第1270話 ティフ入城

統一歴九十九年五月十一日、夜 ‐ グナエウス砦ブルグス・グナエイ前/西山地ヴェストリヒバーグ



 グナエウス街道を西へ遁走とんそうしたデファーグたちを目で追っていたグルグリウスたちだったが、ティフの挑発的にも聞こえる声に無言のまま視線を返した。既に魔力を抑えるつもりはないのか、それとも単に魔力を抑えるのを忘れてしまったのか、グルグリウスの目は遠くから初めて見た時と同様に燃えるように赤く光っている。その視線に射すくめられたティフは思わずゴクリと喉を鳴らした。


「そ、其方そなたがグルグリウスか?」


 もっと優雅に貴族らしく話すつもりだった。が、まるで喉の奥で何かがつっかえているかのように思うように声が出ない。ティフは声を詰まらせている自分に気づき、内心で苛立ちを覚えつつ、無意識に顔を引きつらせた。それは後にヨウィアヌスやカルスが語るところによれば、不敵に笑っているように見えたという。


「いかにも……吾輩わがはいの名を御存知とは……

 ああ、エイールメオ様からお聞きになられたのですかな?」


 低く、野太く、どこか地の底から響いてくるような、それでいて落ち着いたグルグリウスの声は、必死に体面を取り繕おうとしているティフの内心とは対照的に余裕に満ち溢れているようだった。


「いや、クレーエ……ああ、盗賊どもからな……聞いたのだ」


 上ずった声しか絞り出せない自分にティフは焦りを自覚し始める。手綱をギュッと握りしめ、何とか表に出すまいとするが、騎手の緊張は馬にだけは伝わるものである。ティフの乗った馬はブフフンッと鼻を鳴らし、勝手にどこかへ行こうとし始めるが、ティフは反射的に手綱を引いて踏みとどまらせた。


 クレーエから……ということはアイツ、今のところエイールメオ様の引き離しには成功しているのか……


 もしもエイーに会っていればエイーからも話は聞いただろう。そのうえでエイーから話を聞いたかと尋ねられてクレーエから聞いたとは答えまい。わざわざクレーエから聞いたと訂正したということは、ティフはエイーと会っていないということだ。


「ふむ」


 グルグリウスはクレーエが《森の精霊義姉》の思惑どおりに動いているらしいことを確信し満足の笑みを浮かべた。


 何がおかしい?……逆にティフの方はグルグリウスの浮かべた笑みに不安を掻き立てられ、緊張に強張らせた顔を引きつらせる。再び緊張の高まりを察した馬はブフフンと鼻を鳴らし、どこかへ逃げようとするがティフがやはり踏みとどまらせる。


「さて、そちらの名をまだ伺っていませんでしたな。

 ティフ・ブルーボール二世様と御見受けしましたが、違いましたかな?」


「その通りだ!

 ルクレティア・スパルタカシア嬢に目通りすべく参上した。

 案内してくれるのだろう?」


 ティフはまだ相変わらず緊張していたし、胃がキュウッと締め付けられるような不快な感じに見舞われたままだったが、それでも何とか声は出すことができた。もしかしたら緊張しているという状況に慣れて来たというか、対応が追い付き始めているのかもしれない。だが、もうイッパイイッパイになっているというのは変わらない。ティフはもう自分が自分でいられなくなるのではないかと不安を自覚し始めていた。が、そのティフの内情を知らないヨウィアヌスとカルスは、こうしてグルグリウスと初対面で、しかもレーマ軍の砦の真ん前だというのにたった一騎でこうも堂々と振る舞っているハーフエルフにすっかり舌を巻いていた。


 やっぱ貴族ってすげぇな……


「ふふん」


 しかしグルグリウスだけはヨウィアヌスやカルスとは違い、ティフがどれだけ緊張しているか、どれだけ虚勢を張っているかに気づいていた。もし、本当に落ち着いているのなら、ティフの馬がこんなに落ち着きを失っているわけがない。


「もちろん案内しますとも……吾輩わがはいはそのために来たのですから。

 しかし、ご案内するのはティフブルーボール様御一人なのですか?

 てっきり他の御三方も御一緒かと思っておりましたのに……」


「此度は俺一人だ。

 他の者たちは別の用事があってな。

 一人では何か不都合があったか?」


 ブフフンッ!……苛立ちを露わに足を踏み鳴らし始めた馬のくつわをグルグリウスがおもむろに掴んだ。ティフが驚いて一瞬目を見開き、口をへの字に結んで表情を消す。


「いえ、ございませんとも……」


 そう言いながらグルグリウスは轡を掴んだのとは別の手を馬の額にかざした。


 何をする気だ!?


 轡を掴まれては逃げ出すことが出来なくなる。人間ならば強引に引き離すことも出来るだろうが、グルグリウス相手にそれが出来るとは思えない。ティフは己の油断を悔いたが、今更何かできるわけもなく目を丸くしてグルグリウスの動きを観察する。

 そうしている間に馬の額に翳したグルグリウスの手がうっすら緑色に光り、途端に馬は大人しくなる。


 ……鎮静魔法?


 馬がすっかり大人しくなるとグルグリウスは魔法をかけていた方の手を引っ込め、馬上のティフを見上げてニヤリと笑った。


「ただ、御客人が四人から一人に減ってしまったのでね。

 四人分で準備を整えていたので、少し驚いたのですよ」


 準備を整えていた……そんなに前から気づかれていたのか?


 グルグリウスの言葉からその事実に気づき、ティフは愕然とする。


「ですが一人でも御客人は御客人、しっかりおもてなし致しましょう」


 そういうとグルグリウスは振り返り、砦の正門に向かって轡を引きながら歩き始めた。

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