第1301話 引き留め

統一歴九十九年五月十一日、夜 ‐ グナエウス砦陣営本部プリンキパーリス・ブルギ・グナエイ西山地ヴェストリヒバーグ



 ティフは部屋の出口へ向かい歩き始める。そこには武器を捨てたカルスと軍団兵レギオナリウスたたずんでいた。彼らは英語が分からなかったため、ティフが何で自分たちの方へ向かってきているのか理解できず慌てて身構える。


退けムーブ・オフ


 うんざりしたようなティフの短い一言が二人に投げかけられた。何となく何を言われたか想像は付くものの言葉の意味が分からない二人は戸惑い、百人隊長ケントゥリオたちの方をチラリと見る。


 ど、どうすればいいんですか?


 その目はそう言っていた。二人の目が揺れて見えたのは本当に目を泳がせていたからなのか、それとも二人を照らすロウソクの頼りない光が揺れていたせいなのかは分からないが、二人が誰の目にも頼りなく見えたのは確かだった。

 二人が英語を理解できないことを思い出したティフは面倒くさそうにラテン語で言い直す。


「“退け”と言ったんだ。

 俺は帰る。

 道を開けろ」


 二人はビクッと身体を一瞬震わせ、ティフの目を、そして互いの目を見合わせる。いくら彼らでも“敵”を勝手に逃がしちゃいけない事ぐらいは分かっていた。


「お待ちください!」


 苛立ちを募らせ始めたティフの背後からカエソーが再び声をかけ、ティフは忌々し気に首だけで軽く振りむいた。


「まだ何かあるのか?」


「本当にこのまま帰るのですか?」


「当然だ。

 俺は閣下を信用できない。

 信用できない相手とは交渉しない」


 冷たく言い捨て、ティフは身体ごと振り向いて右手に持った舶刀カットラスを突き出す。


「それとも、やはり俺を捕まえるのか?

 別にいいぞ?

 そこのグルグリウスや《地の精霊アース・エレメンタル》がいるんだ。

 俺を捕まえるくらいわけはないだろう。

 もちろんその前に俺も抵抗させてもらうし、お前たちには目にもの見せてやるつもりだがな」


 戦闘は避けたかったが最悪の事態は想定していた。戦って敗れて、そして一度捕まり、それからチャンスを見て脱走するつもりで貴重な聖遺物アイテムはスワッグ・リーに預けて来たくらいだ。戦う覚悟はできている。しかし、その覚悟を向けられたカエソーは参ったというように首を振った。


「そう結論を急がないでください。

 ティフブルーボール様を捕まえるつもりはありません」


 これには全員が驚き、カエソーへ視線を集中させる。ティフはフンッと鼻を鳴らした。強気な態度を見せると突然態度を軟化させ、今度は懐柔を試みようとしてくるのはティフに取り入ろうとするNPCどもにありがちな行動パターンだった。


「今更、都合の良い事言ったって騙されないぞ。

 閣下は捕まえないけど代わりにグルグリウスが捕まえるとか、そういうずるいこと考えてんだろ」


 そこまでいくとティフの猜疑心さいぎしんも最早被害妄想の域だが、カエソーは既にティフと交渉をまとめることは考えてなかった。


「私のことは信用できない……残念ですがそれは理解しました」


 フンっと鼻を鳴らし、ティフは突き付けていた舶刀をまるで重みに耐えかねたかのように勢いよく降ろす。


「じゃあ何だ?

 交渉も終わり、捕まえもしないなら呼び止めることもないだろ」


 ティフの顔は笑っているように見えた。だが、爆弾を握る左手には力が込められており、カエソーの呼びかけを冗談として受け取って気分を弛緩させたわけではないことは見て取れる。


「そうもいきません。

 交渉の糸口ぐらいは残しておかねば……」


「お前とは交渉しないって言ってるだろ!?」


 先ほどまでの笑っているように見えた表情を豹変させてティフが憤慨する。やはりこの人の感情は表情と同じではないようだと厄介に思いながら、カエソーは追いすがった。


「それは分かってます!

 理解しました!」


「じゃあ何だ!?」


 ティフと交渉し『勇者団』ブレーブスをなるべく穏便に投降させ、事態を速やかに解決する。それによってサウマンディアにハーフエルフたちを連れ込み、懐柔するとともに、聖貴族たちが起こした事件を隠蔽することでムセイオンに恩を売る……それをカエソーの手で成し遂げたかったがもう無理だ。だが、それを実現する可能性を丸ごと消滅させるわけにはいかない。たとえ他人に手柄を譲ることになったとしても、属州領主ドミヌス・プロウィンキアエの跡取り息子としては属州全体の利益になることを考えねばならないのだ。

 そう、信用を失ったのはカエソー一人……そういうことにしておけば、カエソーの失態にはなるが『勇者団』との交渉の糸口は残すことができる。


「私は信用できないから私とは交渉しない、それは残念ですが仕方ありません。

 ですが、レーマ軍との交渉も全て拒否するのですか!?」


 ティフはそれに応えず、ダランとぶら下げるように持っていた舶刀を握りなおした。


「我が軍とまで決裂し、決定的に対立すればどうなるか考えてください!」


 百人隊長たちはカエソーがティフを逃がそうとしていることに動揺していたが、カエソーが何をしようとしているのか気づくと落ち着きを取り戻し始める。ティフは特に百人隊長たちの変化には気づくことも無く、しばらく黙って考えてからボソっと答えた。


「『勇者団俺たち』はアルビオンニアから出て行く。

 アルビオンニアココでは降臨は起こさない、騒ぎも起こさない。

 それでいいだろ?

 もう交渉の必要はないはずだ」


 ブルグトアドルフで、次いでアルビオンニウムでレーマ軍に盗賊どもをけしかけて被害を与えた。攻撃したのだ。だからレーマ軍と『勇者団』は敵対することになってしまった。だが『勇者団』はもうこれ以上レーマ軍に戦いを挑まない、攻撃したりしない……そうすれば敵対する必要なくなる。ティフはそう考えていた。既に与えてしまった被害……レーマ軍側の死傷者やブルグトアドルフ住民の犠牲者のことはティフの頭にはない。彼らはどうせ名も無きNPC……ゲーマーの血を引く聖貴族と比べれば取るに足らない存在だ。聖貴族が何か不祥事を起こしてNPCが被害を被ったところで、大抵は揉み消される。実際、カエソーもこれまでに事件をもみ消そうとしているかのような雰囲気を匂わせており、ティフはそれを敏感に感じ取っていた。たかがNPCのことで、ヴァーチャリア世界にとって貴重なゲーマーの血を失うようなことなど許されるわけはない。ならば『勇者団』側がこれ以上チョッカイを出さなければ、全ては解決する……ティフはそのように考えていたのである。

 カエソーもティフから“NPC”と罵られたことで、ティフがどうやら聖貴族以外の人間を不当に見下しているようだと気づいていた。レーマ帝国でも最上位に近い領主貴族パトリキをこうまでこき下ろすくらいだから、一般人の犠牲のことなど気にするはずもない。聖貴族ではない普通の上級貴族パトリキ下級貴族ノビレスの中にも、平民プレブスをこのように不当に見下す者は珍しくはないのだから、聖貴族のティフがより極端な差別意識をもっているであろうことはカエソーにも容易に察することができたのである。

 こういう場合、一般人の犠牲者のことを訴えたところで意味はない。逆効果ですらあるだろう。だいたい原理原則論を持ちだしただけで激昂する相手なのだ。法律を解いたところで意味はない。法は人を見て説け……カエソーはあえて『勇者団』にとっての懸念事項を人質にとることにした。


レーマ軍われわれを通さずして、精霊エレメンタル様たちの封鎖をどうやって通り抜けるのですか?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る