第439話 復興の裏側で

統一歴九十九年五月三日、午前 - 《陶片テスタチェウス》リクハルド邸/アルトリウシア



「遅くなってすいやせん!」


「おう、御苦労さん!!」


 入室するなり遅参を詫びるラウリをリクハルドは大様に迎えた。ファンニとダイアウルフたちを送り出す前に、今朝ラウリは昨夜伝えられた作戦の変更について説明しに行っていたのだ。ついでにファンニたちのコンディション確認の必要もあった。


 昨日、アイゼンファウストから帰ってきたファンニは酷く落ち込んでいた。怯えていたと言ってもいいかもしれない。その理由をラウリはファンニの護衛に付けていた部下たちから聞いたが、その部下たちからして相当な危機感を抱いているようだった。無理もない…セヴェリ川の向こうからダイアウルフの遠吠えが聞こえたせいで発生したアイゼンファウストのパニックは多数の怪我人を出す惨事となってしまったのだ。ファンニたちは軍団兵レギオナリウスに守られながらパニックがある程度納まるのを待って《陶片》へ帰ってきたわけだが、その途中ファンニの一行は住民たちから憎悪を向けられたのだ。


 あいつ等がダイアウルフを呼び寄せた・・・


 最初は分からなかったがどうやら住民たちはそのように考えているらしかった。リクハルドの私兵が囲んで守っていただけあって、あからさまに罵声を浴びせたり物を投げつけて来るほどのことは流石になかったが、それでも遠巻きに向けられる住民たちの視線にはいわれのない害意に満ちていたのである。

 そのような無数の視線に晒され、わずか八歳の少女が平気でいられるわけもない。そういう事情を報告されたリクハルドはラウリをアイゼンファウストへ、パスカルをアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアへ派遣して、ファンニの安全が確保されるように方策を調整させたのだった。


「どうでしたか?」


「問題ねぇよ。いつも通りだ。」


 パスカルの質問にぞんざいに答えながら、ラウリは自分の席についた。


「しかしよぉ、貸し出すダイアウルフも一頭にした方が良かったんじゃねえのかい?」

「その間、もう一頭は誰が面倒見んだよ。あの娘の言うことしか聞かねぇんだぞ?」

「例の捕虜に預けときゃいいじゃねぇか。

 あいつもどうせ寝転がってるだけなんだ。

 そんくれえしたって罰は当たらねぇぜ?」

「バッカ、屋敷ドムスん中が獣臭くなっちまうじゃねえか」

「それにあいつらは散歩させねぇと機嫌が悪くなっちまうんだぜ?

 片手片脚無くして身体を起こすのがやっとの奴にダイアウルフの散歩なんか出来っこねぇ」

「そうだ、野に放つくらいならあの娘と一緒にアイゼンファウストへ貸しちまう方がよっぽどマシだ。たとえそのまま逃げちまったとしても」


「おーし、そこまでだぁ。

 ダイアウルフはあのファンニって羊飼いの娘にしか懐いてねえんだ。

 それにダイアウルフは今んとこアイゼンファウストに貸す以外に使い途がねぇ。

 娘の身の安全は軍団レギオーとメルヒオールの野郎が約束するって言ってんだ。これ以上は言ってもしょうがねぇこったぜ?」


 部下たちがペチャクチャととりとめもなく話を始めてしまったのを、リクハルドは手を叩いて止めさせると、部下たちに内外の情勢について把握していることを報告させはじめた。


「ほいで、ティグリスんトコの方はどうなってんでぇ?」


「ヘィ、瓦礫の方はもう片付いちまってて、例の水道橋工事の連中の移住先の縄張りも半ばまで終わったようです。何でも向こうじゃ建物の解体は始まってるそうで、最初の便は今日か明日あたりにゃ入り始まるらしいです。アンブーストゥス様は今ぁ引っ越し住民の仮宿の準備で大わらわってとこです。」


「そんなんで間に合うのかよ、雪が降り始めるまであとひと月も無ぇだろうによ。

 よし次ぃ、海軍基地城下町カナバエ・カストルム・ナヴァリアは?」


「瓦礫の片付けが半ばってとこでさぁ。開いた土地から縄張りと整地を始めてやすが、建て始める前に資材置き場をどうするかでチッと揉めてるようです。」


「随分時間がかかってるじゃねぇか、他はもう整地くれぇは済んでるんだぜ?」


 ハン支援軍アウクシリア・ハンの叛乱でアンブースティア、アイゼンファウストと海軍基地城下町は大きな被害を受けたが、焼失面積で言えば海軍基地城下町は被害が最も小さい。だがアンブースティアもアイゼンファウストも既に瓦礫の撤去は済んでおり、被害地域の整地も行い復興作業が本格化しつつある。アイゼンファウストに至っては、事件前よりも立派な建物が立ち並び始めていて、早くも一部の住民たちが避難先から戻って来始めている。

 海軍基地城下町は別にリクハルドの管轄ではなく、セーヘイムのヘルマンニの管轄だったが、大工の派遣や資材の搬入など復興事業にはリクハルドヘイムが大きくかかわっている。海軍基地城下町の復興の遅れはそのままリクハルドの利益に影響するのだ。工事の遅れはリクハルドにとって面白いことではない。


「アンブースティアもアイゼンファウストも焼けたのは貧民街です。

 それに比べ海軍基地城下町は繁華街ウィークスだったし、住民の多くが生き残ってたんで、瓦礫ン中から資財を掘り出すのにえれぇ時間がかかちまいやして…」


「ふ~ん…じゃ、資材置き場の揉め事ってのは?」


「ヤルマリ橋の材木と海軍基地カストルム・ナヴァリアの建築資材でさぁ。」


「そんなもん、海軍基地の土地使わしてもらえねぇのかよ。

 アッチはまだ全然手ぇつけてねぇんだろ!?」


「全然手ぇ付けてねぇから使えねぇんで…海軍の奴らぁ死体の片付けが終わったところで、アンブースティアの手伝いに回されちまいやしたから、基地カストルムン中ぁ瓦礫がそのままなんですよ。」


「チッ、ティグリスの野郎め。アイツの我儘わがままのせいでトンだとばっちりだぜ。

 ヤルマリ橋の材木の方は揃っちまってるのか!?」


 面白くなさそうにリクハルドは頭を掻いてそう言うと、パスカルが答える。


「なるべくが、でしょう。

 砦の建設工事の方は急ピッチで進んでいますが、予定を前倒しできるところまでは行っていないようです。」


 アイゼンファウストと海軍基地城下町を繋いでいたヤルマリ橋はハン支援軍によって破壊されて以来不通のままになっている。子爵家の緊急財政出動によって大急ぎで復旧することが決定していたが、リクハルドはわざと人足にんそくたちに手を回して資材搬入を遅らせていた。セヴェリ川の向こうのダイアウルフを警戒しての事である。


 アルトリウシア平野から聞こえてきたダイアウルフの遠吠えはアルトリウシア平野からハン騎兵が襲ってくるのではないかという懸念を現実のものとした。その脅威に直接晒されているのはアイゼンファウストだが、内陸のアイゼンファウスト市街地やマニウス要塞城下町カナバエ・カストルム・マニは現在、軍が厳重な警備を敷いているため、いかなダイアウルフ騎兵と言えども少数での襲撃は難しいだろう。そして、アイゼンファウストとリクハルドヘイムの間にはヤルマリ川が流れており、おそらくハン騎兵が現実に襲って来たとしてもヤルマリ川を越えることはできない。となれば、セヴェリ川を渡ったハン騎兵はアイゼンファウスト地区かマニウス要塞城下町の方へ行くしかなくなるし、リクハルドヘイムには何の問題も無いのだが、ヤルマリ橋が開通してしまうと話が変わって来る。


 軍団はアイゼンファウスト地区の東寄りに警備を固めていて西側はほとんど無防備な状態なのである。アイゼンファウストに西半分は今も焼野原で守るべきものが無いのだから当然だ。だが、ヤルマリ橋はアイゼンファウスト地区のほぼ西端にあるのだ。

 セヴェリ川を渡ったハン騎兵が東に向かわず西へ回った場合、ヤルマリ橋までほぼ何の抵抗も受けずに到達できてしまうだろう。そのまま橋を渡れば、その先は無防備な再建途中の海軍基地城下町があり、そこから東へ行けばリクハルドの《陶片》地区、そして北へ向かってウオレヴィ橋を渡ればティグリスのアンブースティア地区だ。《陶片》はまだ柵に囲われているがハン騎兵の奇襲を完全に防げるほどのものではない。ヤルマリ川より北は全くの無防備と言って良い状態なのだ。


 このため、リクハルドは密かにヤルマリ橋の再建が遅れるように手を回していた。メルヒオールやアイゼンファウストの住民たちには悪いが、少なくともアイゼンファウストに建造中の砦が稼働を始めるまで、ヤルマリ橋は不通のままであった方が好ましい。

 しかし、工事を遅らせている分だけ建築資材置き場が無駄に長く占有されることになり、結果的に海軍基地城下町再建工事が影響を受けてしまっている。橋は開通させたくないが、雪が降り始める前になるべく町の再建工事を進めておきたいリクハルドにとって少々悩ましい問題となっていた。


「じゃあ後は、資材が盗まれちまったりとかでもしなきゃいけねぇわけか?」

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