第365話 レセプタクルムの密会

統一歴九十九年五月三日、夜 - 黒湖城塞館・倉庫群/シュバルツゼーブルグ



 目が暗さに慣れたこともあるのだろうが、意外と強い月明かりに照らされた芝生は夜だと言うのに青白く光ってすら見え、思っていたよりもずっと簡単に歩い来ることが出来ていた。これがアルトリウシアの暗い夜道であれば、とてもではないが暗すぎて何も見えず、こうして歩いてくることなど出来なかっただろう。


「北西の倉庫群ホレアって…あれよね?」


 眼前には明灰色の石造りの立派な倉庫群ホレアが立ち並んでいる。使われている石材が元々の色が明るい灰色なだけあって、この月明かりの中では闇の中に浮かび上がるように、酷く目立って見える。


 ひょっとして今の自分もアレくらい目立ってるんだろうか?…自分の白い服と明るいベージュの外套パエヌラを思い、ふとそんな疑問が湧いたが今更どうすることもできない。今から戻って着替えて来るなんて出来るはずもない。きっと、使用人たちが何やかや言って出してくれないか、付いて来ようとするに決まっている。


「……しょうがないわよね」


 一度振り返ったが、すでに半分以上来てしまっていることを確認して思わずため息をついてしまう。


 倉庫群ホレアは文字通り倉庫ホレウムの集合だ。複数の倉庫ホレウムの連なった棟がさらに複数並んでいる。ここにはかつて、駐留する軍団兵レギオナリウス城下町カナバエの住民たち約一万人を一年間養えるだけの食料を保管していた施設であり、それなりの広さを誇っている。 

 現在は食料等の備蓄はこことは別の、敷地の北東にある倉庫群ホレアに集約されており、ここの倉庫ホレアは使われていないか、使われていたとしてもたいして重要でもない器物等が保管されているだけだった。おかげで警備の兵士もほとんど寄ってこない。人目に付かないのは良いが、目的の場所に案内してくれる便利な存在も無かった。


「それにしても、この中の何処よ?」


 倉庫群ホレアの前まで来て改めてため息をついた。この辺りは重たい荷物を積んだ荷馬車が入ってこれるように石畳で舗装されていた。自分の影がクッキリ見えるほど月光を反射する明るい石畳は、しかしよく見るとところどころ黒い穴が開いている。毎冬、石畳の隙間にしみ込んだ水分が凍結、膨張することで石が浮き上がってしまい、それがこのように路面に空いた穴になってしまうのだ。普通なら春が来るごとに埋め戻すのだが、この辺は使われていないので放置されているのだった。

 ここまで来ると背景となる地面も壁も明灰色なので、黒っぽい衣装は却って目立つ。やはりこの格好のままでも正解だったのかもしれない…そう思って周囲をあちらこちら見回していると、ふと真っ黒な巨大な犬が目に映った。


「ひっ!?」


 思わず息を飲む。いつからそこにいたのだろう?さっきまでそこには確かに何もいなかったはずなのに、今は狼並みに大きな犬がジッとたたずみ、夜目にも目立つ赤い目を光らせジッとこちらを見ていた。あんな犬に襲われたらひとたまりもない。こちらは武器一つ持ってきていないのだ。

 だが犬はブフンと小さく鼻を鳴らすと地面のニオイを嗅ぐように一瞬俯き、すぐに顔を上げるとクルッと身をひるがえして二、三歩歩き、そして振り返った。


「……付いて来いっていうの?」


 言葉がわかるのか犬は再び歩き始めた。その後をついて行くと一つの倉庫ホレウムに入って行く。


「やっと来たか…」


 犬に続いて倉庫ホレウムに入ると、どこからともなく男の声が響いてくる。それは英語で、聞き覚えのある声だった。声の主がどこにいるかは暗すぎて見えないが、間違いなく奥に居るのだろう。犬は小走りで声のする方へ駆けていき、そのまま暗闇に溶けて見えなくなった。


「ここがアナタたちの隠れ家レセプタクルムって言うわけ?」


 相手が英語なのでこちらも英語で応じるが、「隠れ家」の部分だけ英語ではなく、わざとラテン語を使って尋ねる。

 倉庫を現すラテン語はホレウム【Horreum】とレセプタクルム【Receptaculum】の二つがある。このうちレセプタクルムの方は倉庫という意味の他に隠れ家という意味もあった。倉庫レセプタクルム隠れ家レセプタクルムにする…というのは、洒落にしてはお世辞にも面白いとは言えない。


「まさかな」


 呆れたような質問に対し、男の声は鼻で笑うように答えた。


「それで、こんなところに呼び出してどういうつもり?

 いったい何の用なの?」


「何を言っている?

 契約を果たしてもらう…ただそれだけだ。

 そのうえで話を聞かせてもらわにゃならなくなってな。」


「契約ですって!?

 いまさら何を言ってるの?

 もう終わったことでしょう!

 いつまでも付きまとわれるのは迷惑だわ。」


 男のとぼけた言い様にイラ立ち、思わず怒気を含めて言い放つ。


「終わったとはどういうことだ?」


「私の方にはもうアナタたちに協力しなければならない理由はないわ。

 だいたい、裏切ったのはアナタたちの方でしょう!?

 ウソなんかついて…」


「何を言っているのかわからんな。

 我々はまだ目的を遂げてはいないんだ。」


「そっちこそ何を言っているの?

 目的を遂げていないですって!?

 あれだけ大それたことをしておいて!!」

 

「だから何のコトだか分からんと言っているだろう!?」


「ともかく!私はもう金輪際アナタたちに協力するつもりはないわ」


「途中で投げ出すのか!?

 お前の故郷の渇水をどうにかしたいって言うのはどうなった!?

 諦めるのか!?」

 

「それはもう目途が立ったのよ。」


「そっちの都合で一方的に終わらせられるなどと思うなよ!?」


「終わらせたのはそっちでしょう!?

 続いているなんて思いもしなかったわよ。

 これ以上、私に付きまとうのは止めてもらいますからね。」


 突き放すように言うと、暗闇の向こうの男の気配が変わった。


「そうはいくか!

 目的を遂げ、我らの存在が再び正当と認められないうちに我らの存在を知るお前の離脱を認めるわけないだろうが!?」


 離脱も何も正式な仲間になった覚えなどなかったが、男はどうやら本気のようだ。押し殺すようなその声色には明らかな殺気が宿っている。

 まさかさっきの大きな犬をけしかけられるのだろうか?…それは愉快な想像ではなかった。あんな巨大な犬が相手では武器を持っていてすら勝てる自信はない。むしろ、人間相手の方がまだ逃げ切れる可能性があった。


「ま、待ちなさいよ!

 アナタたちの事なんて言わない!言うわけないでしょ!?

 言えば私もただでは済まないのよ!?」


「ウソを付け!

 どうせもう言ってしまったんだろう!?」


「言ってないわよ!

 何でそうなるの!?」


「そうでなければ何故神殿を軍勢が取り囲んでいる!?」


「軍勢!?

 神殿!?

 何のコト!?

 私はそんなの知らないわ!!」


「白々しいぞ!

 我々を売ったのだろうが!!」


「売ってない!

 落ち着いて!もしそうならここへは来ないわよ!!」


「裏切者め、生きて帰れると…む、どうしたジェット?」


 男が言い切る前に犬の唸り声が聞こえた。おそらく先ほどの黒い大きな犬だろう。そして直後、背後で…倉庫ホレウムの外で何やら巨大なものが動くよううな気配がして扉が大きく開かれた。


「先生?…こちらですかぁ?」

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