてみればリュウイチにとって悪い話ではなさそうな気がしてくる。リュキスカだって結構な収入を得られるだろう。ひょっとして三方が丸く納まる妙案なのではないだろうか?


 ……いやいや!

 だからといって貴族たちが子供を諦めるわけがないじゃないか!

 それはそれ、これはこれで両方求めるに決まってる。


 リュウイチは頭を振って甘い考えを振り払った。だいたい人間というのは兎角とかく自分に都合のいいように考えがちなのだ。楽をしたいという願望と現実を混同し、現実から目を背けるようなことがあってはならない。


「あの、兄さん?」


 リュウイチの表情や仕草が気になったリュキスカが改めて伺う。それで我に返ったリュウイチは少し慌てた様子で答えた。


『ああっ! ……いや、何でも無いよ』


「やっぱりこの話、断ってこようか?」


『いや、さっきも言ったけどダメって言う理由は無いんだ。

 ただちょっと、色々心配なだけで……』


 リュウイチとしては内心で自分が楽になるかもしれないと期待したことを気恥しく思い、それを誤魔化すつもりで色々心配と言ったわけだが、リュキスカは当事者だけあってそこに食いついて来た。


「心配って、何が!?」


 リュキスカから見ればリュウイチは客の一人ではあるが、同時に神か魔王にも等しい絶対者でもある。リュキスカからすれば不可解なほど遠慮深いリュウイチは貴族たちに遠慮して自ら自分に制約を課しているが、そう言ったものを気にしなければおそらくこの世で出来ぬことなど何もないと言えるほど全能に近い存在なはずだ。そんな人物が心配だと言っているのだから余程の事であるに違いない。しかもそれが自分が関わることだというのだから、気にならないわけは無いのだ。その勢いにリュウイチは思わず小さく仰け反る。


『いや、その……もちろん、リュキスカのオッパイを貰う赤ちゃん?』


「カロリーネ様?

 なんかあるの!?」


『そりゃあ、だって……魔力酔いとか、するだろ?』


「う、うちの子は魔力酔いしなくなったよ!?

 アタイだって瞑想毎日してるし!」


『それなんだけど……』


 リュウイチは言いづらそうに頭をボリボリ掻いてから言った。


『多分、リュキスカのオッパイに魔力が混じらなくなったんじゃなくて、赤ちゃんの方が魔力に慣れちゃったんじゃないかって……』


「えっ!? ……でも、だってアタイ……

 アタイの瞑想が無駄だったってことなのかい!?」


 リュキスカからすればそう言うことだ。自分が慣れないなりに頑張って続けて来た努力が無駄だと言われて腹が立たない人間など居ないだろう。リュキスカのような性格なら声を荒げてしまうのも当然と言えた。リュウイチはその剣幕に降参でもするように両手をかざす。


『いや、まだ決まったわけじゃない。

 私も子育てなんてしたことないし、その辺詳しくないんで分からないしね。

 でも、現に君の赤ちゃんは魔力を持ってしまったわけだろ?』


 それはつまりリュキスカの母乳には魔力が含まれていることの何よりの証だった。リュキスカは母乳に魔力が混ざらないよう、魔力制御の修行を積んではいたが、それは現実に母乳への魔力の混入を防ぎきるには至っていないのだ。だからこそ、リュキスカの子フェリキシムスは魔力を持つに至り、今では精霊に影響を及ぼすほどになってしまっている。


「それじゃやっぱり無駄だったって言ってるようなモンじゃないさ!!」


 リュキスカはそう言うと身体を背もたれへ投げ出し、不貞腐ふてくされるように顔を背ける。


『君の努力がどの程度成果を挙げていたかは分からない。

 確かに努力が足らなかったのかもしれないし、努力の成果は出ているけど修行を始めるのが遅すぎただけなのかもしれない』


「何だいそれ、結局アタイが悪いってこっちゃないのかい?」


 リュウイチが何を言いたいのか分からず、リュキスカは皮肉っぽくせせら笑った。

 コッチが分からないと思って小難しい理屈なんかねて、結局リュキスカアタイのせいにするんだ……店で揉め事が起きたとき、いつもそうだった。間違いなく相手の方が悪いという時もリュキスカの方が悪いということにされてしまった。結局問題は正しいか正しくないかではなく、両者の立場や力関係で結果が決まるのだ。今もリュウイチだって証拠も無しにリュキスカの責任を取りざたしようとしている。おそらくリュキスカが悪いということになって乳母の話も流れるのだろう。別にリュウイチが嫌だというのならリュキスカとしては異存はない。むしろそう言ってくれればいい。なのにリュウイチは「ダメじゃない」と言いつつ難色を示し続けている。挙句あげくの果てにはリュキスカが悪いだ……多分、リュウイチはリュキスカに乳母をやってほしくないのだ。だけどリュウイチは自分が嫌だと言ったからリュキスカが話を断ったという形にしたくないのだ。だからリュキスカが悪いという話に持って行こうとしているのだ。それって卑怯じゃない? そう思うとリュキスカは急にムシャクシャしてきた。

 だがリュキスカのその予想に反する言葉がリュウイチの口から洩れた。


『いや、もしかしたら私が悪いのかも……』

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