奴隷たちの独走

第1381話 要塞司令部に来たゴルディアヌス

統一歴九十九年五月十二日・午前 ‐ マニウス要塞司令部プリンキピア・カストリ・マニ/アルトリウシア



 報告会に出席するために要塞司令部プリンキピアに来たリュウイチとリュキスカは二人にあてがわれた控室に入った。陣営本部プリンキパーリスで催される侯爵家の日曜礼拝が終わって聖職者が帰るまでの間、リュウイチとリュキスカは報告会が開かれる会議室か、この控室のどちらかで過ごすことになる。リュキスカに付き従い、リュキスカの子フェリキシムスのためのオシメディアスプルム布巾スダリオなどを控室へ運び込んだ奴隷セルウスのオトは束の間の休憩に入った。オトのここでの仕事はリュキスカがリュウイチに付き添って報告会に出席している間、赤ん坊のフェリキシムスの世話をすることである。リュキスカは何度か赤ん坊を抱いたまま報告会に出席したのだが、やはり途中で泣かれたりすると周囲に迷惑が掛かるので今ではやめてオトに預けているのだ。

 今は報告会が開かれる前、リュキスカはリュウイチと共に控室にいるのでオトはすることがない。別に控室で一緒に待っていてもいいのだが、リュウイチは一人で育児介助を任せられているオトに負担が集中していることを気にしており、たとえこまめにでもなるべくオトには休憩を取らせるようにしていた。


 しかし、自由に過ごせるようにと控室から退室させられたはいいものの、かといってオトがリラックスできる場所がこの要塞司令部にあるかというと全く無い。一般市民プレブスが来るようなところではないし、軍団兵レギオナリウスだった頃も所詮は一兵卒にすぎなかったオトには縁のなかった場所だ。休憩所のような場所が無いわけではないが、そこは将校や貴族たちが使うための場所であってオトのような奴隷が過ごすような場所ではなかった。


 参ったな……どうせ会議が始まる前には戻んなきゃいけねぇから遠くまでは行けねぇし……


 廊下に出て周りを見回すが、オトは自分が酷く場違いなところで浮いているのを自覚せざるを得なかった。もっとも、それは彼の主観であって周囲の目にはまた見え方が違う。確かにオトは浮いて見えているが、それは彼が身分卑しい奴隷だからではなく、そこらの下級貴族ノビレスでも着てないような上等な服に身を包んでいるからだった。彼は客観的には奴隷なのだが、仕えている主人が降臨者リュウイチである以上、周囲の目には並の下級貴族以上の存在に見えてしまっているのである。

 そういうわけだからオトが将校たちが休憩している場所に入り込んだとしても、おそらく誰もとがめないだろう。むしろ恐縮されてしまうかもしれないくらいだったが、当事者としては庶民プレブスあがりの元・一兵卒で今や奴隷という自覚が先立ってしまうため、そうそう無遠慮に休憩所に向かうわけにはいかない。


 さてどうするか、一階に降りてホールでも眺めてくるか……


 要塞司令部の一階、玄関ホールをくぐると巨大なホールがあり、そこには皇帝インペラートルを始め帝国の主要な貴族たちの胸像や肖像が飾られている。それは軍人たちの忠誠の拠り所を明確にすることで士気を高め統率を確立するという意味もあるが、それ以上にもしも高貴な身分の人を目の当たりにした時に、それが誰だか分からずに無礼を働いてしまったりするのを防ぐという目的もあった。

 オトのような一兵卒にとっては笑ってしまうような馬鹿げた話だが、しかし今や降臨者様リュウイチ聖女様リュキスカの供回りを務めるようになったオトにとっては笑い話で片づけられるものでもなくなっていた。今まで縁の無い雲の上の存在と思っていた上級貴族パトリキたちと、これからは実際に接する機会が増えていくであろうことは間違いないのだ。ならば今からチョクチョク偉い人たちの肖像を見ておいて、その顔や名前を予習しておくことは無駄ではないだろう。

 が、オトはすぐに諦めた。先ほどから廊下を行きかう人々から自分に向けられる視線……最初、奴隷の自分が場違いなところにいるせいだと思っていたが、彼らの興味の対象が自分ではなく自分が着ている服らしいことに気づいたからだ。


 さすがにコレ着たまま行くわけにはいかねぇか……


 オトはもちろんリュウイチから貰った上等な服を着ている。通りすがりの下級貴族が思わず目を奪われるレベルの服だ。それを着て一階に降りればそこにいる人々の視線を独り占めすることになってしまうに違いない。そして要塞司令部の一階には軍人のみならず多数の一般人も多数出入りするのだ。

 もちろんオトにもこんな上等な服を着ていることを自慢したい気持ちがないわけではない。陣営本部の向かいに開設された酒保には、オトだってワザと目立つように出かけて、特務大隊コホルス・エクシミウスの元・同僚たちに自慢したことだってある。しかし、一般人のいるところに一人で出かけるのは流石に不味い。下手に知り合いに見つかって話しかけられたら誤魔化すのが面倒だ。


 うん、また今度にしよう……


 オトがそう諦め、じゃあどうしようかと悩み始めた時、オトと同じように目立つ格好をして階段を昇って来る酷く場違いな男の姿が目に入った。


 何やってんだアイツ?


 男は階段を昇り切ったところで不安そうに周囲を見回していたが、オトの姿を見つけるとパァっと表情を明るくして手を振り駆け寄ってきた。


「おぉ! 見つけたぜオト!!」


「何やってんだゴルディアヌス!

 ここは走るの禁止だぞ!?」


 いい歳して相変わらず子供のような同輩にオトは呆れた。


「細けぇこと言うなよ、俺ぁこんなトコ初めてなんだ」


 ゴルディアヌスは喧嘩っ早く豪快な男だが、意外と周囲の目を気にする繊細なところもあったりする。自分が信奉する“男らしさ”が通用するところでは自信たっぷりだし、むしろ横柄なくらいに調子に乗るのだが、逆に自分が知っている“男らしさ”の通用しないところでは何をどうしていいか分からず不安になって急に大人しくなってしまうのだ。ゴルディアヌスにとって要塞司令部はそういう“男らしさ”の通用しない場所の象徴みたいなところであり、そうだからこそゴルディアヌスにとって要塞司令部は要塞内で一番苦手な建物だった。リュウイチと共に軟禁状態に置かれている彼らにとって外に出かけるのはそれだけで一種の喜びなのだが、それでもゴルディアヌスは要塞司令部にだけは行こうとはしない……それほど苦手としている。にもかかわらずゴルディアヌスがわざわざ要塞司令部に一人で来たということは、オトにとって非常に珍しい事だった。


「だろうな、お前がこんなところに来るなんて信じられんよ。

 で、何か用なのか?」


「用が無けりゃこんなとこ来るもんか!

 お前さんを探してたのさオト」


「俺を!?」


 オトとゴルディアヌスは別に仲が悪いわけではないが、だからといって親密というわけでもない。もちろん軍隊時代は同じ十人隊コントゥベルニウムに所属していたのだから生活の大半は共にしたのだが、だからといって気が合うということもなかったし、特に話をしたというわけでもなかった。そんなゴルディアヌスがオトに用がある……それも苦手な場所へわざわざ探しに来るほどの用なんて言われてもオトには想像すらできなかった。


「ああ、ホントは旦那様ドミヌスに相談しなきゃいけねぇことなんだが、もしかしたらお前さんの方に相談したほうが手っ取り早いかもしれねぇ。

 ちょっとここじゃ何なんだが、どこか人の耳を気にしなくていいとこ無いか?」

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