第1005話 対処方法

統一歴九十九年五月十日、朝 ‐ マニウス要塞陣営本部プリンキパーリス・カストリ・マニ/アルトリウシア



 リュウイチは腕を組むとオトの顔を見詰めたまま上体を背もたれに預けた。


旦那様ドミヌス?」


『あ?ああっ!大丈夫、疑ってるわけじゃないよ。』


 やっぱり信じてもらえないんじゃないか、大袈裟だと否定され、臆病者と罵られるのではないかと心配になったオトにリュウイチは軽く手をかざし、小さく笑ってなだめた。


『火が急に強くなるとか、いきなり風が吹くとか、確かに火事とか大事故に繋がりかねないからね。』


 そう言いながらリュウイチは翳した手をそのままおろし、卓上の茶碗ポクルムを手に取った。それをそのまま口元へ運び、フーっと息を吹きかけて口をつける。香茶はどんな猫舌でも熱がりはしないであろう程度に既に冷めていた。無意識に息を吹きかけたのは、リュウイチの癖である。

 試しに一口すすり、それからグイッと茶碗の三分の一ほどを一息に飲むと、そのまま卓上へ茶碗を戻す。


『それで、その危険を回避するためにはどうすればいいのかな?』


 居候いそうろうしている身とはいえ現に住んでいる家に火事でも起きたら大変だ。まして赤ん坊が死んだ怪我したなんてことになったら目覚めが悪くなってしまう。最悪の事態は何としても避けたい。しかし、リュウイチにはそのための方法が分からなかった。

 この世界ヴァーチャリアがRPGゲームなら、きっと問題を引き起こしている元凶となっている敵を倒したり、あるいは問題を解決するためのアイテムを手に入れたりすればよいのだろう。そういうクエスト、あるいはイベントはありがちと言えばいかにもありがちな一つのパターンだ。だが、リュウイチの見るところこの世界ヴァーチャリアはゲームなどではない。ありとあらゆる物が、感覚が、あまりにもリアルすぎるし、何といってもゲームならリュキスカとの十八禁なイベントなどあるわけがない。


 ではゲームではない現実でそういう問題が起きたらどうすればよいのだろうか?


 リュウイチはその答を持っていなかった。魔力というものがどういうものなのかすら、リュウイチはゲームやアニメや漫画で得たような漠然としたイメージしか持っていなかったのだから仕方がない。魔力暴走による事故なんて、そのメカニズムがどうなっているかわからないのだから、対処のし様も分かるわけがないのである。


「えっ!?」


 だがそんなリュウイチの反応はオトにとってあまりにも意外なものだった。


「いや、私にそんなこと訊かれましても……」


 オトにとって、いや他のヴァーチャリアの人間すべてにとって、リュウイチは史上最強の降臨者 《暗黒騎士ダーク・ナイト》そのものである。神のごとく無尽蔵の魔力を誇り、強大な精霊エレメンタルを複数従属させ使役もしている絶対者だ。この世界に文明をもたらしたのは歴史上幾人も現れた降臨者たちだが、この世界に魔法を齎したのも降臨者たちなのだ。降臨者が降臨した時にメルクリウスから授けられる精霊の加護……それがこの世界で最初の魔法とされている。なら、降臨者の中でも最強の魔法使いであるリュウイチは魔法や精霊に関して世界最高の権威そのものとなるはずではないか。そのリュウイチに「どうすればいい?」と訊かれて戸惑わぬ者などいないだろう。世界最高のピアニストにピアノを前にして「この曲ってどう弾けばいいの?」と尋ねられたようなものだ。


旦那様ドミヌスなら簡単に解決してくださるだろうと……」


『俺が!?』


 リュウイチは思わず素で叫んでしまった。その声が裏返っていたことで、オトはどうやらリュウイチが悪戯や芝居で分からないフリをしているわけではなく、本当に分からないのだと気が付いた。思わずゴクリと喉を鳴らして唾を飲み込む。


 まいった……どうしたらいいんだろ?


 信じられないという表情のオトの顔を見詰めたまま、リュウイチは再び茶碗に手を伸ばした。


『えっと、こういうことって前例はあったりするのかな?

 その時はこうやって解決したとか?』


 グビリと香茶を喉に押し込んだリュウイチが改めて尋ねると、オトはハッと我に返る。


「えっ!?あ、ああ、ハイっ……前例……前例……」


 ええ、嘘だろ?


 一番の専門家が身近にいるんだからと頼った先が全くアテにならなかった。そんな状況で混乱を覚えずにいられる者は少ないだろう。

 オトは無意識のうちに前のめりになっていた上体を引き、頭をボリボリ掻きながらあても無く床に視線を這わせる。


「その、他のゲイマーガメル様たちの御落胤ごらくいんがやっぱり、赤子あかごの頃に魔力を暴走させてしまっている話がのこされています。

 中には、それで火事や爆発事故が起きて、そのまま命を落とされてしまわれた方もいらっしゃったとか……」


『おお……それで?』


「それで……」


 興味深げに話の続きをうながすリュウイチの顔をチラリと横目で見て、本当に知らないんだなと内心で確認すると、オトはかつて読んだことのある本に関する記憶を漁った。


「魔力に優れた聖貴族様や神官様たちが、魔力の暴走を抑え込んでいたのだそうです。」


『具体的には?』


「具体的には……」


 オトは改めてリュウイチの顔を遠慮がちに見、そのまま言葉に詰まってしまった。そして頭を掻いた時のまま頭に添えていた手を膝の上に降ろし、諦めたようにションボリとうつむく。


「すみません……具体的なことは私も……」


 ンンーーーーーッ……声にならない声を噛み殺しながら、リュウイチは上体を起こした。


「ただ昔読んだ本によると、赤さんが泣くたびに放出する魔力に周囲の精霊エレメンタル様が反応しておかしな現象を引き起こしてしまうのが原因なので、より強い魔力で精霊エレメンタル様を抑え込むのだそうです。

 その具体的なやり方はというとさすがに私が読んだ本には書いてなくて、ちょっと……すみません、存じません。」


 リュウイチをガッカリさせてしまった……リュウイチの奴隷という自分の立場をわきまえていたオトにとって、それは避けたい事態だった。赤ん坊に関して気づいた事を早めに報告し、相談し、そして発生しうる異常事態を未然に防ぐことで褒めてもらいたかった。だが、現実にはオトはリュウイチの疑問に答えることができず、期待を裏切ってしまっている。


『オトさんは、本とかよく読んでるの?』


「えっ!?」


 唐突に変わった話題に驚き、オトはパッと顔をあげた。


「あ、ああ~ハイ……昔、親父パテルがアルビオンニウムで印刷工房オッフィキーナ・リブラーリアをやってて、軍団兵レギオナリウスになる前は私もそこで働いてたんで、それで印刷する本はだいたい読んでました。」


 戸惑いながら答えると、リュウイチは片手で顎をしごきながらオトの顔をジッと見つめ、考える。リュウイチが再び口を開いたのはオトがリュウイチの視線と沈黙に耐えられなくなり、また視線を明後日の方へ向けた直後だった。


精霊エレメンタルを抑え込むのか……できるのかなぁ?』


 オトがリュウイチの方へ視線を戻すと、リュウイチはそのままの姿勢で天井を見上げていた。


「そ、そりゃあお出来になるんじゃないんですか?」


 オトの言葉にリュウイチが視線を戻した時、オトは既に視線を明後日の方へ戻していた。何か頬を引きつらせていて、笑っているようにも見えなくもない。


旦那様ドミヌスは、あんなにお強い精霊エレメンタル様を従えておられるんですし……

 お出来になられないってこたぁ無いと思いますが……」


 言い終わったオトは浮かんでいた笑みを消し、気まずそうな様子でチラッチラッと目だけでリュウイチの様子を伺う。まるで内心で不貞腐ふてくされながらも、突っ張り切れずに怯えているように見えなくもない。

 リュウイチはその様子を見ながら数秒の沈黙ののちにフッと笑った。


「?」


『まあ、そう言う風に思えるよね。』

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