会談後

第1311話 残業

統一歴九十九年五月十一日、夜 ‐ グナエウス砦陣営本部プリンキパーリス・ブルギ・グナエイ西山地ヴェストリヒバーグ



 めぇったな……


 リウィウスは一人肩を落とすと、カエソー・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵公子の待つ陣営本部プリンキパーリスへ足を踏み入れた。一緒に来てもらうつもりだったルクレティア・スパルタカシア・リュウイチアの姿は彼のそばには無い。ルクレティアは彼女自身の良識と彼女専属の侍女クロエリアの助言により、リウィウスがそれとなく提案したこれから開かれる軍議への出席を断ったのだ。

 リウィウスとしてはルクレティアに出席してほしかった。正直言って上級貴族パトリキの小難しくて面倒くさい話なんか聞いていたくはない。ただ同席して話を聞いているフリだけしてればいいならともかく、会議で話されていた内容を理解し、ルクレティアに報告しなければならないなんてとんでもない。夜中の薄暗い中じゃ重要なことを忘れないようにメモすることすら出来ないではないか!

 だからリウィウスとしてはルクレティアに出席してもらい、自分は同伴するだけで横で話を聞いてるフリだけすればいいようにしようと画策したわけだが、まあそんな浅はかな企みなど成功するはずも無かった。ルクレティアの欠席するという判断にしたところで、レーマ帝国の常識に照らし合わせれば非の打ち所の無い当然のものなのである。


 いっそのこと道に迷ったフリでもして出席を取りやめようかとも思ったが、カエソーから直々に出席を命じられている以上それも出来まい。実際、リウィウスが陣営本部に入った途端にリウィウスはサウマンディア兵に捕まり、会議が開かれる執務室タブリヌムへ案内されることになってしまったのだから、今更逃げの打ちようも無いのだった。


「では、ルクレティア様は来られないのだな?」


 入室したリウィウスはカエソーの答の分かり切った質問に、バツの悪そうな苦笑いと共に「へぇ」と答えるしかなかった。


「まぁ、当然だな」


 カエソーはそれ以上リウィウスに何も言わなかった。リウィウスがカエソーの部下なら叱責の一つでもされたかもしれないが、リウィウスはサウマンディア軍団レギオー・サウマンディアの所属ではなかったし、それどころか軍団兵レギオナリウスですらなかった。今の彼は奴隷セルウスにすぎない。ただ、彼の主人が降臨者 《暗黒騎士リュウイチ》であり、ルクレティアの警護を担っているから特別扱いされているに過ぎないのだ。

 リウィウスはカエソーの従兵に案内されて末席に腰かける。するとすぐに別の従兵がリウィウスのために香茶を用意してくれた。平民プレブスでは到底口にすることのない高級な香茶ではあったが、リウィウスにはその価値が分からない。正直言って安酒アリカの方がなんぼかマシなくらいだったが、さすがにこれから貴族ノビリタスの居並ぶ会議で酒を飲むわけにもいかない。リウィウスは会議が始まるまで、飲みなれない熱い香茶をフーフー吹きながらチビチビ啜りつつ待つしかなかった。


「グルグリウス殿が参られました」


 従兵が告げるとカエソーがグルグリウスを出迎えるために立ち上がり、他の百人隊長ケントゥリオたちも次々と立ち上がる。リウィウスも慌てて椅子から立ち上がり、グルグリウスを百人隊長たちを真似て出迎えるカエソーの方を向いた。


「おお、グルグリウス殿!

 『勇者団』ブレーブスティフブルーボール様の送迎、ありがとうございました」


 先ほどまでの仏頂面ぶっちょうづらが嘘のような笑顔を浮かべ、カエソーが両手を広げてグルグリウスを歓迎すると、グルグリウスは実に機嫌のよさそうな笑みを浮かべて返した。


「なんの、これくらい大したものではございません。

 不届き者をおさえ、ルクレティアスパルタカシア嬢の安寧あんねいはかるは我が主 《地の精霊アース・エレメンタル》の御意ぎょいでもあります」


「おお、グルグリウス殿ほどの猛者もさにそうおっしゃっていただければ心強い!

 さあ、よろしければどうぞこちらへ」


 カエソーはそういうと百人隊長たちが囲む円卓メンサ指示さししめした。見れば一つの少し大きな円卓の周囲に椅子が並べられ、四人の百人隊長とリウィウスがその周りに立ち並んでいる。開いている椅子が二つあるのはカエソーとグルグリウスの分であろう。

 円卓の中央には火の灯された燭台が一つ、さらに円卓を囲む椅子の輪の更に外側に燭台が立てられているが、先ほどティフ・ブルーボール二世をむかえた部屋に比べると灯りの数は明らかに少ない。暗視能力のあるグルグリウスにとっては苦にならないが、人間の目には円卓の反対側に座る人の表情を辛うじて読み取ることができる程度の明るさであり、仮に卓上に本を置いたとしても字を読むのは辛いだろう。円卓を囲んでいるのが軍人でなければ、まるでこれから貴族たちが降霊術でも試して遊ぼうとしているかのように見えたかもしれない。


「これは、これから何かもよおし物ですかな?」


 グルグリウスが尋ねるとカエソーの愛想笑いがやや苦いものに変わった。


「実は先ほどのハーフエルフ様との会談を受け、現状の再認識と今後のことについて少し話そうと思っておりましてね。

 できればグルグリウス殿の御意見もうかがいたいのですよ。

 御協力いただけませんかな?」


 この会議は予定されていたものではなかった。だから急な申し出である以上突っぱねられても仕方のないものであり、カエソーもグルグリウスに断られるのではないかと不安に思っていたが、グルグリウスは少し驚いた様子で眉を持ち上げはしたものの、さして間を置かずに快諾した。


「構いませんとも!

 ルクレティアスパルタカシア嬢の安寧を図るは我が主 《地の精霊アース・エレメンタル》の欲するところ。

 それに資することであれば吾輩わがはいいとうことなどありません」


 カエソーの表情がパアッと明るくなった。


「おお! さすがはグルグリウス殿!!

 その見事な忠勤ぶりには感服するほかありません!

 さあどうぞ!

 そうと決まれば、さあさあ」


 喜びを口にしたカエソーは自らグルグリウスを椅子へ案内した。グルグリウスに着席させると、カエソーはその右隣りに座る。

 円卓ラウンド・テーブルというと上座も下座もない、全員が平等になる形式と思われやすいがそんなことはない。主催者ホストの左側が招待客ゲストの座席、右側が主催者家族(あるいは部下)の座席となり、主催者に近い方が席時は上で主催者から離れれば離れるほど席時は低い……古代ローマ由来の序列である。

 今回の会議の主催者はカエソーであるから、その左隣りに座るグルグリウスは主賓……カエソーがどれだけグルグリウスを高く評価しているかがその席順に現れていた。ちなみにカエソーの右側にサウマンディア軍団の百人隊長二人が座り、グルグリウスの左側にアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアの百人隊長二人が座る。リウィウスはサウマンディア軍団の百人隊長とアルトリウシア軍団の百人隊長の間……つまり一番末等の席だった。まぁ、奴隷にすぎない彼が貴族と同じテーブルにつけるという時点で破格の好待遇である点は思い出す必要があるだろう。


 グルグリウスとカエソーが着席すると、百人隊長たちとリウィウスも席に着き、いよいよ会議が始まった。彼らにとってはとんだ深夜残業である……もっとも、このヴァーチャリア世界には労働基準法などというものは存在しないし、「残業」などという概念もありはしなかったが……

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