ブルーボール解放

第1303話 真夜中の通報者

統一歴九十九年五月十一日、夜 ‐ グナエウス砦司令部プリンキピア・ブルギ・グナエイ西山地ヴェストリヒバーグ



「こんな時間に御対応いただき言葉もございません」


 新米牧師メルキオルが頭を下げると、砦司令官プラエフェクトゥス・ブルギのホブゴブリンはヤレヤレと厄介そうな感情を隠しもせずに鷹揚おうように頷いた。


「我がブルグスのキリスト者たちの面倒を見てくださる神官様フラメンの御要望とあらば、応じぬわけにはまいりません。

 まあ、おかけください」


 砦司令官は既に寝る直前だったのかもしれない。軍装も着てなければ正衣トガまとってない。厚手の長袖貫頭衣トゥニカの上に綿入りのダルマティカを襟を詰めるように着込み、さらに外套パエヌラを羽織っている。今は従者に預けてしまっているが、入室した時はその上から丈の短い外套サガムを重ね着し、マフラーまで巻いていたのだから、おそらく敷地内の宿舎から呼び出されて駆け付けたのだろう。

 メルキオルはそんな砦司令官を見て申し訳ない気持ちになった。本当は来たくなかったの違いない。それなのに、ポッと出の新米牧師の緊急の用事だからという要請を受けて、この寒風吹きすさぶ夜中にあたたかな寝室クビクルムから駆け付けてくれたのだ。ただでさえ寒さの苦手なホブゴブリンがである。

 メルキオルは深く頭を下げ、砦司令官の指示さししめした長椅子に腰かけると、従兵が香茶の用意を始めた。


「さて、御用向きを伺いましょうか。

 緊急の用件だとのことでしたが?」


 砦司令官は外套の裾で自身の鼻を拭いながら話を促した。メルキオルはここに至るまでに何度も頭の中で予行演習を繰り返していたのだが、いざ話すべき相手を目の当たりにするとそうしたあれやこれやはどこかへ消え去ってしまった。


 まいったな、何て話せばいいのだ?


「その、何と言いますか、もしかしたら信じていただけないかもしれません」


 背が低いくせに見る者全てが威圧されずにはおれぬ迫力を持った父とは違い、柔和にゅうわで真面目そうな印象を纏った好青年は真新しい黒いガウンの襟元を正しながら言葉を探した。


「実はこのブルグスに人ならざる者が居るようなのです」


 思い切ってストレートに言ったメルキオルが相手を見ると、砦司令官は何か興味深いものでも見るかのように目を広げてメルキオルをジッと見かえしながら、従兵が差し出した湯気の立ち昇る茶碗ポクルムを手に取る。


「人ならざる者?」


 短くそう問い返し、顔の前まで持ち上げた湯気の立ち昇る茶碗にすぼめた口を近づける。


「はい、見た目は人間なのですが……恐ろしく強い魔力を持っていて、目が赤く光って見えるのです」


 ズズッ!!……タハァーっっ!!


 まるでメルキオルの話の腰を折るように大きな音を立てて砦司令官が香茶をすすり、その直後に部屋中に響く様な舌鼓したつづみを打って息を吐き出す。香茶がかなり熱いのか、あるいは猫舌なのかもしれない。

 話の腰を折られたメルキオルはわずかにり、少し困った様に眉をひそめた。砦司令官はメルキオルの方は見ず、香茶の入った茶碗を見つめながら顔をしかめ、まるで熱すぎる茶に文句を言うように口を開いた。


「いきなり強い魔力を持っている人間がいると言われても困りますな。

 そいつはここで何をしようというのです?」


 その問いはメルキオルにとっても疑問だった。メルキオルもまた砦司令官の持っている茶碗に視線を向けたまま、首を静かに振る。


「それは分かりません。

 正体も分からないのです。

 ですが、おそらく人間ではないでしょう」


 砦司令は香茶を飲むのは諦めたが、香だけでも楽しもうとするかのように口元へ茶碗を持っていき、立ち昇る湯気を吸いこむ。


「人間ではない……なぜそう思われたのです?

 見た目は人間なのでしょう?」


 メルキオルは茶碗から立ち昇る湯気越しに砦司令官がジッと自分を見つめていることに気が付いた。慌てて居住まいを正すように息を吸い込み、背を伸ばす。


「同伴させていた修道女ノンネが気づき、私に報告したのです」


「ノンネ?」


 単語の意味が分からなかったのか、砦司令官は訊き返してきた。


修道女ノンネというのは、レーマ正教会での巫女サセルダのことです。

 彼女は言いました、彼は悪魔ディアボロスの一種であると……」


 砦司令官は悪い冗談でも聞かされたかのように、呆れた様子で顔を背け首を振った。


 やはり信じてもらえないか!


 その反応をメルキオルは予想はしていた。だが、だからといってそうした態度を向けられて平気なわけではない。メルキオルはそれでも訴えねばならないのだ。


「彼女はとても強い魔法適性があり、将来は教会の女神官フラミナにと期待されている女性なのです。

 魔力を感じる力は確かです!

 その彼女が言っていました。

 常人ではあり得ないほど強い魔力を放っていると……」


「落ち着いてください」


 砦司令官は茶碗を置くと手をかざしてメルキオルを制止した。


「まずは話を聞きましょう」


 普段なら無視して突っぱねるような話ではあるが、砦司令はあえて話を聞いてみることにした。何といってもふた月ほど前からメルクリウス騒動で騒がしくなっていたし、現在砦にはそのメルクリウス騒動の対応で隣のサウマンディア属州から伯爵公子が部下を引き連れて来ているのだ。その伯爵公子閣下は怪しげな人物を突き従えても居た。


 もし、それがメルクリウスに関係する人物なら……


 そう注意を喚起するのは砦司令官がそれなりに有能な人物だったからと言うのもあるし、タイミングの良さもあっただろう。砦司令官は茶碗をテーブルメンサに置くと身体を起こして話を勧めた。


「順を追って話された方がいいかもしれません。

 まずいつ、どこで、何を見たかです……よろしいかな?」


 砦司令官の浮かべた微妙な笑顔が愛想笑いなのか、それとも内心でメルキオルを馬鹿にしているのかはメルキオルには分からなかった。だが、機会が与えられたのは確かだろう。

 やはり信じてもらえなかった、やはり話を聞いてもらえない……そう諦めかけていた自分を内心で叱責し、メルキオルは居住まいを正す。


 砦司令官が示してくれた誠意に、私も応えねばならない。


「はい、どこから話せばいいか……

 私たちが砦正門ポルタ・プラエトーリアの手前まで来た時のことです……」


 メルキオルは気を取りなおすと、真剣なまなざしで話し始めた。

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