第205話 夜半の軍使

統一歴九十九年四月十七日、晩 - トゥーレスタッド/アルトリウシア



 アルトリウシア湾の湾口北岸、トゥーレ岬の東側付け根にある船着き場トゥーレスタッド。基本的にそこはただの中継地点である。定住している者は一人もなく、おかには漁師小屋が数軒建っているだけだ。

 利用者は湾外で漁をする漁船が前泊するために使うという者が最も多いだろうか。次いで多いのはアルトリウシアからサウマンディウムやアルビオンニウムに行く交易船で出港が午後からになってしまった場合だ。海の難所であるアルビオン海峡を夜中に航行するのは自殺行為であるため、トゥーレスタッドで一夜を明かしてから翌朝アルビオン海峡へ行くのだ。


 今、実際にトゥーレスタッドに停泊している船は全てそういう船だった。そしてその中にはサウマンディウムから来た一隻のスループ艦もあった。サウマンディウムへ帰るカエソーとアントニウスを迎えに来た船である。

 本当ならとっくに出港して今頃はサウマンディウムへ入港しているはずだったが、潮と風の都合で到着が遅れてしまった上に、カエソーとアントニウスが『スノッリ』号に積んできていた荷物や使用人たちの載せ替えに時間がかかってしまい、日没までにサウマンディウムへたどり着けそうにないという判断からここで一夜を明かす事になってしまったのだった。

 ヘルマンニの指揮する『スノッリ』号は荷物の載せ替えが終わり次第、とっくに帰路についており今はもういない。今頃はセーヘイムで酒でも飲んでいることだろう。


 外は夜のとばりが落ちて間もない時間帯ではあったが、カエソーとアントニウスはレーマ貴族にしては珍しく既に床に付いていた。いつもであれば今頃は酒宴コミッサーティオに興じている時間帯のはずだったが、明日はアルビオン海峡の荒波を越えねばならぬとあって酒は控えたのだった。酒が残った状態で船に酔わないでいられる自信が無かったからだ。


 スループ艦は大きな船ではない。アルトリウシアの戦船ロングシップに比べれば船室は沢山あるが、純然たる軍艦である以上内部スペースはかなり限られている。

 一応、貴族が乗ることを考えて貴賓室が用意されているが一つだけだ。そこで、その貴賓室にはアントニウスが泊まり、カエソーは艦長室を譲ってもらった。自分の部屋をカエソーに譲った艦長プリンケプス士官室ガンルームを移り、士官室ガンルームにいた士官たちは下士官たちの寝床へ、下士官たちは水兵たちの寝床へ、水兵たちはどこか空いた場所へ毛布を敷いて寝る事になった。一番下っ端が割を食うのは世の常である。


 艦長室の吊り寝台で、シーツを換えてもらったにもかかわらずまだ微かに臭う染みついた艦長オッサンの体臭を気にしないように努めながら、なんとか寝ようと苦労していたカエソーはその体臭の主である艦長プリンケプスによって起こされた。

 一応、隣接する貴賓室のアントニウスを気遣ってか、控えめに戸が叩かれる。


筆頭幕僚殿トリブヌス・ラティクラウィウス、御就寝中失礼します。」


「・・・入れ」


 カエソーが吊り寝台から身を起こしながら言うと、艦長プリンケプスが「失礼します」と言って入ってきた。


「どうした?」


伯爵公子カエソー閣下、軍使レガティオーミリタリスです。」


軍使レガティオー・ミリタリスだと?」


 手持ちランプの光に照らされた艦長プリンケプスの顔は深刻というより困惑といった表情が浮かんでいた。


「はい、サウマンディウムまで、本艦への乗艦を希望しております。」


「サウマンディウムへ軍使レガティオー・ミリタリス

 さて、我々は戦などしておらんはずだが、いったいどこの軍使ミリタリス・レガティオーだ?」


「それが、ハン支援軍アウクシリア・ハン軍使レガティオー・ミリタリスを名乗っております。」


「!?」


 寝台に腰かけたままだったカエソーは思わず立ち上がった。

 帝国に反旗をひるがえした叛乱軍、今アルトリウシアとサウマンディアの艦隊が協力してその行方を探し求めている相手だ。


閣下メア・ドミヌス!?」


「そいつらはどこにいる?どうやってここへ来た?」


「日が沈んでから、貨物船クナールここトゥーレスタッドへ来たようです。

 今、革船コラクルで本艦の舷側に乗りつけて乗艦許可を求めています。」


 カエソーはパッと両手で顔を覆った。


 どういうことだ?叛乱軍の奴らはどこかへ逃げたんじゃなかったのか?

 どこかに隠れていたという事か?

 しかし、今頃何しに出てきた?

 まさか今更降伏を申し出てきたか?

 いや、彼らは多数の人質を連れ去っていると報告を受けている。ひょっとして身代金交渉か?


「いかがなさいますか、閣下?」


 カエソーは顔を覆っていた手を下へずらし、目だけを出すとギョロっと艦長を見て言った。


「会う。」


「彼らとですか?」


「本当に軍使レガティオー・ミリタリスであれば無視できん。

 そいつらは本当にハン支援軍アウクリア・ハン軍使レガティオー・ミリタリスなのか?」


「おそらく。

 ホブゴブリンですがハン支援軍アウクシリア・ハン幕僚トリブヌスイェルナクを名乗っており、ゴブリン兵を従えています。」


「あいつか・・・」


 顔を覆っていた手を降ろし、部屋の隅の方へ視線をやりながら眉をひそめ、カエソーは独り言ちた。


「御存知なのですか?」


「ああ、何度か会ったことがある。

 ハン支援軍アウクシリア・ハンで対外折衝などを担当していたハン族の貴族だ。」


 そもそもハン族に良い印象はまるでないが、イェルナク個人に対してもあまりいい印象は持ってなかった。彼はハン族の中では話が通じる方だが、所詮はハン族の代表…それがカエソーのイェルナクに対する感想である。


「では乗船を?」


「サウマンディウムまで乗せるかどうかはともかく、まずは話を聞いてからだ。

 済まんが私の従兵を呼んでくれ、着替える。」


「承知しましたが、レムシウス・エブルヌスアントニウス卿はどうなさいますか?」


「あ?・・・ああ、そうだな。

 一応アントニウスもウチの軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムだ。

 列席してもらおう。起こして差し上げろ。」


「承知しました。」


「あ、行く前に灯りを頼む。」


 艦長プリンケプスは室内のランプに手持ちランプから火を移すと出て行った。

 カエソーは水差しヒュドリアから手洗い壺レベースに自分で水を注ぎ入れ、それで顔を洗うと手近なところに置いてあった布巾スダリオで手と顔を拭いた。

 そうしている間にも従兵が駆けつけ、カエソーの軍装を整えさせる。

 貫頭衣トゥニカの上から鎧下イァックを着るが、ロリカは時間がかかりすぎるので付けない。鎧下イァックの上から直接ベルトを巻き、肩からスパタ襷掛たすきがけに下げ、軍靴カリガを履く。


 結局、カエソーとアントニウスが軍装を整えるのに半時間近い時間がかかってしまっていた。

 二人が主甲板に姿を現した時、イェルナクとその従者たちは既に主甲板にあがって二人を待っているような状態だった。


「お待たせしたようだな、使者レガトゥス殿?」


「いえいえ、こちらこそこのような時間に押しかけてしまいました御無礼、お詫び申し上げます。」


 甲板上で彼らを取り囲む水兵たちが掲げたランプの灯りに照らし出されたその顔、そして妙に厭味いやみったらしく聞こえるその声と特徴ある口調は間違いなくカエソーの見知っているイェルナクのそれだった。


「さて、イェルナク殿、貴殿とは以前お会いしているはずですな?」


「はい、憶えていただき有難く存じます。筆頭幕僚トリブヌス・ラティクラウィウスカエソー・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵公子閣下。

 そちらの貴人は申し訳ありません、おそらく初めてと思われますが?」


 イェルナクに微笑みを向けられアントニウスが答える。


「私はレーマ帝国元老院議員セナートルサウマンディア軍団レギオー・サウマンディア軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥム、アントニウス・レムシウス・エブルヌスです。」


 元老院議員セナートルと聞いてイェルナクが眉を持ち上げ目を見開く。


「おお!元老院議員セナートルでしたか。

 お初にお目にかかります。私はハン支援軍アウクシリア・ハン軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムを務めさせていただいておりますイェルナクと申します。」


 アントニウスの挨拶にイェルナクが慇懃いんぎんな態度で挨拶を返すと、カエソーが早速切り出した。


「さて、イェルナク殿。

 サウマンディウムまで乗船したいと伺っておりますが?」


「はい。ただ、サウマンディウムまで行くのは私ではなく、こちらのアーディンとその従者たちです。」


 イェルナクが脇に控える若いホブゴブリンを紹介すると、彼はサッとお辞儀した。


軍使レガティオー・ミリタリスと伺ったが、貴殿はサウマンディウムへは行かないのか?」


「はい、私も軍使レガティオー・ミリタリスですが、私は明朝アルトリウシアへ向かうつもりです。

 サウマンディウムへ行くのはこのアーディンと、その従者たち。

 彼はサウマンディウス伯爵へ遣いした後、レーマまで赴いてもらうつもりです。

 ここで元老院議員セナートルとお会いできたのも何かの縁。もしよろしければどうかこの者をレーマまで御導き頂きたいのですが?」


 カエソーとアントニウスは顔を見合わせた。


「ウッ、ウンッ・・・アントニウスはたしかにレーマへ帰る予定だ。

 正式な軍使レガティオー・ミリタリスがレーマへ赴くというのであれば、案内するのはやぶさかではない。

 しかし、レーマで誰につかいするつもりなのか、お伺いしてよろしいかな?」


 アントニウスが問うとイェルナクは大様おおように答える。


「もちろん、我らハン支援軍アウクシリア・ハンの総司令官たる皇帝陛下インペラトールでございます。」


「さて、一応軍使の用向きをお伺いしておいてもよろしいだろうか?

 おそらく、貴軍が起こした叛乱についてのものであろうとは思うが。」


 カエソーが問いかけるとイェルナクはわざとらしく困ったような顔をしてかぶりを振る。


「ああ、やはりそのような誤解があるのですね?」


「誤解だと!?」


「もちろんです。我がハン支援軍アウクシリア・ハンは叛乱など起こしておりません。

 我々もまた今回の事件の、恐るべき陰謀に巻き込まれた被害者なのです。

 我らはそれを御説明申し上げ、誤解を解くための軍使レガティオー・ミリタリスなのです。」

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