第1372話 入れ替わり立ち替わり

統一歴九十九年五月十二日・午前 ‐ マニウス要塞城下町カナバエ・カストリ・マニ集合住宅インスラ/アルトリウシア



「手前ぇどこで何やってんだぁ!?」


 男の怒声が響いたと思いきや、玄関前の集合住宅インスラの共用通路で横たわっていたパヌはいきなり蹴飛ばされた。ディアナの耳にボクッという今まで聞いたことも無いような鈍い音が響き、それまでそこに見えていたパヌの顔が消え、代わりにパヌよりもゴツい男が入れ替わるように現れる。


「「!?」」


 ディアナとベローナは思わず目を見開き、身をすくめた。


「親分! パヌのガキ、見つけやしたぜぇ!?」


 現れた男もまたブッカだった。気を失ったのだろう、身動みじろぎ一つしないパヌの身体を踏みつけるように肩脚乗せて今来た方へ向かって叫ぶ。遠くから「おー」と答えるような声が聞こえてくると男はパヌの方を振り返り、踏みつけていた足でパヌを軽く小突くように蹴りなおす。


「ケッ、ガキが勝手しやがって、遊びじゃねぇっつったろうが!」


「ディアナ! ディアナ!?」


 男がぼやいているのを唖然としながら見ていたディアナは背後からの母の声に気づいた。振り返るとベローナが手を払うように小さく早く振っている。


「閉めて! ほら早く扉!!」


 小声で急かすベローナの声にディアナはハッと我に返った。そう、急いで玄関を閉めて厄介払いしなければならない。今、別の男が来てパヌを昏倒させてくれたが、それがこちらの味方とは限らないのだ。むしろパヌの仲間であろう確率の方が高い。このまま玄関を開け放ったままでは、また新たな厄介ごとが舞い込んできかねないではないか……

 ディアナは急いで扉に手をかけた。だがそれは少し遅かったようだ。


「おっと!」


 バンッ!!


 ディアナが閉めようとした扉に男が手を当て押しとどめる。

 レーマ帝国では民家の扉は全て内開きだ。家の外の土地はすべて公共のものであり独占してはならないという考えがあるためである。扉が外開きだと開け放たれた扉が公共の空間に飛び出してしまい、人の通行を妨げてしまうため、公共の空間を自分の家の扉で塞いだとして非難の的となってりまうのだ。ディアナが閉めようとした扉も同じ考え方によって内開きになっており、少女のディアナがどれだけ力を入れて閉めようとしても、自分よりも力強く体重もある大人の男に外から抑えられた状態では閉めることなどできない。


「は、放してください」


「まぁお待ちくだせぇ娘さんプエッラ、どうやら手前の若いのプーエルが御迷惑をおかけしたようだ。

 詫びの一つも入れさせちゃいただけやせんかね」


 男の言葉遣いは先ほど毒づいていた時とは違って丁寧そのものだったが、低い声はドスが利いていて本当に詫びを入れようとしているようには聞こえない。


「お、おかまいなく!!」


「そうおっしゃらずにっ!!」


 ついにディアナは力負けしてしまい、扉は開かれてしまった。ホブゴブリンとブッカでは体格は同じでもホブゴブリンの方が筋力は若干高いはずだが、種族間の違いによる筋力差など男女の性別の差や個々人の体格差による影響に比べれば微々たるものだ。ディアナは跳ね飛ばされたような勢いでパッと母ベローナの所まで飛び退き、ベローナに受け止められるとサッと小剣プギオーを構えなおした。真鍮製の刃の放つ黄金色の光が男の目にも映ったはずだが、男はやや目を細めた以外表情に変化がない。


 不味いわ……このブッカ、小剣プギオーを恐れない……


 体毛と皮下脂肪による天然の鎧をまとったブッカやコボルトには刃物による攻撃が効きづらい。鉄や鋼でできた強力な刃物が普及してないことも背景にはあるが、小剣のような小さな刃物では急所でも狙わない限り、致命傷どころか重傷を負わせることさえ難しいというのがこの世界ヴァーチャリアの実情だ。それでも本能的に鋭い刃物に対する恐怖感みたいなものはあるはずだが、喧嘩慣れしたブッカやコボルトの中には経験によってそれを克服し、ディアナが持つような小さな刃物をまるで意に介さなくなる者も少なからず存在した。ディアナの目の前に立ちはだかるブッカは、そうした玄人くろうとの一人なのだろう。


「そんな物騒な物はお納めくだせぇ」


 男が一言そう言い、ディアナは小剣を構えなおしながら半歩後ろへ下がった。ベローナが心配そうにディアナの肩に手を置くと、男はバッと腰を落とし頭を下げる。


「アタシはリクハルドヘイムの郷士ドゥーチェリクハルド・ヘリアンソン様の配下、ラウリ様にお仕えいたしておりやすイーサクと申しやす。

 この度は主人の御訪問を告げる先触れノーメンクラートルとしてめぇりやした。

 ただ、ウチの若ぇモンプーエルが先走りやがって、そちら様に御迷惑をおかけした御様子。

 ひとえにアタシの躾が不十分なばかりにやらかした不始末でござんす。

 何ぞ壊しちまってましたら弁償させていただきやす。

 どうか、このアタシに免じて、この場をお納めくだせえ」


 大の男に頭を下げられて嫌も応も無い。このイーサクは先ほどのチンピラとは比べ物にならないほどの強面こわもてだ。下手に断って暴れられでもしたらもっと面倒なことになるだろう。ベローナはディアナ越しにではあったが、イーサクの謝罪を受け入れた。


「ご、ご丁寧に痛み入ります。

 幸い、壊されたものはありません。

 ですがここは女所帯、玄関先で殿方に居座られては困ります。

 この度のことは納めますから、どうぞお引き取りください」


 ベローナが気丈にそう言い放つとディアナは扉を閉めようと手を伸ばしたが、イーサクの「いやいやっ!」という声によって牽制されてしまう。


「お待ちくだせぇ!

 こちらの詫びをお納めくださりありがとさんでござんす。

 アタシとしても引き取りたく存じやすが、生憎と御役目を仰せつかった身。

 御用も果たさぬまま引き取るわけにはめぇりやせん。

 こちらにお住いのアヴァロニア・レグリアさんを、リクハルドヘイムのラウリが訪ねると、御挨拶申し上げねばなりやせんで……どうかその辺のところ、御理解いただきたく……」


 何のことは無い、この男もやはり先ほどのチンピラと同じ穴のむじなだったわけだ。

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