第62話 海軍基地城下町炎上

統一歴九十九年四月十日、昼 - 海軍基地前/アルトリウシア



 海軍基地カストルム・ナヴァリア正門の正面約三十ピルム(約五十五メートル)ほどの位置にリクハルド軍によってバリケードが築かれてからというもの、ハン支援軍アウクシリア・ハンは急速に損害を出しつつあった。

 それまで通りの両脇の物陰から二、三人ずつしか射撃できなかったリクハルド軍だったが、バリケードが出来てからはバリケード越しに二十数人で一斉射撃するようになったからである。


 ただし、オクタル本人からはその様子は全く見えていなかったし、リクハルド軍の射撃も土塁どるい上の観測兵や門の外側にいる放火部隊ゴブリン兵に集中していたため、オクタルは何がどうなっているのかほとんど全くと言って良い程状況を把握できていない。

 ただ、前方から聞こえてくる銃声からかなりの人数がこちらに向かって射撃をしているらしいという事と、土塁上の観測手が狙われているらしいという事しかわかっていない。

 基地カストルムに帰還しようとした放火部隊のゴブリン兵三名が、発砲煙が作り出した煙幕の向こうでウッカリ射線上に飛び出してしまい、オクタル隊の銃撃を浴びてたおれてしまった事にも気づいていなかったくらいだ。


 ただ。射撃の合間に門の脇から壁伝いに放火部隊のゴブリン兵たちが這いつくばって徐々に帰還を果たしている。それは帰ろうとしたゴブリン兵が同士討ちで死んだのを見てしまった土塁上の観測兵が、壁の下にいる連中に安全な帰り方を助言した結果だった。

 ウオレヴィ橋とヤルマリ橋を結び海軍基地正面を横断する街道に面した城下町カナバエの建物からは火災が広がりつつあった。


 オクタルは帰ってきた放火部隊に対し、オクタル隊が立てこもっているバリケードと正門の間に瓦礫がれき藁束わらたばを敷くよう指示を出した。

 撤退前にこれに火をつけてリクハルド軍が正門から入ってこれないようにするための準備である。

 この後はドナートたちが戻り次第、正門に火災を起こして撤退するつもりだった。しかし、ドナートたちに撤収準備完了を知らせる方法を打ち合わせていなかったことに今更ながら気づき、オクタルは内心後悔していた。


「生きて帰って来いよ、ドナート。

 貴様の働きに、俺はまだ報いていないのだからな。」



 この時ドナートたちはリクハルド軍本隊が戦っている《海軍基地通りウィア・カストルム・ナヴァリア》より北側の市街地で、リクハルド軍の右翼に展開していた伝六でんろく隊を翻弄ほんろうしていた。

 普通、騎兵は市街戦では碌に役に立たない。狭い路地は騎馬の機動力を殺してしまうからだ。


 だが、ダイアウルフは馬とは違う。

 住民の居なくなった市街地は自分たちと敵しかおらず、邪魔な雑音がほとんど無いから優れた聴覚と嗅覚を持つダイアウルフは視界の利かない裏路地でも敵の位置を容易にかつ的確に把握できる。

 姿勢を低くし、地を這うような忍び足スニーク態勢に入れば足音はもちろん気配をすら消し、大柄ではあっても柔軟な身体で狭い場所でも素早く動きまわることが出来る。

 水兵たちがゴブリン兵の行く手を塞ぐために築いたバリケードだって、軽々と飛び越える事が出来る。

 狭い路地でウッカリ敵と真正面から対峙したとしても、馬を凌駕りょうがする突進力で体当たりをブチかませばコボルトだって耐えられるものではない。

 敵を避けるのも襲い掛かるのも思いのままだ。


 そのうえ、背中に短小銃マスケートゥム投擲爆弾グラナートゥムを装備したゴブリン兵を乗せているのである。

 ダイアウルフのわずかな仕草から敵の位置を知らされた騎手は、ダイアウルフが敵のいる路地の入口で立ち止まった一瞬に短小銃を撃ち込み、あるいは投擲爆弾を投げ込む。騎手が一撃を加えるとダイアウルフはそのまま走り出し、敵に反撃の隙を与えない。

 人狼一体となったゴブリン騎兵は視界の利かない環境下では恐ろしく厄介な存在だった。


 狭い路地を気配もなく動き回り、突然現れては散弾を撃ち、そのまま即座に姿を消し、追いかけても追いつけないゴブリン騎兵・・・そんな神出鬼没の集団相手に、最初は少人数ずつ分散していた伝六隊は次第に追い詰められていく。

 恐怖と不安から知らず知らずのうちに味方同士で集まってしまい、そして一塊になった所へ投擲爆弾を投げ込まれる。

 ゴブリン騎兵が撃っているのが一丸弾ではなく散弾だったため、しっかりと防具を身に着けたリクハルドの手下たちが致命傷を負う事はなかったが、それでも無傷では済まないし、負傷すれば戦線から離脱せざるを得ない。


 当初、伝六本人を含め二十五名いたはずの伝六隊は甚大な被害を出していた。

 道案内役の水兵四名のうち一人が死亡し、二人が重傷を負っている。伝六以下リクハルド軍の精兵せいへいも半数以上の十二名が負傷・・・死者こそ出ていないがもはや伝六の率いる部隊が戦力として役に立たないのは明らかだ。

 伝六は負傷者から順に撤退させていたが、ドナートたちは容赦なく襲い掛かる。



カシラリクハルド

 ヤベェですぜ、やつらハン族街に火ぃつけやがった。

 南からはもう行けそうにねぇです。」


 左翼へ迂回していたラウリが隊ごと戻って報告していた。


「何ぃ?

 そうか、さっきから妙にけむてぇのはそのせいか。」


 発砲煙以外の煙が漂ってるわけでは無いが、火薬とは別の何かが焼けるような臭いが微かに臭ってはいた。


「あの角曲がりゃ火事でさ。

 やつらこの街全部焼いちまう気ですぜ。」



 火事が起こったなら急いで消すか、風下側の建物等壊して引火する可能性のある物すべてを遠ざけて燃え尽きるのを待つしかない。だが、今それをするだけの人手もなければ暇もない。

 今のリクハルドたちは火を放置するほか手が無いのだが、だからといって火災を無視して戦闘を続けられるかと言うとそうでもない。

 大きすぎる火や強すぎる火には精霊エレメンタルが宿り《火の精霊ファイア・エレメンタル》と化して暴れまわることがあるからだ。

 《火の精霊》に興味本位でチョッカイ出されたんじゃたまらない。こっちリクハルド軍には《火の精霊》に対抗する手段なんか無いから一方的になぶられて焼き殺されてしまう。

 リクハルドたちは火災の炎が《火の精霊》になってしまう前に基地を攻略するか、撤退しなければならなかった。



「・・・うーん、退くしかねぇか・・・。

 ラウリ!」


「へい!」


「伝六の奴がワン公ゴブリン騎兵に襲われて苦戦してるらしい、ちょっと行って助けて来い。」


「承知!」


「おめえらが戻り次第退くぜ。

 あ、投擲爆弾は全部おいてけ。」


合点がってんで!」


 リクハルドは撤退を選んだ。

 海軍基地の中の状態は外からではわからないが、ハン族の計画では最後に海軍基地を爆破する事になっていた。爆破の準備が完了していたら逃げるしかなくなるが、その時既に城下町で《火の精霊》が暴れまわっていたら逃げ道がなくなる。

 確実に生きて帰るためには、今ここで無理に突っ込むことは出来ない。

 どんな手柄だって命と引き換えじゃ割にあわない。



 ラウリが伝六隊救援を命じられていた頃、伝六隊と対するドナートも撤退を考え始めていた。

 ドナート隊が襲っていた伝六隊は死者こそあまり出ていないようだったがかなり痛めつけられており、徐々に集まって後退しつつある。

 最後に一か所に集まったところへ投擲爆弾を投げ込んでトドメを刺してやろうかと思っていたが、付近を焦げくさにおいが漂い始めており、このまま戦い続けるのもそろそろ難しそうだった。

 市街戦に突入する前に北側を担当する放火部隊にドナートたちの退路たいろを残す様に言ってはあるが、火災が燃え広がりすぎればせっかく確保した退路にも火災が及んでしまう。


「ドナート、そろそろヤバいぜ。

 ここらもけむってきやがった。」


「わかってる。

 敵も退き始めたようだ。

 俺たちも退くぞ。」


 自分の短小銃に弾を込めながらドナートはそう答えると、弾を込め終わった短小銃をくらのケースに納め撤収の合図を出した。

 ラウリ隊が伝六隊と合流を果たしたのは、ドナートたちが市街地を北へ大きく迂回し、海軍基地へ向かう脱出ルートを辿たどって姿を消した後のことだった。

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