第1302話 残された余地

統一歴九十九年五月十一日、夜 ‐ グナエウス砦陣営本部プリンキパーリス・ブルギ・グナエイ西山地ヴェストリヒバーグ



「私一人が信用できないというのなら仕方がありません。

 ならばせめて、他の窓口との交渉を……」


「他の窓口ぃ?」


 怪訝けげんそう……というよりは、鬱陶うっとうしそうにティフは顔を歪めた。


「レーマ軍は私一人が動かしているわけではありません。

 私は筆頭幕僚トリブヌス・ラティクラウィウス……軍団レギオン副司令官ヴァイス・コマンダーにすぎません。

 司令官コマンダーや交渉窓口となりうる参謀タクティシャンは他にもいます。

 中には私より信用にたる者も……」


「それってあのアヴァロニウス・レピドゥスとかいう奴の事か?」


 ティフが嫌そうに顔を歪めて名を挙げたセプティミウス・アヴァロニウス・レピドゥスとはアルビオンニウムでティトゥス街道の再開通工事に従事するために来航したサウマンディア軍団レギオー・サウマンディアの部隊との調整役を務めるため、ルクレティアと共にアルビオンニウムへ来たアルトリウシア軍団幕僚トリブニ・レギオニス・アルトリウシイだ。アルビオンニウムではカエソーに『勇者団』ブレーブスの存在と襲撃の可能性を報せて救援を求め、カエソーが捕虜を連れてアルビオンニウムを去る際は、ルクレティアがファドに託したメッセージに応じて交渉を求めて来た『勇者団』への対応を一任されていた人物だ。

 ティフはルクレティアから返事が来るものだと思っていたのに、名前も聞いたことも無い人物から今後は自分が相手になると返事が寄こされたものだから、ムセイオンの聖貴族、ハーフエルフのティフ・ブルーボール二世ともあろう者が随分と侮られたものだと憤慨した記憶がある。

 忌々しそうなティフの表情にカエソーは慌てて打ち消した。


「いえいえ、違います!

 確かにアルビオンニウムでは『勇者団』ブレーブスの交渉役を頼みましたが、彼はアルトリウシア軍団アルトリウシア・レギオン幕僚スタッフです!


 お望みなら彼でも構いませんが……」


「ふざけるな!

 俺にゴブリンと交渉しろって言うのか!?」


 ティフはハッキリとそう吐き捨てるように言った。それを聞いてカエソーの近くで控えていたホブゴブリンの百人隊長二人の表情が曇る。啓展宗教諸国連合側では亜人差別が普通にあることは承知しているが、それを面と向かってぶつけられることは彼らにとって初めてのことだった。が、それ以上にホブゴブリンはゴブリンと同じにみられることを酷く嫌う傾向がある。

 ホブゴブリンとゴブリンは生物学的には全く同じだ。ただ、栄養状態に恵まれた環境に置かれるとホブゴブリンに、そうではないとゴブリンになると言われている。栄養状態に恵まれた環境……それはすなわち、降臨者アルトリウスのもたらした文明社会の恩恵だった。そしてホブゴブリンであるということは降臨者アルトリウスの恩寵おんちょうに浴した何よりの証なのだ。ゆえに彼らの祖先の故郷であるアヴァロンニアにルーツを持つホブゴブリンにとって、ゴブリンと同一視されるのは野蛮人と罵られるのと同義であり、侮辱なのであった。


「そうは申しません!」


 メークミーがセプティミウスの目の前で今のティフと同じようにホブゴブリンをゴブリン呼ばわりした際、カエソーは断固として否定しメークミーを戒めたものだが、今回のカエソーはあえてティフの差別発言に気づかないフリをする。


「今回の件、事件の捜査の最高責任者は我が父、サウマンディア属州領主プブリウス・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵です。

 そして現場指揮は我が叔父でサウマンディア軍団軍団長アグリッパ・ウァレリウス・サウマンディウスが執っております」


「じゃあ何だったんだあのアヴァロニウス・レピドゥスとかいう奴は!

 アイツ、自分が交渉の窓口だって手紙に書いてたぞ!?」


「それは私の代役を務めたにすぎません。

 私がアルビオンニウムを去った場合、残された中で最上位者は彼でしたから」


 ティフはフーッと不満げに長い溜息を吐いた。


「じゃあ、誰だ?

 誰と交渉しろって言うんだ?」


「誰でも」


「誰でもぉ!?」


 さすがにこれにはティフも苛立ちを露わにする。


「レーマ軍で幕僚より上位の者なら対応できるでしょう。

 大隊長クラスでは知っている者と知らない者が居りましょうが……

 ああ、地方代官などは無理です。

 あくまで軍団レギオンの関係者で上位の者と交渉してください。

 しかし、一番話が早いのはアッピウス叔父だと思います」


 カエソーにとっての最悪は『勇者団』とサウマンディアが完全に決裂してしまうことだ。だが、自分が無理だったとしてもアッピウスに話を繋げることができれば、まだ『勇者団』をサウマンディアに取り込む余地が残る。最悪を回避し、少しでもマシな結果を模索するなら、ここでティフとの糸口を残しておかねばならない。


「さっき言ってた軍団長レギオン・コマンダーか?」


「はい、彼は本件の指揮官ですから……

 必要なら紹介状を書きましょう」


「要らん!」


 ティフはカエソーの提案を突っぱねた。


「忘れたのか、『勇者団俺たち』はアルビオンニアから出れないんだぞ!?

 それとも先に精霊エレメンタルの封鎖を解いてくれるのか?」


 そもそもティフは精霊たちの妨害を止めてもらうために交渉に来たのだ。そしてカエソーは精霊の封鎖を解けない、精霊たちを操っている人物に仲介できないと言った。だから交渉が決裂したのだ。アルビオンニアから出れないのにサウマンディア軍団の軍団長に会いに行けるわけもなく、紹介状などいくらあっても無意味だ。

 だがカエソーはそれも打ち消す。


「いえ、その心配には及びません!

 アッピウス叔父上はアルビオンニウムからアルビオンニアに上陸しているはず……今頃はアルビオンニウムかブルグトアドルフに居るでしょう」


 アッピウスに会うためにサウマンディウムへ渡る……それを名目にすればアルビオーネによる海上封鎖を解いてもらえるのではと一瞬期待したティフは小さく舌打ちした。


「どのみち本件の処理はプブリウス父上が責任を持っております。

 投降……いえ、出頭すればサウマンディウムへ送られ、アッピウス叔父上と話をすることになるのですから、アッピウス叔父上を直接尋ねられるのが一番面倒が無くて早いはずです」


 ティフの舌打ちに気づかないカエソーは一気に畳みかけるように言った。ティフは面倒くさそうにカエソーを睨みつけていたが、そのまましばらく考えたのちにようやく納得したようにフーっと息を吐いて全身を弛緩させる。


「わかった、閣下の叔父上を尋ねてみることにしよう」


「おお!」


 喜色を見せたカエソーにティフはスッと舶刀カットラスを突き付けた。


「だが、閣下の叔父上も閣下と同じように信用できなければ、その時はもうレーマ軍とは交渉しないぞ!?」

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