第21話 奴隷の買い取り(2)



 リュウイチが一つの箱の蓋を開いてアルトリウスたちに中身を見せると、中には先ほどのリュウイチが提示した金貨が詰まっていた。


「こ、これは・・・」

あるじは奴隷の代金として一人千枚の金貨を用意した。

 箱一つにつき先ほどの金貨が二千枚入っておる。』

「お、お待ちください!」

「そうです、いくら何でも多すぎです!」



 レーマ帝国では全ての通貨の基準としてデナリウス銀貨が使われており、一デナリウスは現在四セステルティウスとされている。

 レーマ帝国で最も多く流通している金貨はアウレウス金貨であり、発行当時は一アウレウスが二十五デナリウスと定められていた。つまり、一アウレウスは百セステルティウスに相当することになる。


 ところが、現実には銀の価値、金の価値、銅の価値の相場バランスは日に日に変わっていき、決して安定はしないモノだ。金、銀、銅それぞれの素材としての供給量と需要は決して安定しない以上、金貨一枚は銀貨十枚というように交換比率を固定化することはできない。

 特に大協約では貿易の決算には金貨しか使えない事とされたため、国際貿易の取引規模の拡大と共に金の需要は生産量を大幅に上回っており、金貨のインフレが慢性化していた。


 帝国は金貨の改鋳を繰り返し、銀貨との交換比率のバランスを保とうとしたが、それはより純度の高い金貨の需要を押し上げ、同時に純度の高い金貨の流通量を減少させる結果を招いており、金貨の流通枚数自体は増えているにもかかわらずインフレがとまらないという悪循環に陥っている。


 この場にいる誰も金貨の交換比率がどれほどか把握していなかったが、アウレウス金貨は最初に発行されてから大きさと金含有量を下げているにも関わらず、その価値は百セステルティウスを大きく上回っている筈だということぐらいは知っていた。


 そして、リュウイチが提示した金貨は直径も厚さもアウレウス金貨の倍以上あり、帝国で最も高価なソリドゥス金貨をも二回り以上上回っている。


 つまり、どれだけ安く見積もってもリュウイチの金貨は一枚で四百セステルティウスを下回る事は絶対に無い筈で、奴隷八人に対して金貨千枚は明らかに高すぎた。

 仮に奴隷が一人一万セステルティウスしたとしても、八人の総額でリュウイチの金貨なら二百枚で十分な計算になる。


「・・・というわけで、リュウイチ様の金貨はおそらく、安く見積もっても四百セステルティウスを下ることはありますまい。

 奴隷一人が一万セステルティウスだったとしても、八人で二百枚ほどもあれば十分足ります。まして、あの者たちにどれほど高値がついたとしても一万もの値が付くはずがありません。百枚、いや五十枚でも十分すぎるほど釣りが来ましょう。

 どうか、これらは一度お納めください。」

 アルトリウスはスタティウスらのサポートを受けつつリュウイチを説得し、一度それらの箱を仕舞って貰った。


『吾が主は問いたもう。

 この金貨が高価すぎることは理解した、なれどこの世界の通貨が如何様なものか知らぬ故、如何ほどの価値かまでは把握しかねる。

 そなたらの申すデナリウスやセステルティウスが如何ほどの価値かもわからぬ。

 この金貨は如何ほどの価値があろうや?』


 もっともな質問だったが、普段自分で買い物も生活にかかる金勘定もしないアルトリウスやルクレティアにわかるわけもなかった。

 思わずスタティウスの顔を見る。スタティウスはその視線に気づいて答えた。


「・・・そうですな、あそこにいる軍団兵レギオナリウスどもの給料が一日あたり一デナリウスになります。一デナリウスはデナリウス銀貨一枚で、四セステルティウスに相当します。

 セステルティウスは今はセステルティウス黄銅貨一枚ですな。

 もっと安い青銅貨や銅貨もあって、庶民はそれらを使います。


 リュウイチ様の金貨が少なく見積もっても四百セステルティウスは下らないであろうとのことですから、あそこの兵たちの百日分の給料以上ということになりましょう。

 貧民ならば、それ一枚で一年は食いつなげると思われます。」


『ではこの金貨で買い物をしようとしても難しいな?』

 スタティウスの回答を聞いたリュウイチはしばらく考えてそう訊ねた。

「何を買うかにもよりますが、ほとんどの店は受け付けんでしょう。

 金貨を扱っているのは御用商人か両替商か貿易商といった、いずれも大きな商家に限られます。

 町の屋台なんかで買い食いしようとしたら、店ごと買ったとしても店主は釣銭が払えず困るでしょうな。」


『であるならば、奴隷というのは存外高価であるなと吾が主は申しておる。』

「奴隷一人一万セステルティウスというのは、それこそ帝国中に名を知られているような売れっ子剣闘士グラディエーターに付く値です。

 通常の奴隷はその十分の一ぐらいしかしません。

 彼らは体力のある元兵士なので、もう少し値が付くとは思いますが、それでも二千セステルティウスもせんでしょう・・・運が良ければ二千くらい行くかもしれませんが。」


『その者の年収分ぐらいということか。』

「そうなりましょう。

 ただ、最初に申し上げましたように、競りに出される奴隷と買い手次第で相場はいくらでも動きます。普段の倍の値が付くこともあれば、競りの開始価格でも売れない事も珍しくありません。」


『その者の年収分ほどの金を払ってしまえば、あとはタダで働く労働力を得るのだから安い買い物なのか?』

「いえ、タダというわけではありません。

 奴隷を所持する者は税金を納めねばなりませんし、奴隷の衣食住は無償で整えてやらねばなりません。病気や怪我をした際の治療も主人が自前で行う義務があり、最低限度の給料も支払う必要があります。」


 スタティウスの説明を聞いたリュウイチが驚いて声をあげた。

 思わず全員がビクっと反応する。


『奴隷に給料を払うのか?』


「その・・・人道主義とか人権とか色々ありまして・・・奴隷は自分の身分を買い戻す権利がありますので、それを担保するために、最低限度以上の賃金を支払う事が定められております。」

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