第1004話 危険予測

統一歴九十九年五月十日、朝 ‐ マニウス要塞陣営本部プリンキパーリス・カストリ・マニ/アルトリウシア



 フーン……リュウイチは分ったような分からないような反応を示した。前のめりになっていた身体を起こし、考え込むように視線を落とす。


 リュキスカの赤ん坊フェリキシムスが授乳の度に魔力酔いを起こしているという話は聞いていた。リュキスカがリュウイチの夜伽よとぎを通して魔力を得、その魔力の余剰よじょう分が母乳に混じってそれを赤ん坊が飲み、赤ん坊が魔力酔いを起こすというのがその理由だという。

 魔力そのものは生命エネルギーなので少しくらい過剰に得たからと言って健康を害するというような恐れはなく、そして魔力は修行によって制御できるようになるという。赤ん坊の魔力酔いについてはリュキスカがルクレティアから魔力の制御方法を習い、それによって母乳に魔力が混ざらないようにすることで赤ん坊の魔力酔いを防ぐという方針が決まっていた。そして、実際に赤ん坊の魔力酔いの程度や頻度は大幅に減っており、問題は一応の解決を見たはずだった。

 しかし、オトの報告によればそうではなかったらしい。リュウイチはオトの報告内容を頭の中で整理し、視線をオトに戻した。


『で、その赤ちゃんが魔力が使っているというのは、具体的にどういうこと?』


 リュキスカの母乳に魔力が混ざっていること、そして赤ん坊が魔力酔いを起こしていることを確認したのはルクレティアだ。自身もある程度魔力を有し、子供のころから神官としての英才教育と訓練を受け、現役の神官でもある彼女だから気づけたことであり、彼女がいなかったら授乳後の赤ん坊の異常が魔力酔いだとは誰も理解できなかっただろう。そして、今ここにルクレティアはいない。ならばどうしてオトは赤ん坊が魔力を強めていると気づいたのか?・・・・・・当然の疑問ではあろう。


「!それは……」


 オトは何故か一瞬ひるみ、何か逡巡するように視線をずらして口をモゴモゴさせてから尚も迷い続けるように話し始めた。


「その……が起こるんです。」


『変なこと?』


「その……締め切った部屋の中で……か、風が吹いたり……

 ランプの火が、急に強くなったり……

 水差しヒュドリア手洗いレベースの水が、勝手に波打ったり……」


 信じてもらえないかもしれない……視線を明後日の方へ向けながら、躊躇ためらいがちに話すオトにはそうした不信感のようなものが感じられる。


「あ、あと……閉めていた戸や窓が、風で勝手に開いたこともありました。

 それと……か、花瓶の花が、か、勝手に動いたり……」


 念話を通じて伝わってくるオトのイメージは所謂いわゆるポルターガイスト現象そのものである。確かに、にわかには信じがたい話であろう。実際、オトもリュウイチに報告する前に奴隷仲間たちに相談していたが、マトモに受け止めてくれた者はいなかった。ネロは多分オトは自分だけ子守をさせられるのが嫌でテキトーな嘘をついて誰かと交代させてもらおうとしてるんだろうとでも予想したのだろう、「疲れてるんだろ。気のせいだ。少し休め。」という程度に適当にあしらうだけだったし、ゴルディアヌスに至っては「なんだ、夜中に幽霊でも出たってのか!?臆病者め!」と馬鹿にしてくる始末だった。身内こいつらに話してもらちが明かない……そう思い悩んだオトは思い切ってリュウイチへの直訴に踏み切ったわけだが、それでも身内に散々期待を裏切られた彼はやはりリュウイチにも否定されるのではないかと身構えてしまっていたのである。


『それが、赤ちゃんのせいだって思った理由は?』


 信じてもらえないかもしれない、それどころか叱責されるかも……そう身構えていたオトの予想に反し、リュウイチは慎重だった。オトが嘘をついているにしては、念話を通じて伝わってくるイメージが妙に具体的だったからだった。

 オトはチラチラとリュウイチに視線を送りながら、なおも慎重に言葉を選ぶ。


「その……そういうのが起きるのが……主に、フェリキシムス様が、お泣きになられる時……だから……です……」


 顎に手を添えジッとオトを見つめるリュウイチの視線に、オトは何か自分が尋問でもされているような気持になっていた。疑われている……そういうオトの思い込みはオトの自信を容赦なくむしばみ、彼の態度をオドオドとしたものにしてしまう。


『赤ちゃんが魔力を暴走させて、そういうことを起こさせているっていうわけか……』


 リュウイチはそう言うと腕組みして背もたれに上体を預け、天井を見上げた。てっきり信じてもらえないと思っていたオトは少し驚く。


「あの……信じていただけるんですか?」


『え!?』


 オトの疑問にリュウイチは逆に驚き、首だけ動かしてオトを見返した。


『嘘ついてるわけじゃないんだろ!?』


「そりゃ、もちろんです!」


 どうやらホントに受け入れられたらしいことにようやく気付いたオトは改めて両膝に手を突き、前のめりになって力強く言った。なんだか今までウジウジしていたのが急に馬鹿らしくなってくる。


 そうだよな、やっぱり信じないアイツらの方がおかしかったんだ。


 リュウイチに受け入れてもらえたことで自身を取り戻した途端、今度は話を信じてくれなかったネロやゴルディアヌスに対する怒りや不満がフツフツとたぎり始めた。が、もちろんその件と無関係なリュウイチの目の前でそれを表に出すほどオトは無分別ではない。


『それで、それはいつごろから始まった?

 いや、いつ気が付いた?

 仮にこのままほっといたら今後どうなる?』


 よくわからないが何やら急に意欲を取り戻したオトに、丁度良いとばかりにリュウイチは質問を浴びせる。他の者が気づかないことにいち早く気づき、それを報告してきたオトにはそれなりの知見を期待していいはずだ。


「いつ始まったかはちょっとハッキリとは……今思い返せばそうだったかもってのも含めりゃ結構前からです。

 ただ、気が付いたのは三日……いや、四日くらい前ですかね?

 えっと、旦那様ドミヌス庭園ペリスティリウムでバウムクーヘンとかいうお菓子をお造りになられた日の晩くらいです。

 最初は何か変だなって思ったぐらいだったんですが、だんだんおかしなことが頻繁に、ハッキリと分かるくらいに強く起きるようになってきて……」


『それで私に報告したと……?』


「そうです旦那様ドミヌス!」


『それで、仮にこのままほっといたらどうなる?』


「このままほっといたら……」


 オトはそこまで言ったところで言い淀み、目を泳がせて言葉を探した。そして言いにくそうにうつむき、リュウイチを見上げながら用心深く先を続ける。


「……フェリキシムス様の魔法事故で、火事とか、人死にとか……出るかもしれません。」

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