第1055話 暴食

統一歴九十九年五月十日、晩 ‐ マニウス要塞陣営本部プラエトーリウム・カストリ・マニ/アルトリウシア



 急遽、一人増えての晩餐ケーナとなったわけだが、滞りなく行われた。食べる人が二人から三人に増えれば量が足らなくなるのではないかと心配になりそうなものだが、そもそもレーマ貴族ノビリタス・レーマエの食卓である。豪華さを競う貴族の食卓は味や栄養価よりも食材の珍奇さや見た目の派手さが重要視されるものであり、そして何よりも大前提として「量が足らない」ということのないように大量に用意されるものだった。客人を満足させるのが目的なのだから「量が足らない」というのは許されない。なので日頃から貴族の屋敷ドムスでは膨大な量の高級食材が消費される。

 贅沢を好まないリュウイチの要望により、日ごろは質素な食卓になるようになってはいるが、それはあくまでもリュウイチの食卓に出されるものが質素にだけであり、使われている食材は平民プレブスなら一生口にすることも出来ないか、年に一度でも口にできれば幸運と言えるほどの物が当たり前に使われていた。また量もリュウイチが「おかわり」を注文すればいつでも出せるように食卓に出す分とは別に余剰分がちゃんと用意されている。

 ではそれらの料理のうちリュウイチの食卓に出されない分は無駄になってしまうのかというとそうではない。余り物の一部は翌朝の朝食イェンタークルムに回されるし、また屋敷内の使用人たちの食卓にも並べられるのだ。結果、無駄に捨てられる食材はほとんどなく、実際に捨てられて無駄になるのはせいぜい間違って床に落としてしまった物ぐらいのものだった。なお、床に落とした食べ物は地下に眠る死者への供物と見做みなされ、誰かが拾って口にすることは絶対にない。生者が死者の食べ物に手を出すのは死者への冒涜ぼうとくであり禁忌とされている。

 とまれ、屋敷の主人たちが食べる分と同時に屋敷の使用人たちの分、そして翌朝の分も同時に調理してしまうのでその量は普段から大変なものであり、その中から一食分多めに用意するなど造作も無かったのだった。


「ふー、食べたな。」


 フルコースではないが前菜から始まってスープ、魚料理、口直し、主菜の肉料理、デザートと続くコース料理の基本を押さえた構成になっており、量では不満を言わせないのが基本なだけあって、主菜の皿の上に小山のように盛られた鹿肉のローストステーキみかん風味ヒルシュ・ブラートン・スティーク・ウント・ミカンを平らげた後はさしものアルトリウスも腹の張りを覚えていた。

 鹿肉の塊を赤ワインに香辛料を加えたマリネ液に一晩漬けこみ、表面を強火で焼いた後でオーブンでじっくりローストにした逸品である。ミカン風味とあるようにソースにはマリネ液に南蛮ミカンの果汁とジャムを加えて一度煮立たせたものを使い、更にスライスされたローストステーキの上にフィレにしたミカンが添えられており、癖の強い鹿肉にさっぱりとした清涼感を与えていた。

 アルトリウスの場合は前日の暴飲暴食の影響で胃腸の調子が崩れていたこともあったのだろうが、それでも巨体を誇るハーフコボルトが満腹感を覚えるほどの量をペロリと平らげたカールには驚きを禁じ得ない。


「あの量を平らげるとはカール閣下には驚きましたな。」


 自分の胃のあたりをさすりながら、アルトリウスはやはり苦しそうに両手で胃のあたりをさするカールに話しかけた。


「アルトリウス閣下も平らげたではありませんか。」


 胃が張りすぎて苦しいのだろう、浅い呼吸を繰り返しながらカールは声を張った。少年のかわいらしい反発にアルトリウスは小さく笑う。


「ハハッ、私はこの通り大人の身体ですからね。

 ですが閣下はまだ子供だ。その小さな体によく入るものだと、失礼ながら驚きを禁じえません。」


『カール君はいつも大人一人分くらい平らげていますよ。』


 リュウイチが横から口を添えると、アルトリウスは目をみはった。用心深く大人二人の様子を見比べていたカールは苦しそうではあったもののニッと笑う。


「ボクは病気で弱ってしまった身体を強く大きくしなきゃいけないんです。

 だから一杯食べないと。」


 カールはそう言いながら胸を張ろうとしたようだが、胃が苦しくてその身体は思うように伸びあがらなかった。カールは思うに任せぬ身体を悔しく思ったのか、苦笑いを浮かべる。アルトリウスとリュウイチはカールの苦笑いに気づかぬふりをして励ました。


「御立派ですカール閣下。

 エルネスティーネ御母上もお喜びになるでしょう。」


『いっぱい食べるのは大事だけど、無理はいけないよ?』


 カールの身を案じた二人だったが、カールは見栄を張って見せる。


「無理はしてません。

 これくらい、少し休めばすぐに動けるようになります。」


 平静を装うカールの額には汗が浮かんでいた。顔色も青い、無理をしているのは明白である。特にアルビノのカールの白い肌の透明度が高いため、体調が直ぐに顔色になって浮かび上がってしまう。

 リュウイチは苦笑いを浮かべた。若者のやる気は尊重してやるべきだが、あえていさめるのは大人の役目である。自制は、人が大人になるうえで必ず身に付けねばならないものだからだ。


『動けなくなってるなら無理をしてるんじゃないか。

 アルトリウスさんだって満腹になるほど食べたんだ。

 それだけでも十分自慢になることだよ?』


 ヒトがハーフコボルトの巨漢と同じ分だけ食べるなど、大人でも簡単なことではない。八歳の身体でそれを成し遂げたカールはリュウイチが言うように大食を自慢してもいいくらいだろう。カールは自分が諫められていることに気づき、少し悔しそうに目の前の空になった皿を見つめた。そのカールの目の前から空になった皿を、給仕を手伝っていた料理長アルキマギールスのルールスが取り下げながら、止せばいいのに余計な一言を口にしてしまった。


「では、今夜のデザートはやめておきますか。」


 その一言にカールはパッと反射的にルールスの顔を見た。苦しそうにうずくまっていたのが嘘のようである。


 あ、馬鹿ッ!!


 ルールスの主人アルトリウスが目をいたがルールスは気付かない。


「デザートは何!?」


「レアリッシュ・クレームでございます。」


 この世界ヴァーチャリアで「《レアル》のクリーム」と呼ばれるそれは、簡単に言ってしまえばババロアのことだ。《レアル》ではバイエルン風クリームバイエリッシュ・クレームと呼ばれているスイーツであり、ババロアの元祖と位置付けられている菓子である。十四世紀にフランス王シャルル六世の許にバイエルンから嫁いだエリーザベト・フォン・バイエルンがフランスにもたらしたという記述が歴史上最古の記録とされているが、それ以前の起源はハッキリしない。また、実を言うとエリーザベトがフランスに齎したという文献上のバイエリッシュ・クレームと現代のバイエリッシュ・クレームとのつながりも実ははっきりしない。近世以降現代までの文献のなかにほとんど登場しないからだ。もしかしたら別物の可能性もある。面白いことにこれが《レアル》からヴァーチャリアに伝わった経緯も不明だった。

 牛乳、バニラ、砂糖、卵黄、生クリームを混ぜてゼラチンで固めるそれはシンプルだがそれゆえに奥が深い。素材の風味が如実に反映されるため、見た目や作り方が同じでも作られる地域や季節によって味が異なったりする。ただ、シンプルゆえに古くから世界中に広まっているスイーツでもあり、ヴァーチャリアではどの降臨者がどの地域に伝えたのが起源なのかが分からなくなっている。ただ、《レアル》から伝わったということだけは確かな様なので「《レアル》のクリーム」と呼ばれている。

 カールは一瞬、顔に喜色を浮かべ、自分が満腹であることに気づくとすぐに表情を硬くし、逡巡しゅんじゅんしはじめた。食べたいのだ。だが、身動きもとれないほど食べ過ぎてしまっている今の自分に食べられるかどうか自信がない。


 ルールスはこの時になってようやく、自分の雇い主であるアルトリウスが顔に手を当てて「やっちまった」というような表情をしているのに気づいた。そして慌ててリュウイチとカールの顔を見まわし始める。


「あ、あー……えっと……」


 ババロアは流石に明日まで取ってはおけない。食べないとなると捨てるか、他の誰かが食べるしかない。甘いものは別腹というが、さすがに今のカールのように食べ過ぎてしまった状態では無理がありすぎる。つまりカールはデザートを諦めなければならないということだった。


『少し時間をおいて、お腹を休めてから食べられるかどうかみてようか?』


「はいっ!」


 リュウイチに示された解決策にカールは飛びついた。

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