第411話 広がりはじめた戦火

統一歴九十九年五月五日、晩 - ケレース神殿門前広場フォルム・テンプルム・ケレース/アルビオンニウム



 小高い丘の上に建つケレース神殿テンプルム・ケレースからはアルビオンニウムの南に位置する宮殿跡から西回りに北東方面までをグルっと一望することが出来る。もし東から南にかけての斜面が樹木に覆われていなければ全周を一望することができただろう。北から北東方面にかけては、断崖絶壁というには大げさすぎるが斜面と呼ぶには険しすぎる岩だらけの崖になっており、アルビオンニウムの市街地からケレース神殿テンプルム・ケレースへアクセスできるのは基本的に北西方面の参道だけだ。


 その参道付近から見渡すアルビオンニウム市街地は既に日が落ちたこともあって、赤く燃える空とは対照的にまるでインクでもぶちまけたかのような暗闇に閉ざされ、わずかに廃墟の一部が光を反射する程度であったのだが、南の宮殿跡の手前の一帯だけは往年の繁華街さえ影をひそめるほどの煌々こうこうとした灯りで照らされていた。盗賊たちが放った火が廃墟を燃え上がらせているのである。


「はじまったようだな…」


 ポツポツと見える赤い炎と、それに照らされた煙によってケレース神殿テンプルム・ケレースと宮殿跡の間に広がる旧市街地はまるで溶岩でも湧きあがって流れているかのようだ。

 先ほど駆け込んできた伝令によってサウマンディア軍団レギオー・サウマンディア第八大隊コホルス・オクタヴァが市街地で盗賊団の一部と遭遇、そのまま戦闘に入ってしまったとの報告がもたらされていたが、あれでは盗賊を掃討しようにも戦力の半分以上を、下手したら全軍を消火活動に当てねばならないだろう。

 あの位置の火災が燃え広がったとしても風向きからしてケレース神殿テンプルム・ケレースはもちろん、ブルグトアドルフの住人たちが逃げ込んでいる宮殿跡も直接の被害は受けないだろうが、火勢が強くなりすぎれば《火の精霊ファイア・エレメンタル》が顕現けんげんしかねない。そうなっては風向きなどあまり関係なくなってしまう。雨の少ないアルビオンニウムでは一度顕現してしまった《火の精霊ファイア・エレメンタル》の自然消滅は期待しにくく、人々は逃げまわるしかなくなってしまう。


「どんな様子だ?」


 火災が広がり始めた廃墟を見下ろす護衛隊長セルウィウス・カウデクスの背後から声をかけてきたのは、軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムのセプティミウス・アヴァロニウス・レピドゥスだった。戦闘が始まったと報告を受け、神殿テンプルム内に設けられた作戦本部から様子を見に来たようだ。その背後にはサウマンディア軍団レギオー・サウマンディア筆頭幕僚トリブヌス・ラティクラウィウスカエソー・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵公子と軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムのマルクス・ウァレリウス・カストゥスも付いてきている。そしてセルウィウスは彼らと共にイェルナクもいるのに気づき、浮かべかけていた愛想笑いをわずかに引きつらせた。


「ハッ、賊は予め放火の用意をしていたようであります。

 見ていたところ、小規模な火災が短時間で広範囲に一挙に広がりました。」


 セルウィウスは姿勢を正して報告する。そして幕僚トリブヌスたちが火災現場を見下ろせるところまで来ると、指差して補足説明する。


ピトーピクトル殿率いる第八大隊コホルス・オクタヴァはおそらくあの辺りで賊と遭遇したものと思われます。宮殿跡へ続く街道がこう通っていますから…

 火災は東の方から西へ向かって連続して発生しました。

 おそらく賊の指揮をとっている奴が東側にいて、放火を命じる伝令が東から西へ走ったのでしょう。

 しかし、ピトーピクトル殿が早速消火に当たっているらしく、西の方で生じた火災から順次鎮火しているようです。」


 セルウィウスの説明を聞き、セプティミウスは小さく呻った。


「うぅ~む、想定していたよりだいぶ西で会敵かいてきしているではないか。

 敵中央軍はそのまま南からこっちへ攻めて来るものと思っていたが、ひょっとして左翼軍(西側の部隊)に合流するつもりだったのか?」


「西、南、南東の三方向からではなく、西と南東の二方向から攻めて来るつもりだったという事ですか?」


 《地の精霊アース・エレメンタル》のによって『勇者団ブレーブス』が神殿の東を大きく迂回して北上中であることがわかっている。おそらく、彼らにとっての主力は『勇者団ブレーブス』本隊だ。ということは、こちらの注意を逸らすために南側で陽動を仕掛けようとするはず…ゆえに、三つに分かれていた盗賊団は南に主力を置き、ケレース神殿テンプルム・ケレースへの登り口となる西と南東から助攻してくるものと想定されていた。

 ピクトル・ピトー率いる第八大隊コホルス・オクタヴァはその背後に回るべく、敵の左翼と中央の間をすり抜けるコースで船着き場から宮殿跡へ急行していたのだが、途中で敵中央軍と接触してしまった。会敵位置は敵中央集団が南から攻めて来るつもりであれば、接触するはずのない位置であった。

 

「その割には火の手の上がり方が早すぎますな。

 廃墟の建物に松明で火を放ったところで、短時間でああも燃え広がることはありません。おそらく、あらかじを用意してあったのでしょう。」


 セプティミウスたちの話に割り込んだのはイェルナクだった。つい先月、失敗したとはいえアルトリウシアを火の海にする計画を立てて実行しただけあって、火計かけいについてはいくらかの知見を有しているようだ。もっとも、あの作戦を立てたのはディンキジクであってイェルナクは多少の説明を受けたに過ぎなかったが…。


「ということは、賊は最初から火を放つつもりだったということですかな、イェルナク殿?」


「賊が何をするつもりかまでは分かりませんが、火の燃え広がり方からすると、そうであろうと推察する次第であります。アヴァロニウス・レピドゥスセプティミウス殿。」


「火を放つつもりでいたというのなら、何故あの辺りなのかいささ合点がてんがいきかねますな…」


 イェルナクは先ほどの軍議には途中から参加している。彼は神殿テンプルム調していたため、軍議に呼ばれなかったのだ。このため、大まかな状況と作戦については知らされているが、『勇者団ブレーブス』の存在についてはまだ知らされないままでいた。

 北から攻めて来るであろう『勇者団ブレーブス』の存在が無いものとして考えると、現状から推察できる盗賊団の作戦はいささか不合理に見えてくる。神殿テンプルムの西と南と南東に部隊を分けて、南側の広範囲に放火の準備を整える意味が良く分からない。火でケレース神殿テンプルム・ケレースや宮殿跡を攻撃するつもりなら、風向きが全然あっていないのだ。

 今夜の風向きは北寄りの西風で、火が燃え広がったとしてもケレース神殿テンプルム・ケレースや宮殿跡には届かない。《火の精霊ファイア・エレメンタル》が顕現すれば、もしかしたらケレース神殿テンプルム・ケレースや宮殿跡に向かうかもしれないが、《火の精霊ファイア・エレメンタル》をコントロールできない以上それを期待するのは無謀でしかない。むしろ、彼ら自身が火に焼かれたり、退路を断たれたりする危険性が高い。


「強いて理由を探すのであれば、分断しようとしたのかもしれませんな。」


 イェルナクは少し考えてから、何かを思い出したように言った。


「分断!?」


「本当はもっと西から火を点けるつもりだったのかもしれません。

 しかし、準備を整える前にピトーピクトル殿に見つかってしまい果たせなかった…というところでしょうかな?

 だとすれば宮殿跡にいる部隊と、ここにいる部隊を炎の壁で遮るつもりだったのでしょう。」


 それはあの日、ハン支援軍アウクシリア・ハンが蜂起した日、海軍基地カストルム・ナヴァリアに向けて進撃してきたリクハルド軍を防ぐため、王弟オクタルがとった作戦だった。


「もっと西から放火できていれば、宮殿跡にいる部隊はコッチに合流できなくなり、またコッチもアッチに合流できなくなります。

 それどころか、人手を割いて消火に当たらねば、《火の精霊ファイア・エレメンタル》が顕現しかねませんからな。我々の戦力を減らす算段でしょう。

 あるいは、逃げる際に放火して追撃の手を逃れようとしたのかもしれませんが。

 そういえば、宮殿跡から駆け付けることになっていた百人隊ケントゥリアは到着したのですか?」


 イェルナクの質問を受け、セプティミウスとカエソー、マルクスらは顔を見合わせると、カエソーが代表して答えた。


「残念ながら貴殿の予想した通り、分断されてしまったようだな。

 まだ到着しておらん。」


「しかし、ここには四個百人隊ケントゥリアの兵力が集結している。

 仮にピトーピクトル第八大隊コホルス・オクタヴァが敵の中央集団を撃破したなら、ここに襲ってくるのは左右両翼の集団…どちらも想定戦力は百に満たない。

 余裕をもって撃退できましょうぞ?」


 カエソーに続いてマルクスが楽観的に言うと、イェルナクは機嫌よさそうに胸を張った。


「なんとも力強い御言葉、このイェルナクも緊張がほぐれました。

 願わくば、我がハン支援軍アウクシリア・ハンも、ルクレティア様を御護りする栄誉ある戦列に加えていただきたいものですな。私もせっかく兵士を連れてきておるのですから」

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