第1003話 フェリキシムスの成長

統一歴九十九年五月十日、朝 ‐ マニウス要塞陣営本部プリンキパーリス・カストリ・マニ/アルトリウシア



『赤ちゃんが魔法を使ってる!?』


 リュウイチの表情は複雑だった。言っている意味は理解できるが言われている状況がまったく理解できない。赤ん坊が魔法を使って不思議な現象を引き起こす……アニメや漫画の中では時折描かれるのでイメージすること自体は簡単かもしれない。だが、魔法を使うということがどういうことかという予備知識があると、これが途端に想像することが難しくなる。


 この世界ヴァーチャリアの住民たちにとって、魔法とは体内の魔力を集中し、精霊エレメンタルに献じて何がしかの現象を引き起こすものだ。一般に精霊魔法とか属性魔法とか呼ばれているもので、ただ単に魔力が使えて引き起こしたい現象をイメージできさえすればよいというようなものではなく、現象を脳内でシミュレートする想像力のみならず、魔法を行使する際に協力を得なければならない精霊とのコミュニケーションをとる能力が必要となる。どれだけ魔力に優れていても、引き起こす現象を正確に精密にイメージできる知能があろうとも、精霊との相性が悪かったりイメージを伝えられなかったりすると、成功しないどころか何の現象も引き起こせなかったりする。

 転生者であるリュウイチはというと頭の中に浮かび上がる各種ウインドウに表示されたコマンドメニューを操作するだけなのでおそらく根本的に違うのだが、いずれにせよ意味を理解し結果を予想できるだけの知能が必要になる点では同じであろう。


 ではそれを踏まえて赤ん坊が魔法を使うということを想像すると、それがとんでもないことであることは容易に理解できるだろう。赤ん坊の能力的にできるわけがないのだ。

 赤ん坊が自動車を運転しているとか、赤ん坊が大型旅客機を操縦しているとか言われるようなものだ。漫画やアニメみたいな映像的なイメージは容易に浮かび上がるが、その実際を想像すると「あり得ない」としか思えない。そんなところである。

 それまでの常識にはない魔法というものが実在する世界に来たリュウイチにとって、不可解なことでもあり得るかもしれないというある種の覚悟のようなものはあったが、だからといって常識が根本から覆るようなことを無条件にすべて受け入れられるわけではない。常識を覆す新しいことを受け入れるのはその人の柔軟性のなせる業だが、非常識を受け入れるのは只の無分別である。両者は似ているようで根本のところが全く違うのだ。

 

「ああっ、違います旦那様ドミヌス

 フェリキシムス様が使っているというのは魔法じゃなくて魔力です。」


『魔法じゃなくて魔力?』


 リュウイチに誤解を与えたことに気づいたオトは慌てて補足した。言葉ではなく意味を直接伝える念話を用いて会話しているリュウイチは、字面じづら言葉遣ことばづかいに関係なく話す相手が言葉を発する時に想像していたイメージ、言葉に持たせたいと思う意味を直接受け取ってしまう。これは相手が言っていること、言いたいことを誤解なく完璧に理解できるような気がするが、実は必ずしもそうではない。

 人間の脳をコンピューターに例えるなら、人間の脳は非ノイマン型コンピューターになる。ノイマン型コンピューターとは一つの回路で情報処理を同時に一つしか行えない。近年ではデュアルコアとかクアッドコアなどのコンピューターが普通になって二つとか四つの情報処理を並行して行うのが当たり前になってきているが、それでも一つの回路で一つの処理を行うノイマン型コンピューターを複数並列で動かしているに過ぎない。これに対して非ノイマン型コンピューターとは複数の情報処理を同時に行うことが出来るものを言う。人間の脳は心臓を動かし、呼吸をし、内臓を機能させ、車を運転しながら同乗者と会話するなど、いくつもの作業を同時に行うことが出来る。これは物を考えるという点だけを取り上げても同じで、人間は一つのことを考えているようで同時に違うことを頭のどこかで考えることができたりもする。この能力を上手く使えば俗にマルチタスクというように複数の作業を一人で同時に進行させることも可能になるが、上手く使えないと一つのことに集中することも難しくなる。一部の発達障害の人が一つのことに集中できないのは、脳内で複数同時に並行して行われている情報処理を管制制御する能力が欠如しているため、並列して行われている思考が互いに干渉しあって主導権が頻繁に移るからだという説もある。

 とまれ、オトはリュウイチにフェリキシムスについての問題点を報告しながら、頭の中では実際に自分が目の当たりにした光景を思い出していた。それは赤ん坊が泣いたりするたびに起こる一種の怪奇現象であり、それがリュウイチに伝わったことで報告の内容に言外の意味が加わり、誤った情報となって伝わってしまったのだった。


「そうです。

 フェリキシムス様はまだ赤さんでいらっしゃいますから、意図して魔法を行使するというようなことはさすがにできません。

 ですが、フェリキシムス様は既に強い魔力をお持ちです。ですから……」


『ちょっと待って!』


 オトの説明をリュウイチは遮った。


『赤ちゃんが魔力を持ってるって!?』


 混乱し、額に手を当てて訊き返すリュウイチにオトはキョトンとした。


「え!?ええ、そうです。

 お話は既にお聞きおよびと思いましたが?」


『それは、リュキスカの御乳を通して赤ちゃんが魔力をって話だよね?

 それってリュキスカがルクレティアから魔力を制御する方法を教わって解決したんじゃなかったの!?』


 リュウイチはルクレティアやリュキスカからそのように話に聞いていた。ルクレティアの指導でリュキスカは自分の体内の魔力を制御する訓練を行っており、その一環で毎日瞑想をやっている。最初の頃は御乳を飲むたびに赤ん坊が魔力酔いを起こしていて、赤ん坊も一歳になることだし離乳食への切り替えを急ごうという話も持ち上がっていたのだが、ルクレティアの指導でリュキスカが魔力を制御できるようになってからは赤ん坊が魔力酔いをすることも無くなってきたため、離乳食の話は立ち消えになってしまっている。

 そういう話を聞いていたからリュウイチはリュキスカの母乳から赤ん坊に過大な魔力が与えられてしまうという問題そのものが解消したものと思っていた。魔力が与えられなくなったなら、赤ん坊が強い魔力を持っているなどという話になどなるわけがない。リュウイチが混乱するのも仕方が無いだろう。

 オトはとんでもないとでも言う風に首を振った。


「いえっ!確かに奥方様ドミナは今も瞑想はやっておられますが……

 でもフェリキシムス様は多分、魔力を持っておられます。

 多分ですけど、フェリキシムス様が魔力酔いをしなくなったのは奥方様ドミンアが御乳の魔力を抑えられるようになったんじゃなくて、フェリキシムス様の方が魔力に慣れて酔わなくなってきただけなんじゃないかと……」

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