第729話 情報収集(1)

統一歴九十九年五月九日、エッケ島・エックハヴン/アルトリウシア



 ハン支援軍アウクシリア・ハンの本営からディンキジクにより追い払われたモードゥは、彼らが「王宮」と呼ぶホールから出た途端にその態度を豹変させ、「何で私がっ!」などとディンキジクに対する不満をブチブチとこぼしながら大股でズンズンと船着き場へ続く坂道を降りていく。が、彼が船着き場へ向かうのはディンキジクに命じられた通りトゥーレスタッドへおもむくためではない。彼の役目は補給参謀であり、毎日セーヘイムからエッケ島の船着き場エックハヴンに来る補給船クナールから補給物資を受け取ることこそ、彼のもっとも重要な仕事だったからだ。そして船着き場にはもう、今日の補給船が到着しているハズだからだった。


「やっと来たか。」


 見覚えのあるホブゴブリンが現れたのを見つけ、セーヘイムのヨンネ・レーヴィソンは船縁ふなべりから腰を上げる。

 モードゥが船着き場に到着した時、そこには既にセーヘイムからの補給船が待っていた。桟橋に接舷せつげんもし終え、積み荷を降ろす準備も整えている。積み荷を降ろし始めていないのは、受け取る側のモードゥがまだ来てなかったからだ。

 レーマ側が補給品を不当に減らしたりしないよう、必ずモードゥ立ち合いの下で積み荷を降ろすことになっている。だからモードゥが居なければ荷下ろしは出来ない。モードゥが来る前、実はハン族のゴブリン兵どもが勝手に荷下ろしを始めようとしていたのだが、ヨンネを始め船乗り(実際はセーヘイムの水兵たち)が阻止するという悶着もんちゃくも起きていた。


「遅いぞ、何をやっていた!?」


 待たされたヨンネは苛立ちを言葉に乗せてモードゥに浴びせかける。ヨンネとしては軽い気持ち、というより当然の仕打ちという程度の言葉ではあったのだが、モードゥの反応はヨンネの予想を上回るものだった。


「うるさい!

 こっちだって暇ではないのだ!」


 鼻息も荒く言い返すモードゥにヨンネは眉をひそめる。


「何だと?!

 人を待たせておいて何だそれは!

 何なら今日の分はこのまま降ろさず持ち帰ってもいいんだぞ!?

 俺たちはそれでも一向に困らんのだからな!」


「ぬっ!?」


 ヨンネの思わぬ反撃にモードゥは思わず動きを止めた。


 イカン……腹立ちまぎれについ………


 ディンキジクに理不尽に叱られ、行き場を失っていた怒りを無意識にヨンネにぶつけてしまっていたことに気づいたモードゥは冷静さを取り戻す。


「あ、う……そ、それは困る。

 あ~~~、ヨンネ殿、すまなかった。

 少し腹の立つことがあったものでな、其方そなたに悪気があったわけではないのだ。

 気を悪くしないでくれ。」


 ぎこちない愛想笑いを作り、モードゥは慌てて取りつくろい始める。

 船が到着していることは既にゴブリン兵どもにも知られているのだ。ここでモードゥの失態で船が積み荷を積んだまま帰ってしまったとなれば、あとで誰から何を言われるかわかったものではない。

 突然び始めた気色の悪いホブゴブリンを船縁から見下ろし、隻腕せきわんのブッカはつまらなそうに鼻を鳴らす。


「ヘンッ、そんなら普段から態度に気をつけろってんだ。」


「ああ、すまなかった。

 今日はたまたまだ。

 普段は愛想よくしておるではないか。」


 どうやらモードゥは普段の自分は礼儀正しく振る舞っていると思っているらしい。初めて会った時、ヨンネを三下さんした扱いした上にヘルマンニを呼んで来いなどと要求してきた横柄さは彼の記憶には残って無いようだ。

 これを機に少しとっちめてやろうかとも思ったヨンネだったが、ひとたび感情を爆発させると何をどうするかわからないハン族が相手だ。ここで下手に調子に乗りすぎると、せっかく態度を改めたモードゥを怒らせ、本当に積み荷を積んだまま帰る羽目になりかねない。


 この補給物資はハン族のためだけのモンじゃねえぞ。

 ハン族に捕まってる人質たちのためのモンでもあるんだ……。

 人質が解放されるまでは、少しくれぇ我慢してちゃんと届けなきゃいけねぇ。


 ヨンネはヘルマンニの言いつけを思い出し、グッとこらえる。そしていかにもしょうがないという風にモードゥの謝罪を受け入れる。


「ええぃわかったわかった。気色悪いからその辺でやめてくれ。

 ほら、とっとと補給品の受け取りを始めてくれ。」


「ああ、もちろんだ。

 私はそのために来たんだからな。」


 モードゥはモードゥで愛想笑いを顔に張り付け、ヨンネからうやうやしく補給品のリストを受け取ると、降ろされる補給品の確認作業を始めた。

 作業そのものはこれまで毎日繰り返してきただけあって、モードゥももうだいぶ慣れており、一度始まれば滞りなく進む。ヨンネの方は補給船でエッケ島に来るのはこれが三回目で、初めて来たのは一昨日のことであったが、実家で交易もやっているのだから積み荷の管理ぐらいは手慣れたものだった。二人とも、片手間でやれる程度には余裕がある。そのためか、作業も半ばぐらいになるとモードゥが話しかけてきた。


「ところでヨンネ殿」


「何だ?」


 初めて会った一昨日は「ヨンネ」などと横柄に見下すような態度だったモードゥが今日は妙に礼儀ただしい。そこに何か気色の悪いものを感じながらヨンネは応じる。


「今日はずいぶんとたくさんの船がトゥーレスタッドへ来たようなのだが?」


 それか‥…


 ヨンネはモードゥのいつにない礼儀正しい言葉遣いと積み荷の確認作業中ずっとどこかソワソワした様子だったことが気になっていたが、ようやくその理由に納得がいった。ハン族が愛想よく接してくるのは大抵下心があってすり寄ってくる時だけだ。何かあると思ったが、サウマンディア艦隊の来航に気づき、それが気になって仕方ないのだ。それで手っ取り早くヨンネから話を聞こうというのだろう。


 ヨンネのその予想は当たっていた。ディンキジクから直接トゥーレスタッドへ渡って様子を見てくるように命じられたモードゥだったが、そんな面倒なことはしたくない。

 だいたい、行くとすれば先月蜂起した際に分捕ぶんどった貨物船クナールで行くしかないのだが、操船するのは航海にはド素人なうえ貧弱な体力しかないゴブリン兵どもなのだ。風を利用しての帆走なんて器用な真似は出来ないし、かといって櫂走かいそうでも体力不足で速度が出せない。エッケ島南端のエックハヴンからエッケ島の北のトゥーレスタッドへ行くだけでも途中で何度か休憩しなければならないだろうし、風や波を読んで船を安定させることもできないのでエッケ島とトゥーレスタッドの間のエッケ水道を横切る際は横風と波をもろに食らって、まるで外洋にでも出たみたいに大きく揺れることになる。

 今から出たとして帰ってこれるのは夕刻になってしまうだろう。いや、下手したら日が没する前に帰ってこれないかもしれない。いやいや、本当にディンキジクが唱えるようにレーマ帝国がハン族を滅ぼそうと画策しているのなら、モードゥだって行けば殺されてしまうかもしれない。イェルナクは軍使レガトゥス・ミリトゥムという肩書が身を守ってくれたが、モードゥはそんな安全を保障してくれるようないかなる資格も持ち合わせてはいないのだ。トゥーレスタッドへなど行きたくないと思うのは当然だろう。


 トゥーレスタッドなんか行きたくない。

 何で王族ホブゴブリンの私がそんな使いっ走りみたいな真似をせねばならんのだ?

 無事で帰ってこれるわけがないではないか!

 仮に無事に帰ってこれるとしても、行くのに船に乗らなきゃいけないんだぞ?

 絶対気持ち悪くなるに決まってる!

 海猿ブッカどもならともかく、ゴブリン兵の操る船なんか誰が乗りたがるものか……

 そうだ、ちょうどセーヘイムの海猿が来ておるではないか!

 コイツから詳しい話を聞ければ、トゥーレスタッドへなど行かなくても……


 自分が楽をすることに関しては積極的に頭を回転させるモードゥの考えはそんなところだった。そのモードゥの考えを見透かしてか、ヨンネはとぼけて見せる。


「ああ?そんなの来てたかなぁ?」


「ヨンネ殿!意地悪をしないでくれ。

 あれだけの大艦隊だ。

 来る前に事前に連絡があって当然ではないか!

 ヘルマンニ殿の名代を務めるほどの貴殿のことだ。

 知らぬはずはあるまい?」


 わざとらしいヨンネの韜晦とうかいに、ヨンネが知っていると確信したモードゥはここぞとばかりに媚び始める。ヨンネは平静を装いながらも、そんなモードゥに内心で呆れながらとぼけ続ける。


「ああ、そういえばサウマンディアの艦隊が来るとか言ってたかな?

 そうか、今日来たのか……」


「そうだ!そのサウマンディアの艦隊だ!

 見張りが今朝見つけて報告して来おってなぁ、それでディンキジク様が随分気にしておられてな。周りの者に見てこい、確かめてこいとうるさいのだ。

 なあヨンネ殿、知っておることがあれば教えてもらえんだろうか?」

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