第1269話 一瞬の油断

統一歴九十九年五月十一日、夜 ‐ グナエウス砦ブルグス・グナエイ前/西山地ヴェストリヒバーグ



 おそらく彼らは吾輩わがはいの存在に気づいたはず……なのに馬車の影に隠れた?

 まさか馬車を盾に吾輩わがはいの目から逃れるつもりでもあるまいに……


 一人顔をしかいぶかしむグルグリウスの方へ、『勇者団』ブレーブスの馬車はしかし確実に迫りつつあった。


「気を付けてください。

 奴らは何か企んでいます。

 何か奇襲を仕掛けてくるつもりかもしれません」


 グルグリウスが背後の二人に警告する。


「ハ、ハーフエルフってのぁ、あん中のどれだ?

 馬車に乗ってんのか?」


 ヨウィアヌスの疑問にグルグリウスは自分があの集団の中のどれがハーフエルフだったか教えるのを忘れていたことに気づいた。


「最初先頭に居て、後ろに下がった二人……あの二人がハーフエルフでした。

 他は全てヒトです。

 ですが御用心を!

 『勇者団』ブレーブスは盗賊を率いていましたし、レーマ軍から武器を奪っています」


 そう、『勇者団』は多数の短小銃マスケートゥムと弾薬、そして投擲爆弾グラナートゥムを奪っていた。その一部は一昨日の夜、グルグリウスに向けて使われてもいる。今、あの馬車にそうした爆弾や火薬が積まれていないとも限らない。もしもあの馬車に乗せられているのが火薬で、『勇者団』にそれを爆発させるつもりがあるなら、いかなグルグリウスと言えどもその被害が砦に及ばないようにするのは難しいだろう。いや、被害を防ぐこと自体は出来ても、砦の前にいる門番や砦の入り口付近にいる民間人たちに気づかれないようにするのは不可能だ。

 グルグリウスは最悪の事態を想像し、顔をしかめた。


 やはりもっと前へ行くべきだったか?


 その後悔も今更である。馬車はどんどん近づいているのだからどうしようもない。


「つまりあの馬車に乗ってんのぁ盗賊かもしれねぇってことかよ!?」


 忌々し気に毒づくヨウィアヌスの懸念を、カルスが意外なほど冷静に否定した。


「いや、あの馬車に乗ってんの、キリスト坊主だぞ?」


 まだ距離があったがカルスの目は御者台で御者と並んで座ったまま居眠りしている男の姿を見ていた。真っ暗な中、黒い髪と黒い肌を持ち、なおかつ黒い服を着た男の存在に気づき、なおかつその服装がレーマ正教会の牧師のものだと気づけたのは暗視魔法の効果であろう。


「え!?

 あ、あれか……よく見えたな」


 珍しくヨウィアヌスが素直に感心する。だが、それは同時に彼らが厄介な状況に陥っていることを示していた。

 キリスト教聖職者が乗っている……つまり『勇者団』とは全く無関係な第三者が同行しているということを意味していた。グルグリウスは『勇者団』のハーフエルフが予想に反して攻撃を仕掛けて来た場合に備えて来ているのだが、第三者に魔法や『勇者団』の正体について知られないようにしなければならない。それなのにキリスト教聖職者が馬車に乗っているということは、グルグリウスはこの場で魔法を使わずに対処しなければならないということだった。キリスト教聖職者の中には、他の宗教の神官と同様に魔法を使える者もいるのだ。どうやら今は寝ているようだが、もしかしたら何かの拍子に目が覚めた途端にグルグリウスの魔力に気づかれてしまうかもしれない。


 うーむ……こちらの事情を知ったうえで魔法を封じて来たということか?


 ともあれグルグリウスは自分が周囲に発しているであろう魔力の波動をなるべく抑えるよう努めねばならなくなった。グルグリウスが息を潜め、魔力の発散を抑えると自然とその目の赤い輝きが弱くなる。


 意図してやっているとすれば何と悪辣あくらつな奴らめ。

 どうやら知恵が回るというのは本当のようだな。

 ペイトウィンホエールキングを見て他の『勇者団』ブレーブスの評価まで無意識に下げて油断してしまっていたということか……吾輩わがはいとしたことが何たる不覚……


 だがその後悔はまだ早かった。彼はこれからさらに己の不覚を自覚することになる。


止まれプロイベーレ!」


 近づいて来る馬車にアウィトゥスが大声で命じた。

 馬車を牽いていた馬が少し驚いたように耳を動かし、小さくいなないて馬車が停止する。


お勤めご苦労様ですフィーレン・ダンク・フェ・イーレ・ディンステ貴族様ヘル・アードリガッ

 何か御用ですかカーン・イッヒ・イーヌン・ヘーフン?」


 御者は努めて陽気に返事をしてきたが、その声は緊張で強張っていた。いきなり見たことも無いような大男が兵士を引き連れて立ちはだかり、停止を命じて来たのだから警戒するのは当然だろう。

 馬車が停止した時の揺れ、そして続く御者の大声に、隣で寝ていた男が目を醒まし顔をあげる。同時に御者台の後ろ、荷台の荷物と御者台の間にうずくまっていた修道女が、やはり寝ていたのだろう、目をこすりながら身体を起こし、御者台の二人ごしにグルグリウスを見ると目を丸め、手を口に当ててヒッと小さく悲鳴を上げた。


「悪いがラテン語で頼むぜ。

 俺ぁランツクネヒトの言葉は得意じゃねぇんだ」


 言いながらヨウィアヌスは御者台へと近づいた。グルグリウスは身じろぎもせず馬車と、その背後に隠れているハーフエルフたちを交互に見て観察する。


「そいつぁ申し訳ねぇ。

 そちらの大きい御方がランツクネヒト族に見えたもんでね」


 御者はラテン語に切り替えてヨウィアヌスに答えた。グルグリウスの肌は灰色なのに肌の黒いランツクネヒト族と見違えるなど考えづらいが、ヨウィアヌスが振り返るとグルグリウスの姿はカルスの松明たいまつの火の逆光になっており、肌の色は良く見えなかった。

 ヨウィアヌスは自分が暗視魔法をかけて貰っていたことを思い出し、まぁしょうがないかと御者台の方へ向き直る。


「随分遅いじゃねぇか、今頃どうしたんだい?」


「チョイと替え馬の融通が悪くてね、予定よりだいぶ遅くなっちまったんでさ。

 何かあったんですかい?」


 御者は愛想笑いは浮かべつつも緊張した様子でヨウィアヌスの質問に答えた。


「いや何、盗賊の一味が夜陰に乗じて峠を越えようとしてるってタレコミがあってね。

 ちょいと警戒してたのさ。

 そっちに乗ってるのはキリスト坊主かい?」


 ヨウィアヌスが盾で風を防ぎつつ松明を掲げるが、その盾が作り出す影でキリスト教聖職者の姿が隠れてしまう。ヨウィアヌスは暗視魔法を使っていたので松明の光が無くても見えていたのだが、聖職者はわざわざ光の当たるように御者の方へ身を乗り出して顔を見せてくれた。頭の頭頂部だけ丸く剃り上げた髪型は間違いなくキリスト教聖職者の姿だった。


「牧師のメルキオルと申します。

 後ろに居るのは修道女のウッシです」


 メルキオルがそう言うと、背後で愕然としたままグルグリウスを見ていた修道女はハッとして我に返ると、ヨウィアヌスとグルグリウスを怯えた目で交互に見比べ、それから小さく会釈した。それを見届けて御者がヨウィアヌスに説明する。


「明日は日曜だ。

 アタシらキリスト者に取っちゃ大事な礼拝の日だからね。

 こちらの御二人を今日中にこっちに届けたかったんでさ」


「ふーん、盗賊が偽装してるってわけじゃなさそうだな」


「ハッハッハァー、まさかそんなこたぁありゃしませんよ」


 御者が大袈裟に笑うと、メルキオルとウッシも躊躇ためらいがちに愛想笑いをする。

 ヨウィアヌスは後ろを振り返り、グルグリウスとカルスの二人と目配せすると「よし、通っていいいぞ」と言って馬車から離れた。

 御者が「ありがとうございますダンケ・シェーン」と答えて手綱を手に取ると、それと同時に後ろからハーフエルフの乗った馬が出てくる。さらに、馬車の向こうから「ハッ」という威勢のいい掛け声が響き、こちらへ出てくる一騎以外の騎馬が一斉に街道を西へ向かって走り始めた。


「「あっ!?」」


 グルグリウス、ヨウィアヌス、カルスの三人は驚いたがもう遅い。砦の正門へ向かう馬車が彼らの目の前を通り過ぎて視界が開けた時には、既に三騎の騎馬は街道を西へ下り始めていた。

 呆気にとられる三人に、半笑いを浮かべたハーフエルフが馬上から声をかける。


「どうした、お前たちは俺を迎えに来たんじゃないのか?」

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