第1382話 余計な仕事

統一歴九十九年五月十二日・午前 ‐ マニウス要塞司令部プリンキピア・カストリ・マニ/アルトリウシア



 他人に話を聞かれる心配の無い場所……そんなこと訊かれてもオトには心当たりなど無かった。確かに要塞司令部プリンキピアを初めて訪れたゴルディアヌスには勝手が分からないだろうからオトに訊きたくなるのは分かるが、オトだって要塞司令部に来るようになったのは奴隷セルウスになってからなのだ。いや、それ以前に来たことが全くなかったわけではないが、一兵卒が要塞司令部に来たところで行くのはせいぜい一階だけである。二階から上はそれこそ百人隊長ケントゥリオ以上の将校だけの世界であり、出世とは縁のない落ちこぼれ集団に組み込まれたオトには無縁の世界だったのだから、ゴルディアヌスとオトではさほど大きな差があったわけではないのだ。

 しかしそれでもゴルディアヌスから見ればオトは過去に何度か要塞司令部にリュキスカの御供で来ているのだから、精通とまではいかなくても多少は知っているだろうと期待してしまうのも無理からぬものである。オトは首をひねって考えた。


 二階の部屋はほとんど全部、貴族ノビリタスの控室として使われている。

 三階の様子はどうなってるかサッパリわからんから選択肢にもならない。

 一階は無理……俺たちの格好は目立ちすぎる。

 となるとやっぱり二階か……


 だが無いものは無い。だいたいそんな場所に心当たりがあればオトは休憩のために真っ先にそこへ向かっただろう。そう、オトは自分の休憩場所さえ見つけることが出来ずにいたのだ。そこへゴルディアヌスが増えたからといって見つけやすくなるわけもない。むしろ逆だ。自分一人なら誰かの目についたとしても邪魔にならなければそこで休憩できるが、ゴルディアヌスする話を聞かれないようにという条件が付けば他人が居ない場所、二人きりになれる場所に条件が一層厳しくなる。


 いっそ廊下か会談の踊り場で?


 いや無理だ。廊下であれ階段であれ通路というのは意外と他人に話を聞かれる心配の無い場所ではある。通路にいるのは基本的に通行人であり、移動途中だ。そこで立ち止まって話をしていたとして、通りがかりの人に聞かれたとしても全てを聞かれることはない。話の途中で離れてしまうからだ。逆に話を聞こうと立ち止まられれば即座に気づくことも出来るから、話を聞かれないという意味では通路は意外と優れた場所なのである。

 しかし要塞司令部は石造りでおまけに天井はアーチ状になっている。つまり、声が結構遠くまで響いてしまうのだ。声を抑えているつもりでも聞こえているかもしれないし、曲り角の向こうや柱の陰で聞き耳を立てられれば聞かれていることに気づくことも出来ないかもしれない。


 う~ん、やっぱり無しだな……


「おい、どっか良いトコないのかよ?」


 オトは年長者だというのに焦れるゴルディアヌスの口調は遠慮がなく横柄だ。オトは眉をひそめはしたものの、特にゴルディアヌスの態度をたしなめることなく確認する。


「一つあるが、時間はないんだ。

 話は長いのか?」


「いや、すぐさ」


「じゃあこっちだ」


 オトはそう言うとゴルディアヌスを手招きして歩き始めた。貴族だらけの二階で一か所だけ、今なら誰も居ないはずの場所がそう言えばあった。これから報告会が開かれるはずの会議室だ。


「ここだ。今なら空いてるはず……」


 ゴルディアヌスを伴ったオトがやけに立派な扉を開けると、中は確かに人気ひとけがなく、薄暗かった。天井近くにある明り取りの窓から頼りない光が入ってきてはいるが、扉を閉めればもう夜のような暗さである。


「何だよココ、広過ぎねぇか!?

 大丈夫かよ?」


旦那様ドミヌスが出席される会議が開かれるトコさ。

 会議が始まるまでは誰も来ねぇ」


 思いつきが図に当たったオトが得意になって言うと、ゴルディアヌスは素直に感心した。


「さすがだぜオトさんよ!

 アンタ、やっぱ頭がいいぜ」


 しかしゴルディアヌスがセリフを全て言い終わる前に彼らが入ってきたのとは別の扉が開かれ、兵士が入ってきた。


「「「あ」」」

 

 オトとゴルディアヌスの二人、そして部屋に入ってきた兵士たちが互いに目が合い、それぞれ固まってしまう。お互い誰も居ないと思っていた部屋に人がいたのだから、暗いこともあってそれは驚くだろう。そして何をしたらよいかが分からず、互いに対応の手がかりを求めて互いに観察しあい、互いに動けなくなってしまったわけだ。

 が、ここでオトたちが身に着けているリュウイチ拝領の衣服が役に立った。並の貴族ノビリタスよりもずっと上等な服を着ていることから兵士はオトたちを自分より目上の人間だと理解した。更に、兵士たちはオトの顔に見覚えがあったようである。


「ああ……確か、リュ……高貴な御方の……」


 二人入ってきた兵士のうちの一人が遠慮がちに言うと、その一言でオトたちの正体に気づいたもう一人が声を張った。


「あのっ!

 まだ会場は準備中ですが、何かございましたでしょうか!?」


 兵士と言っても彼らは要塞守備隊であってアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアの所属ではない。特に要塞司令部で働いているのは純然たる軍人というわけではなく、軍属ではないものの軍服を着た文官とでもいうべき性格の兵士たちだ。自然、口調や態度も軍人というよりは娑婆っ気の強いものになっている。

 オトたちはどちらかというと不案内な場所に不用意に入り込んだところを見つかったわけだから、てっきり怒られてしまうモノだと身構えていたのだが、そういうわけではなく、むしろお客さん扱いされていることに気づいた。


「いや、ちょうど手持ち無沙汰になったもんでね。

 手伝えることが無いか様子を見に来たんだ」


「おいオト!」


 オトが誤魔化すように言うとゴルディアヌスは話が違うとばかりに小声で抗議する。オトはゴルディアヌスを「まぁまぁ」と宥めながら話を続けた。


「君らは会場の準備に来たんじゃないのか?」


 見慣れぬ相手に身構えていた兵士たちだったが、オトの気さくな態度に安心したらしく、互いに顔を見合わせると顔を綻ばせて答えた。


「はい、ロウソクを用意しに来たところです。

 ここは昼でも暗いので……」


「なるほど、半分手伝おう」


「あ、ありがとうございます!

 ではそちら側をお願いします」


 オトの申し出を兵士たちは喜んで受け入れた。

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