第1123話 ルーベルトの諮問

統一歴九十九年五月十一日、夕 ‐ マニウス要塞司令部プリンキピア・カストリ・マニ/アルトリウシア



 ラーウスとルーベルトは要塞内の空室を借り、従兵に灯りと飲み物を用意させると小さな円卓を挟んで席に着いた。


「お時間をとっていただきありがとうございます、ラーウスガローニウス・コルウス殿。」


「いえ、属州の宰相とも言うべき御方の御所望とあらば、応えぬわけにはまいりますまい、ルーベルトアンブロス殿。

 もっとも、あまり長い時間は困りますが?」


「もちろんです。

 私も貴官もこの後の晩餐会ケーナに出席せねばならぬ身……それまでには終わらせるつもりです。」


 時間は取らせない……そういう趣旨のことを言いながらルーベルトは香茶を淹れる従兵へ視線を送り続け、話の本題には入ろうとしない。人に聞かせたくないということなのだろう。従兵が淹れたての香茶を二人に出すと、従兵を邪魔に思っているルーベルトに配慮し、ラーウスは無言のままハンドサインで従兵に退室するよう促した。それを受けて従兵はお辞儀をし、静かに退室する。

 扉が閉まるのを待ち、二人は話をする環境が整ったことを確認しあう。


「よろしいですか?」


「ありがとうございますラーウスガローニウス・コルウス殿。」


 従兵がいても気にせず話をする貴族や軍人は珍しくはないが、こうも徹底しているということはよほど人に聞かせたくない内容のようだ。


 まいったな、厄介事じゃなければいいが……


 ラーウスは小さくため息を噛み殺しながら早速茶碗ポクルムに手を伸ばし、鼻先に持って来て鎮静効果があると言われる香茶の芳香をたのしむ。


「助言をいただきたいとのことでしたが?」


「はい、軍人としての見地から、昨今の、そして今後の情勢について助言を受けたいのです。」


 レーマ帝国では領地を有する全ての領主貴族パトリキは自領を守るために自費で辺境軍リミタネイを組織し、運用することが義務付けられている。アルビオンニア属州の場合はアルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニアがそれだ。もしも侯爵家が自前の軍を動かすとなればアルビオンニア軍団を動かすし、侯爵家が軍事的助言を求めるとすればアルビオンニア軍団の軍団長であるアロイス・キュッテルか、彼の幕僚たちに尋ねるのが順当だろう。

 だが、侯爵家は現在アルトリウシア子爵領にあってアルビオンニア軍団は遠くズィルパーミナブルグに駐屯している。アロイスも大隊コホルスを率いてシュバルツゼーブルグへ行ったきりで、現在侯爵家の者が軍事的助言を求められる相手は護衛隊長のゲオルグくらいなものだ。しかし、ゲオルグはアルビオンニア軍団を退役して久しい退役軍人であり、護衛隊を指揮して侯爵家の護衛を務めるくらいはできるが、最新の情報を基に情勢分析を行って侯爵家の諮問に応えるだけの知見は無い。このため、現在は侯爵家の者が軍事的見地からのアドバイスを得ようと思ったら、アルトリウシア軍団の幕僚に頼る他ないのだった。

 ラーウスとしても侯爵家の家臣に頼られることを負担に感じているわけではない。むしろアルトリウシアとアルビオンニアの関係は良好であるべきだし、属州の宰相と位置付けられる筆頭家令のルーベルトと信頼関係を深めるのは、実家から離れて独力での立身出世を目指すラーウスにとってありがたいくらいだ。期待に応えるのはやぶさかではない。が、ルーベルトは気になることを言っていた。


「たしか、管轄外とおっしゃられていたように記憶しております。」


 期待に応えるのは吝かではないが、そうであるからこそいい加減なことは言えない。アルトリウシアやその近辺のことについては、彼は筆頭幕僚トリブヌス・ラティクラウィウスとして十分な情報を持っていると言えたが、管轄外のこと……たとえばズィルパーミナブルグやクプファーハーフェンのこととなると踏み込んだことは言えなくなる。中途半端な情報から中途半端な助言をし、それが元でルーベルトが何か失敗するようなことがあれば、期待に応えるどころか期待に反することになってしまうだろう。


「はい、お伺いしたいのは『勇者団』ブレーブスについてです。」


『勇者団』ブレーブス……ですか……」


 一言そう言うとラーウスは香茶を一口啜った。


『勇者団』ブレーブスに関して現在までに分かっているのは全て報告させていただいております。

 我々が知っていてルーベルトアンブロス殿が御存知でない情報は無いはずですが?」


「それは承知しています。

 別に我々に隠されている情報があるのではと疑っているわけではありません。

 私が欲しているのは把握されている情報ではなく、軍人の見地からの助言なのです。」


「どういう助言でしょうか?」


 ラーウスの訊き返しにルーベルトは答えず、茶碗を手に取って舌を湿らせた。


「今日のマルクスウァレリウス・カトゥス殿の振る舞い……いかに思われましたか?」


 突然話題が替わったような気がしてラーウスは思わず眉をひそめる。そして、何が何だか分からないという風に首をブルブルと短く震わせ、苦笑いを浮かべた。


「小官はマルクスウァレリウス・カトゥスという人物について多くを知りません。

 ゆえに、ただ驚いた……それだけですな。」


 ラーウスはアルトリウシアに来てまだ一年半しか経っていない。彼は筆頭幕僚という地位を手に入れてはいるが、彼のアルトリウシアでの貴族としての基盤はまったく築かれていないと言って良いだろう。その彼にとって、周囲の貴族とコネクションを結んでいくことは重要だが、それ以上に重要なのはだった。そしてマルクスがどういう人物なのか……それが分からない以上は安易な批評は出来かねた。今、マルクスのことを訪ねるルーベルトからして、ラーウスと一緒にマルクスの陰口を叩きたいと思っているのか、それとも陰口をたたくフリをしてマルクスに悪い印象を持っている人物を洗いだそうとしているのかも分からないのだ。マルクスとルーベルトの関係やルーベルトの意図が分からないうちは、安易に口を滑らせるべきではないだろう。


 地方の自治領は分離独立を画策せぬよう、帝都レーマから一定数の官僚が送られてくる。ルーベルトは帝都レーマからアルビオンニア属州へ派遣されてくる若き官僚たちと多く接する機会があるため、ラーウスが軽々に他の貴族について口を利けないことを容易に察した。

 オホンと咳払いし、香茶で再び舌を湿らせる。


「正直申しますと我々は困惑しました。」


「まあ、そうでしょうな。」


「あれが伯爵閣下ドミヌス・コメスの御意思による行動だとすれば、随分と強引に女奴隷セルウァを押し付けようとしていると……」


 今度はラーウスが香茶を啜った。上目遣うわめづかいでルーベルトをジッと見据えたまま。


「もちろん私どもはあれがマルクスウァレリウス・カトゥス殿の暴走であって伯爵閣下ドミヌス・コメスの御意思ではなかろうと考えております。

 外交交渉に慣れていないマルクスウァレリウス・カトゥス殿が軍事以外で手柄を挙げようと奮起した結果、不慣れゆえに暴走したのだろうと……」


「妥当ですな。」


「ええ、しかし侯爵夫人ドミナ・マルキオニッサを、伯爵閣下ドミヌス・コメスの御意思に沿うために行ったものではないかとおっしゃられるのです。」

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