第949話 主導権

統一歴九十九年五月十日、未明 ‐ ブルグトアドルフ近郊/アルビオンニウム



 何言ってんだ、このボンボンは?

 無礼?不問にする?……命を救ってもらっといてソレか!?

 クレーエの旦那ヘル・クレーエに助けられてなきゃ、アンタぁ今頃あの悪魔ディーモンにとっ捕まって食われちまってたんだぞ!?

 これだからお貴族様ってのはホントに……


 ペイトウィンがクレーエに投げかけた尊大なを目の当たりにした盗賊たちの感想を一言で表すなら「呆れ」であった。

 盗賊たちが初めて目の当たりにした魔物グルグリウス。それはあまりにも巨大で恐ろしい悪魔そのものだった。ペイトウィンの炎の魔法をものともせず、ゴーレムを操り、人間をいたぶり狩りたてる邪悪な化け物。盗賊たちを圧倒的な暴力で従えた『勇者団』ブレーブスのメンバーをさえ一方的に狩りたてる強者。そんな恐ろしい存在に捕まる寸前で救い出したのはひとえにクレーエの指揮があったからこそである。クレーエが居なければ盗賊たちはマッド・ゴーレムに有効な攻撃を仕掛けることなど出来なかったし、ましてエイーとペイトウィンを救い出すために化け物どもの包囲網の真ん中へ突っ込むことなどするはずも無かった。それどころかグルグリウスの姿を目の当たりにした途端、蜘蛛くもの子を散らすように夜の森へ逃げ出していただろう。しかも、クレーエは突入を敢行したのだ。ペイトウィンのためではない。ペイトウィンはエイーを救出するで助け出されたに過ぎなかった。

 クレーエは間違いなくペイトウィンにとって命の恩人であるはずだ。にもかかわらず、逃げてる間もずっと文句を言い続けていた上に「無礼は少し目に余るものがあったが、不問にしてやろう。」などと、いったいどの口がほざくのか!?……盗賊たちが呆れ、軽蔑の眼差しを向けたとしても当然である。


 しかし、ペイトウィンは所謂いわゆる「空気を読む」ということが苦手な人間だった。全く読めないわけではないが、読めた頃には既に取り返しが付けにくいほど空気が悪くなってしまっていることが多い。

 人間の感性というものはおかしなもので、目の前で起きている事象をそのまま受け入れることが出来ない。こうであってほしい、こうだったらいいのに、こうであってほしくない……といった願望や自意識、あるいは単純な思い込みによって、目の前の状況を歪めて認識してしまう。そうした現象は様々な経験を積んでいくことで徐々に緩和されていくものなのだが、生憎あいにくとペイトウィンは百歳近い年齢に達しながらもまともな人間関係を築く経験は普通の一般人よりも圧倒的に不足していた。彼の周りには、俗にいう「毒親どくおや」のような役割を果たす大人たちがあまりにも多く存在しており、彼の精神的成長は長年にわたって阻害され続けてきたからである。


 貴方様はこの世ヴァーチャリアで最も尊いゲーマーの血を引くハーフエルフであり、偉大な御父上ペイトウィン・ホエールキング一世閣下と同様、世界の人々から尊ばれるべき存在なのです。

 貴族の中の貴族、聖貴族の頂点に立つべきペイトウィン・ホエールキング二世閣下……貴方様はその高貴な血筋とお立場に見合った態度で人々と接しなければなりません。


 そんなことを周りのすべての大人たちに教えられながら育った子供がどうなるか……しかも、その大人たちの多くはペイトウィンが父から受け継いだ遺産・聖遺物アイテムを目当てによこしまな欲望を抱いた悪党どもだったのである。まともな対人スキルなど育めるわけもない。

 当然、ペイトウィンは植え付けられた思い込み……自分は世の中で最も尊い血を引く高貴な存在であり、人々からの敬いに応えるような態度を示さねばならない……に従って振る舞うことに何の疑問も持ってはいない。だいたい、相手が同じ聖貴族ならまた話は違ったかもしれないが、この場に居るのは一般人NPCなのだ。本来、ペイトウィンに直接口を利くことなど許されない存在であり、彼の姿を直接見、その声を直接聞けるだけでもありがたがるべき平民へいみんを相手に、容易く「ありがとう」などと感謝を口にしたら、相手は聖貴族という存在に対して却って幻滅してしまう。


 聖貴族は人々NPCからあらゆる人間の理想像としてとても敬われているのです。

 ですから、どれだけ親しみを感じる相手だったとしても決して気安い態度など示してはなりません。それは彼らの期待を裏切る行為に他ならないからです。

 彼らが期待する聖貴族の理想像……それは人々NPCを超越した存在。天に輝く太陽のようにどこまでも遠くに在る、確かに存在するにもかかわらず決して手の届かない、そんな高貴の象徴で在り続けねばならないのです。


 そうした教えを繰り返し吹き込まれ続けた彼らが一般人に尊大な態度を示すようになるのは当然を通り越して必然であった。周囲を邪悪な大人に囲まれた結果、世間に幻滅し人間不信になっていたというのももちろん理由としては多分にあったが、それが全てというわけでもなかったのだ。実際、ペイトウィンは盗賊たちを見直していたし、その英雄的な行動には感心も感謝もしていたのである。

 つまり、仮にペイトウィンが空気を読める人間だったとしても、やはりクレーエに対して投げかけた言葉や態度は大差ないモノにしかならなかったであろう。こういう時にどう接するのが正しいのか、その正答を知らない以上は間違った答に従うほかなかったのだから。


「あ、ああ~~……」


 困ったような声を挙げたのはペイトウィンからさずかったクレーエだった。


「そりゃありがたいこってすがね、ホエールキングの旦那ヘル・ホエールキンッ

 アタシらぁあの化け物どもから逃げなきゃいけねぇんで、安全なトコまでご案内いたしますんで、できりゃあ大人しく着いて来て下さいやせんかね?」


 何だよクレーエの旦那ヘル・クレーエ、何か言ってやらねぇのかよ!?……盗賊たちは丸くした目を今度はクレーエへと向けた。彼らからしたらクレーエはである。そして彼らのような稼業の男たちにとってとは偉い人間であり、相応の態度で振る舞うことが許され、また相応の態度で周囲と接しなければならない男なのである。

 無法者の間にも秩序は存在する。その秩序は実力に基づく序列に従うことで保たれる。実力者はその実力に相応しい態度を示し、序列を明確にし、身内や余所者にさえ誤解を与えぬようにして秩序を保たねばならない。実力者が実力を隠して卑屈な態度をとるのは無法者社会の秩序を乱す行為であり、実力の無い者がいい気になって尊大な態度をとるのと同じくらい罪深い行為なのだ。

 クレーエは今もデキるところを示したばかりだ。クレーエが居なければ彼らは今頃誰一人無事に生きてはいない。それなのにいくら魔法を使える貴族様だからと言ってペイトウィン相手に下手したてにでなければならない理由など、彼らにはちょっと考えつかない。

 しかしペイトウィンはクレーエの態度に疑問を抱いてはいなかった。「ありがたいこってすがね」という言葉は少々しゃくさわるが、そもそも教養もない蛮族のNPCなのだから多少の粗暴は仕方がない。むしろ、こうして大人しく下手に出ている……つまりペイトウィンとの上下関係をわきまえていることに満足すべきだと一人納得していた。フフンッと機嫌良さそうに鼻を鳴らすと、無礼を受け入れる寛大さを示してみせる。


「いいぞ。

 お前は土地勘があるのだろう?

 俺はもうここがどこかわからんのだ。

 早速、アジトの山荘へ案内しろ。」

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